自主避難
*
翌朝、まだ早い時間に、祭関係者が数人、笠を被り、蓑を羽織った格好で境の森へやってきた。
担いできた木の梯子を幹に立て、梯子を押さえる方と登る方に分かれる。登る方は幹の股までくると、錘から透き通る糸を引き出し、幹に回して結んだ。
「ほれ」
長めに糸を出した錘を重しに、隣の木に向かって投げる。
「あいよ」
受け取った方も同様に幹の股に糸を結びつける。
風が吹かない今、結界は機能しないに等しいが、他に出来ることもなく、錘に巻かれた分だけでも結んで結界のほつれを元に戻しておこうと彼らは考えたのだ。
「なあ、何かおかしいと思わねえが?」
「あんだー?」
登る方が糸を結びながら下に耳を向ける。梯子を押さえる方がさらに大声を出す。
「紫野だ。身ごもってるのわざわざ教えさ来たのに、手のひら返したようにやめてしまったでねえが」
隣の木の押さえ手が片目をつぶる。
「舞手の娘っこはな、素質がなかったんだと。出来た糸だってこーれぽっちだ……なぁに、紫野も呼ばれたがらにゃ誰か言うしかねがったの」
すると今まで皆の仕事を下から眺めていた小さな老人が、突然赤い顔で叫んだ。
「紫野はでまかせを言うような娘ではねえ!」
「おーおーおっかね」とすかさず木の上で笑いが起きる。
「狩野のじっさまは昔っから紫野びいきだがらなあ」
結わえるのを終え梯子組が地面に降りると、皆道具を片付け、来た道を戻り始めた。不機嫌なままの狩野のじっさまを数人が宥めながら歩いた。
「じっさま、そったなことみな承知だ。宮司もよそよそしがったべ」
「ほんとは何かまずいこと、あったんでねえか? な」
その内一人がぽつりと呟いた。
「どの道避難するより仕方ね」
みな顔を見合わせた。
「大げさだ」
「帰ったらまた寄合だ。宮司が話があるらしい……」
*
「かねてよりお話していた自主避難のことですが――」
宮司の声は硬く、辺りは水を打ったように静まり返っている。
「実は先日、隣町の町長にお会いしてきて、受け入れ先を用意してもらえることになった」
一気に寄合の場がざわついた。
「これまでも千久楽から移住した人が多い町です。町長も親が千久楽出身で、事情はよく解ってくれている……しかし一度には無理だ。子連れの家族、若い男女、動けるお年寄りから順に避難を開始しようと思います」
「隣町っつったら、もう都市の内だべな」
「ああ」
「大丈夫なんか」
年長組は不審な表情で宮司を見る。宮司は少し間を置いて答えた。
「避難者の住民票も一ヶ月程度なんとか発行を待ってくれると」
再び辺りがざわめいた。
「一ヶ月――」
「その後はどうなる」
快晴は内容を掘り下げて、率直に宮司に尋ねた。
「一度発行すれば、避難者は都市管理下に置かれる――ということですね」
「……そういうことだ」
宮司が溜息とともに視線を落とした。
――実際の猶予はひと月――その間に風が吹かなければ……
快晴が考え込んでいるうちにも、寄合の空気はさらに不穏になっていく。
「騙されてる」
「千久楽を売る気か」
「もう……何もかも終わりだ」
「皆さん落ち着いてください」
噴出する非難や悲観の声に聡が懸命に対応している。宮司は黙り込んだまま、二の句を継げないでいる。
「汚染が先か、千久楽の瓦解が先か……」
那由他はあくびをしながら独り言のように言う。
紛糾する場の横で、快晴は宮司にとりとめのない話題を振った。
「隣町は……もしかして、紫野さんが住んでいる所ですか?」
宮司は気付いたように頷いた。
「……ああ、紫野君たちも夫婦諸共掛け合ってくれているそうだ」
「そうか……あの娘には頭が上がらんな」
名倉じぃが腕を組んでしみじみと頷いた。
「……紫野ぉ……」
泣き出す狩野のじっさまを、隣の仲間達が肩や背中やらを叩いて慰め始めた。
「じっさま、ほら泣ぐでねえ」
「もっと小っさぐなっちまうだ」
場の空気が一旦落ち着きを見せた頃、宮司が再び口を開いた。
「外部への避難待ちを含め、残る住人を一カ所に集めようと思います。場所は千久楽中学校の北校舎に――」
「んなこと言ったって、いざ汚染となったら一体どこにいれば!」
飛んできた声に、宮司と快晴は目を合わせ頷く。宮司が咳払いしてから答える。
「千久楽中学校の地下に、シェルターがあります」
〈シェルター〉という耳慣れない言葉が浸透するのに時間がかかった。人々が内容を把握するにつれ、次第にざわめきが大きくなる。
「シェルター」
「んなものいつの間に」
「昔、第二次大戦時に作られた防空壕を、この子の父親でもある幾生博士が中心となって整備してきたものです」
宮司が力強く快晴の肩に手を置いた。快晴は思わず宮司を見た。
「おお、そうか博士の」
「博士の設計なら安心だな」
「だども、いざとなったら穴蔵生活なんて……」
隣から聴こえた不安の声に、快晴は落ち着いて答える。
「地下水も湧いてるし、必要な生活用品は十分備えてあります。食糧さえ確保できれば――」
宮司は快晴の方を見、ようやく表情を緩めた。
「運べる食糧は皆で協力して運んでしまおう。それから必要な調理道具も」
「そらまた冬ごもりよ」
「さ、忙しくなるぞ」
それまで黙っていた宮司と同世代の大人達が立ち上がり、意気込みを見せた。
宮司は隣に座る人物に向き直る。
「総代、街の方のとりまとめをお願いします。私は里の方を」
「あいわかった」
蒔の父でもある総代は膝を叩いて頷いた。
「わしも残ろうかの……」
名倉じいの呟きに、周りにいた年長組も賛同する。
「先生が残るならわたすらも、なあ」
「うんにゃ、ここで死んでもええ」
いやいや、と名倉じいは苦笑いをする。
「すぐどうこうなる訳ではない。ひとまず皆で固まっておる方が安心、ということじゃ」
始まりの雰囲気とは打って変わって、活気づいた解散の流れの中、深鳥が快晴の隣に追いついた。
「快晴」
呼び止められ、快晴は足を止める。
「天文台に残るって――」
快晴は小さく頷く。
「このまま、風速と放射線量の観測を続ける」
その言葉を聴き、深鳥は少し突き放されたような気がして――自分の手で手を握った。
「……私も天文台に残る」
「!」
会話が聴こえたのか、通りすがらに年長組の一人が口を挟んだ。
「だめだ。女は大事な体だがら」
快晴と深鳥はその背中を見送ると、再び互いに目線を戻した。
「助手とはいかないけど……雑用ならできると思うし」
笑顔で食い下がる深鳥に、快晴は言葉を詰まらせる。
「私も手伝う」
向き合ったままの二人を、大人たちが追い越して行く。
「………………家族と――」
快晴が口を開きかけたその時、後ろから那由他が快晴の首に勢いよく腕をかけた。
「……っ、何すんだ――」
「素直になれ、ばぁか」
快晴の耳元で那由他の声が一段と低くなる。
「この期に及んで手放す気か、てめえは」
那由他と快晴の視線が間近にぶつかる。那由他の杜若色の眼に凄みがある。
「……………」
黙ったままの快晴に、那由他があからさまに溜息をつく。
「はいはい、メッセンジャー兼、監視役俺ね。軽トラすっ飛ばして必要なもんは調達してやる。いいか? ニャンニャンさぼってんじゃねえぞ。抜打ちチェックするからな」
ニヤリと笑う那由他。「にゃんこ?」と深鳥は明らかに違う想像をしている。快晴は指で眉間を押さえている。
「じゃ、あとは家族の了承を得て……………で、いいすか、宮司」
宮司は那由他を見る。話は聞こえていた。隣の快晴も困惑しているようだったが、ここは那由他に任せるしかなさそうだ。
「分かった。那由他、私の代わりに行ってきてくれ」
「お父さん!」
聡は思わず宮司の袖を掴む。
「……我々は我々でやることがたくさんある。聡、お前は里の家々に避難のことを伝えてきてくれ」
宮司は浮かない表情の聡の肩に手を置いた。
*
日が傾いた頃、那由他と快晴に付き添われ、深鳥は自宅に戻った。縁側で何か作業をしていた両親は三人を見つけると、ただならぬ気配を感じて表に出てきた。
「おかえり深鳥。荒谷も、幾生君も……」
父が声をかけると、那由他と快晴が会釈した。
「もしかして、避難のことを?」
父の問いかけに深鳥はその場に歩を止めたまま頷くと、自分も快晴とともに天文台に残る意志を、両親に向かって告げた。
母の菜実から瞬時に表情がなくなる。父の草治は口を少し開いたまま、必死に何かを考えているようだ。
動揺を隠せない両親を見て、快晴は深鳥の肩に手を掛けた。
「深鳥」
振り向きかけた深鳥の反対の肩にも手を掛け、快晴は向き直る。
「やっぱり、家族といた方がいい」
「おい……!」
那由他がたしなめるも、快晴は構わず続ける。
「もう二度と、危険な目に遭わせたくないんだ」
快晴の両手に力がこもる。深鳥は快晴の眼を下から覗き込むように見た。厳しい眼差しの奥に、悲しいくらいの優しさが満ちていた。
「かいーー」
深鳥が手を伸ばそうとすると、快晴は目を逸らし、手を離した。両親に一礼して身をひるがえした、その時。
「だめ!」
背後から深鳥が引き止めた。服をぎゅっと掴み、頭を快晴の背中に預ける。
「いや………もう二度と…離れたくない……」
「…………深鳥……」
快晴は立ち竦んだまま、振り向くことが出来ない。
背中に仄かな温もりを感じる。離れたくない。側にいて欲しい――次々とこみ上げる想いを堰きとめるように、快晴は掌に力を込める。
いつか、快晴の夢を見てうなされていた娘の姿が菜実の頭をよぎった。歌垣の夜、花櫛を髪に帰った娘の、あの秘めた表情も――
――分かっていたのよ、いつか……でもね。
草治は菜実の肩に手を置く。二人は目を合わせると、菜実は頷いて深鳥の方へ歩き始める。
「深鳥……行きなさい」
「!!」
快晴と深鳥は同時に菜実を見る。菜実は快晴と深鳥の手を片方ずつ取った。
「けれど、お願いがあるの。自分たちの身は自分たちで守ること。離れてはいざという時誰も助けられないのよ」
菜実は少し涙目で、でも笑顔で今度は深鳥の頬を包んだ。
「しっかりね」
「うん」
深鳥も涙を滲ませて微笑った。
菜実は改めて快晴に向かってお辞儀をする。
「幾生君、深鳥をよろしくお願いします」
快晴も丁寧にお辞儀を返した。
「……はい」
おそらく、成り行きを見守っていたであろう祖母が、にこにこしながら奥の方から出てきた。
「ほら、これ。持っておゆき」
お手製のおかずの包みをずっしりと手に持たされ、快晴は慌てて頭を下げる。
「こんなに……すみません、助かります」
「あなたが自炊してるって聞いて。ほんと、偉いわね。せっかくだから深鳥、幾生君に料理教わってらっしゃい。きっとお母さんより段取りよく教えてくれるから」
「ちょっと、母さん~」
菜実の間の抜けた声に、祖母はふふふと手を添えて笑う。
「お前に台所を預けられる日はいつだかねぇ……」
「あ、なに深鳥笑ってるの。……あら、幾生君も」
珍しそうに見る菜実に、快晴は思わず、あ……と顔を手で覆った。




