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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈虚空の章〉
85/116

花鎮め

 

 *


  かちこちかちこち……と隣部屋から聴こえる柱時計の音。その合間に繰り返す微かな寝息。眠る深鳥の頭を紫野がそっと撫でている。

「すまない、帰ってきたばかりのお前に伝えるタイミングが分からなくて。こんなことになるとは――」

 那由他は紫野の横に両膝をついてかしこまる。深鳥を見つめる紫野の表情は険しい。

「深鳥さんが雛――」

 脳裏に蘇るのは、深鳥の背に咲いた羽根と、後ろから彼女を捕らえる神の、流紋の絡む腕。

 鳥肌が立つのを感じ、紫野はそっと腕を抱える。


 深鳥の生立ちを話そうとして、快晴に投げる那由他。快晴はかいつまんで話しだした。

 最近まで都市にいたこと。七つの歳に心を取り戻したこと。現れては消える羽根のことも――


 一通り聴いて紫野はしばらく考えに耽っていたが、ふと思い出したように顔を上げた。

「二人とも、体の痣は出たな?」

 紫野の問いに那由他と快晴は頷く。

「俺は大したことないが、こいつのがやばいぜ」

 那由他は快晴を親指で差し、薄ら笑いを浮かべる。「脱がせてみるか?」

 興味深そうな紫野の視線から逃れるように、快晴はそっぽを向く。ほのかに耳が赤い。

 紫野は咳払いをすると、再び深鳥に視線を移す。

「私たちと違って、痣もなく美しいまま……風はこの子を喰らおうとするだろう」





 紫野はコンコンとガラス戸を指で叩いた。

「あら紫野ちゃん、ありがとう」

 宮司の奥さんが引き戸を開け、お盆に乗った茶器を受け取る。紫野は会釈して小さな声で用件を伝えた。

「タオルと着替えね」

 そう言うと奥さんはお盆ごとシンクに置き、すぐに部屋の外へ出て行った。


 奥さんと入れ替わるように入ってきた紫野を、宮司がテーブルから立ち上がり迎えた。宮司の向かいに快晴、那由他、聡が座り、テーブルの上には飲みかけの湯のみが人数分置かれている。

「深鳥は――」

 快晴が立ち上がりかけ問いかける。

「目が覚めたのでお風呂に入れた。私が水をかけてしまったから……」

 宮司が片手で隣の椅子を引いた。

「紫野、掛けなさい。大丈夫か?」

 紫野はうなずき座ると、両手を膝の上に頭を垂れた。

「申し訳在りません。私がついていながらこんなことに」

 宮司は紫野の肩に手を置く。

「いや、これは我々が迂闊(うかつ)だった。……こちらこそ申し訳ない」

 紫野は顔を上げた。

「これ以上、彼女に教えることはできません。彼女は雛。これ以上続ければ心を風にさらわれ、また以前の状態に戻ってしまうかもしれない……私からみなに話します。彼女には素質は無い。風を紡ぐことはできなかったと」

 宮司は首を振る。

「このことは私から皆に話そう。顔色が悪い、君は少し向こうで休みなさい」

 聡がふーむと腕を組む。

「それで年長組が納得するかな……」

「じじぃ部隊か。むやみに心配して口出すのが生き甲斐だからな」

 那由他はどうでもいいと言うようにあくびをする。 


 いつの間にか快晴はお茶を入れ直していて、新しいお茶を紫野の前に置いた。紫野は快晴を見る。

「私では彼女を庇いきれないかもしれない。この先深鳥さんが担ぎだされそうになった時、あなたは彼女を守れる?」

 紫野の頼みに快晴は真剣な表情で頷いた。

「……ありがとう」

 快晴の持つ、吸い込まれそうな眼が懐かしいと感じた。紫野は表情を緩める。すると――瞼が急に重たくなり、目尻が痙攣しだした。

 快晴が紫野の異変に気付き、とっさに手を延ばす。

「――」

 掠れ、薄まっていく視界に、たしかな面影だけが残る。

『紫野……』


 ――そこにいるのは、日向兄(ひなたにい)




 ガチャン、と大きく割れる音がした。紫野の足元に湯のみの欠片が散らばっている。

「紫野!」

 快晴の腕に臥せった紫野を、那由他が後ろから起こす。目をつぶったままの表情が血の気を失っている。

 紫野がかすかに目を開けた。「……だいじょうぶ、ただの…貧血」

 息遣いが粗くなっている。紫野がお腹を抑えているのを見て、那由他は宮司に後を頼み、電話のある玄関に走った。



 *



「もう、だいじょうぶだ」

 町医者の熊井先生が、紫野を安心させるように笑いかけた。

「ありがとう……ございます」

 診察室のベッドに横たわる紫野の傍らで、看護師さんがてきぱきと点滴を施していく。

「しかし、危なかったよ。今の時期は無理は禁物だ。君一人の体ではないのだから、あまり重いものを持ったり、激しく動くのは控えた方がいいね。これからは重々気をつけるように」

 聴診器をのっそりと外した先生は、目が奥まって髭が濃く、体格もどっしりとして、動きもまるで熊のようだ。

 紫野は口元を隠すように布団を引き上げ、小さく頷いてみせた。

「……はい」





 駅前に軽トラックをつけ、那由他は荷台から紫野の荷物を取り出した。

「向こうの駅のホームまで迎えにくるんだろ? 旦那。ぜってー荷物持ってもらえよな」

 紫野は両手で風呂敷包みを抱え頷いた。

「……結局、私は何の役にも立てなかった」

「あの二人なら大丈夫だって。俺がしっかり見張ってるからよ」

 那由他は拳で自分の胸を叩いてみせる。

「それに、あまり気に病むと体に障る」

 紫野はちらっと那由他を見上げる。

「……最初から気づいてた?」

「まぁな。なんとなく、丸くなったというか……」

 紫野は呆れたように笑う。

「相変わらず、鋭いな」



 二人は同時に足を止める。

「桜が、見事だ」

「ああ」

 小さな駅舎に被さるように、大きな桜の木が地面近くまで枝垂れている。


「花鎮め……」

 紫野の呟きに那由他は視線を落とす。

「いつもなら千久楽では桜が咲いても風がもいでいってしまう。でも風が止んだ今、桜はもつだろうと思って……千久楽の人達にとっては悪い兆しでしかないけれど」

 紫野は黙り込む。


 なあ紫野、と那由他が切り出した。

「どうして帰ろうと思った? 断ったって誰も咎めは」

「どうして、なのかな」

 紫野は自らに問うように呟いた。

 

 ――自分から故郷に背を向けたはずなのに。


 紫野はお腹をさする。

「ここを離れてよく分かったことがある。私はずっと息苦しかったんだって。もし、あのままここにいたなら、私は私を……自分の運命を呪い、故郷を憎んだかもしれない」

 紫野は桜に手を延ばす。

「なのに今、素直に千久楽が懐かしいと思う。この景色が、森が、風がずっとこのままであってほしい。……遠くからいつもそう願ってる」


 那由他はぴたりと足を止める。

「千久楽は終わるぜ、紫野」

 風もないのに花びらがひらひらと落ちてくる。

「快晴で最後だ。……そんな予感がする」

 紫野は振り返り、那由他を見る。少しの驚いた様子もなく。

「君の予感はきっと正しい。風が止んだと聴いたときから覚悟はしていた」

 紫野はそっと息をつく。

「守人が選んだのが(ジョーカー)……そう仕組まれていたとしか思えない。深鳥さんはもちろん、快晴も危うい――深鳥さんを取り戻す時、彼も神に接触したかもしれないから」


 少しの間。

「快晴のこと……やっぱ心配か?」

 那由他はちらりと紫野を見る。

「博士の忘れ形見だからな」

 紫野はあくまでも真面目に答える。

「お前さ、博士のことが好きだったんだろ?」

「さあ……」

「さあって、はぐらかすなよ今更」

「正直……自分でもよく分からない」


 ――あれが恋だったのかどうかも。


 憧れ、尊敬ともつかぬ、泡沫(うたかた)の気持ち。長姉として甘えることが下手だった私に、あの人は兄のように色々なことを教えてくれた。


「博士……日向兄(ひなたにぃ)は守人として千久楽に縛られていた。……それは私も同じ」


 互いの孤独に惹かれた。少ない言葉ですぐに理解できた。同じ宿命を分かち合える、大切な人。


「舞の相棒(パートナー)として私たちは魂を分かった。だから……遠くても離れていても、日向兄がどこかで生きているなら、私も共に生きてゆけると思った。でもーー」


 日向兄は宇宙に行ったきり帰っては来なかった。日向兄を失って、自分の一部も失ったのだと、その時知った。


 寂しそうに紫野は空を見た。

「日向兄は千久楽を離れる時、私に言った。生きていくことは、忘れることだって」


 ホームに電車が滑り込んでくる。風が一瞬、生じる。

「紫野……千久楽を出てケッコンしたこと、後悔してないのか?」

 紫野は首を振るう。

「選んだ道は間違いじゃなかったと思う」

「そっか……それならいいや」

 那由他は振り返り、

「今度、旦那も連れてこいよな。それから……」

 紫野のお腹を指差して、那由他はにっと笑う。

「そこにいるガキも。いじめてやっからよ」

 とたんに、紫野が不敵な笑みを漏らす。

「泣かせたら、私が受けて立とう」

 那由他は顔を引きつらせた。

「……げ」

紫野はやや冗談が通じないタイプ……

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