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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
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眠り雛

 深鳥を神社の奥の間に運び終え、一同は一息つく。羽根は深鳥が意識を失うと同時に消えていた。

 ソアラは深鳥の手を握ったまま、じっと寝顔を見つめ、しばらく側についていると決めた。

 

 そうして那由他も残っていたのだが、手持ち無沙汰で廊下の柱に寄っかかり、うつらうつらしだした頃……

「ーー」「ーー」

 むくっと顔を上げ、寝ぼけ(まなこ)のまま那由他は縁側から外へ出た。風の音色に雑音が混ざる。

 

 鳥居代わりの二連のブナの前で、聡が快晴に箒を投げつけていた。那由他は面倒くさそうに、つっかけを引きずりながら近づいていく。

「あなたのせいです……深鳥さんがこんな風になったのは!」

 転がる箒をそのままに、互いの視線がぶつかる。

「深鳥さんを介抱していると思えば、放ったらかして……あげくにソアラさんといちゃついて。」

「聡」

 那由他が肩に手をかけるが、聡は構わず続ける。

「あなたが深鳥さんを巻き込んで、振り回して、あんなに傷だらけにしたんだ!」


 制止を振り切り、聡が快晴に飛びかかる。快晴はよけずに地面に倒された。聡が両手で襟元を掴む。興奮のあまり、その手に渾身の力を込める。

「深鳥さんはあなたの人形じゃない!!」

 快晴は詰まるように息を出す。聡は思わず手を離した。反撃されると思ったが、快晴は押し殺すようにただ黙っているだけだ。

「おい、いい加減……」

 那由他が口を開こうとした時、深鳥の両親が石段を上ってきた。状況を見るや、組み合う二人に駆け寄り、その場を納めたのだった。

 





 神社の奥の間に、深鳥を囲み一同が座した。深鳥の手を握りながら、母である菜実は娘の顔をじっと見つめている。

 宮司が説明を求めると、快晴がいきさつを話しだした。那由他もところどころフォローした。父である草治は真摯に耳を傾け、うなずきながら話を聴いている。

 

 話が一区切りついた時、菜実が顔を上げた。

「あの子が目を覚まさないのは…あの子の中で感情が溢れてしまったからだと思うの」

「溢れる?」

 聡が身を乗り出す。落ち着け、と那由他の手が頭に被さってきた。

「要するにキャパオーバー、っすよね」

「そうね、そうなるわ」

那由他に答えてから、菜実は向かいに座る草治に目を配る。草治がうなずくと菜実も心を決めた。

「以前にも同じようなことがあったの。深鳥が七つの頃、初めて感じるたくさんのことに、この子の心はなかなかついて行けなくて……度々意識を失ってた。成長するにつれそれもなくなったけれど……」


 途切れた言葉を繋ぐように、宮司が問いかける。

「今回の昏睡もそれと同様と?」

「あの時みたいに、自分の中に生まれたたくさんの感情をどうしまえばいいか、分からなくなってしまったんだと思うの」

「あの、七つって……」

 おずおずと手を上げ、聡が質問する。

「七つの頃、深鳥さんに何かあったんですか?」

 

 しばらくの間があった。心配そうに宮司がのぞき込むと、菜実がすっと頭を垂れた。

「黙っていてごめんなさい。宮司、聡くん……深鳥は〝ひぃな〟だったの」

「!……何と……」

 誰もが驚きの色を隠せない。状況の分からないソアラも不安そうになりゆきを見守る。

 

 周囲の動揺をよそに、快晴だけが水を打ったように静かだった。その膝に置かれた手に力がこもるのをソアラは見逃さなかった。


 ーーミドリのカルテを見た時も……やはり、

   カイセイは何かを知っているんだわ。


「泣かないし、私達を見ようともしないで……いつも空ばかり見ていた。いつ治るかもわからない、そんな絶望の中でも、あの子が可愛くて仕方なかった」

 菜実はそっと溜息をついた。

「都市は医療が進んでいるし、あの子にも普通の暮らしをさせてあげたかった。だから……私達は千久楽を出たんです」

 

 宮司は苦渋に満ちた表情をしている。聡もうつむき、つぶやいた。

「千久楽にいれば、ひぃなは囲われてしまうから……」

「それで……時村先生は千久楽の外へ行ったのか」

 腑に落ちたのか、那由他は深く息をついた。

 

 子供の頃に千久楽から去った担任、時村先生。子供から慕われ、親からの信頼も厚かった。周囲の大人は駆け落ちだのさんざんまくしたてていたが、那由他はそんな風に、手のひらを返し揶揄する大人たちを、冷めた目で見ていたものだ。

 

 先生はあえてリスクを冒してまで故郷を出た。理由はとてもシンプルだ。家族を守るために、みんな一緒に暮らす、ただそれだけのために……

 

 置き去りにされた状態のソアラが那由他を見つめる。那由他もどう説明すればいいか分からず、「深鳥が七つまでひぃなだった」という事実をとりあえず伝えた。

 

 ひぃなとは何か、とソアラは尋ねる。一間置き、「これはお伽話なのだが」と宮司が語りだしたことは……







 (いにしえ)、千久楽に侵略者がやってきたこと。守り神である風の神は、一行に囲われていた娘だけを千久楽へ案内し、他の者たちは全く別の所へと案内してしまった。そうして千久楽は侵略を免れたのだという。

 

 娘は千久楽で暮らし、唄や舞で里人をなぐさめた。それに誘われるように風が逢いに来るようになり、そして……

 

 かつて一度だけ風が止んだことがある。風が人の()を愛したからだ。

 





 宮司の言葉を訳していた那由他の言葉が途切れ、ソアラは満足そうにうなずいた。

「すてきな物語ね」

 ありがとう、と言って宮司はソアラに微笑いかける。

「しかし神と人。人の命が先に絶えてしまう。娘の魂が再びこの地に生まれ落ちるのを風は待っている。その生まれ変わりが〝ひぃな〟と言われている」

 

 千久楽には昔から人形のような子が生まれるという。産声をあげず、いつになっても話さず、まるで意志を持たない子……それは神に心を囚われているからだと。


「昔から愛想のなかったり、無口な子を〝ひぃな〟と言ってからかったり、悪いことすると籠の中に入れられる、なんて言ってね……子供への戒めにもなっていたわ」

 菜実の言葉に那由他や聡が相槌を打つ。

「実際〝ひぃな〟とされると、里のみんなで籠の中で大切に育てたんですって。その子は一生籠から出ずにそこで暮らすんだって……」


 那由他も手を上げてみせる。

「俺も聞いたことあるけど、それって実際どうなんすか?」

 ふーむ、と唸って宮司は腕を組んだ。

「私は見たことはないが、祖父母の代にはそういう事はちらほらあったようだ。しかし、風が止んだという話は聞いたことがない」

「結局、今までは迷信止まりだったってことか」

 那由他は頭の後ろで手を組んだ。


「しかし近年、風は弱まってきている。風はすでにひぃなを見つけたのかもしれない」

 浮かぬ表情で宮司はつぶやいた。

「やがて風が止んで、千久楽は終わる……か」

 那由他も溜息をついた。


「……でも、まだ手に入れてはいない」

 快晴の声は低く、だが明瞭に響き渡った。菜実も快晴を見てうなずいた。その眼は涙に濡れていた。

「この子はもう目覚めたの。〝ひぃな〟なんかじゃない。深鳥は……人になれたのよ」






 それから数日間、両親は交代で毎日来て、深鳥を看ていた。

 聡も学校が終わってからは看病の手伝いをした。快晴も毎日訪れたが、聡に門前払いされてしまっていた。そんな聡を那由他が諭した。

「お前にはなかなか理解できねーだろうが、ああいう風にしか生きられない人間もいる。たしかにお前の言うことは正しい。でも、正論は人を追い詰めても、人を救いはしないぜ」

「……」

「……違うか?」

 押し黙った聡を、那由他が座ったまま覗き込む。

「快晴を救ったのは深鳥ちゃんだ。心を開いてあいつの懐に飛び込んじまった。素でやるから大したもんだよ」

 那由他は空を見上げた。

「俺らが責めるまでも、これから快晴はいろんな追及を受けるさ。後継ってだけで周囲の目が厳しいからな。だからまぁ……事情を知ってる俺らは、許してやろうぜ」

「許す……?」

「人間てのは、それぞれが別世界の住人で、元々相容れないもんだ。けど、そんなこと言っても始まらねえ。お互い傷つけあって、でも許しあって、それとなく生きてくしかないんじゃないか」


「なゆ兄は……そうしてきたの?」

 聡が隣の那由他を見上げた。

「俺? 俺は切り替え早いからさ。言うべきだと思えば言うし、それで関係悪化してもこっちがさっさと忘れちまえば、相手だってすぐ忘れる。ま、いちおフォローはするけど」

 那由他はぽん、ぽん、と聡の肩をたたく。

「よく言うじゃねえか水に流すって。俺流に言えば片っ端から忘れていくことだな。感情のままやり合ったって、溝も傷も深くなるだけだ。本当のことは後になってから分かるもんさ。それなりに時間が要るんだよ。……あと何かできるとすれば、相手のことをよくよく理解する。それで半分は許せるかもな」


 んん、と咳払いをする。

快晴(あいつ)ネタをひとつ。まだあいつの父親が生きてた頃、これっくらいのあいつを見たことがある」

 那由他は手のひらで高さを示した。

「天文台の外で楽しそうに望遠鏡いじっててさ……うらやましいって思った。優しい父親の隣で、あんなに幸せそうに笑う快晴を……でも、あいつが戻ってきた時、あいつから笑顔は消えていた。宮司が後見になって、あいつが舞手になって、宮司はあいつをなるべく孤独にしないようにいろんなことをやらせたけど……」

 聡はまだどことなく複雑な面持ちでいる。

「そう……だったんだ」

「あいつは心を殺してずっと生きてきた。人に心を許せば、また失うんじゃないかってさ。そう思ってしまうほどに、あいつにとって、父親はあまりにでかい存在だったんだ」

 大切な人を失ったら、人は変わる。自分の一部も死ぬのだから。

「なゆ兄?」

「俺も、小さい時に弟亡くしてな。なんとなくさ」

 

 一度だけ、雪の中で幻を見たことがある。蓑帽子を被った、ゆきんこ姿の弟。そして隣にいたあののっぺらぼう……風神が弟の手を引いていった。眼交(まなか)いに一つ礼をして……






 黄昏の見晴し台、倒木に腰掛ける快晴。那由他が背後からくる。

「ここに居たか」

「……」

「結局、深鳥ちゃんの羽根のことは親御さんには言えなかったな。なぁ……お前、知ってたんだろ?」

 振り返らずに、かろうじて聞き取れる声で快晴は答えた。

「ああ」

「あれ見たら、あの娘が〝ひぃな〟だって納得しちまう。本物にはそれなりの証があったわけだ」

「……」

「で、深鳥ちゃんのそばに居てやらないのか? 聡だって始終いるわけじゃなし、いくらだって……」

「側に居れば、傷つける」

 那由他は、はぁぁぁと大きく溜息をつく。

「結局、そうやって手放すのか?」

「……」

「ずっと待ってたんだろ。ずっと、欲しかったんじゃねーのか? 自分をありのまま受け入れてくれる、許してくれる、そんな人間を」

 那由他胸ぐらを掴む。快晴の頭が力なく揺れる。

「一度は手を延ばしたんだろーが。んなら、ちゃんと掴め。放すんじゃねえよ!」


 ひんやりとした風が通り過ぎる。反応が無い。

「……ってオイ、気絶してんのか?」

 快晴がうっすら目を開く。

「あんた、前に言ってたろ。舞手は風に侵食されるって」

「……流しやがって」

 那由他はちっと舌打ちする。

「俺もそうだったからな。お前のはちと過剰な気もすっけど……まあ体質だよ」

「俺の場合、体質じゃない。この血のせいなんだ。乗っ取られたのも、きっと……」


 那由他は思わず手を離した。

「……何、言ってんだよ」

 快晴はよれたシャツを片手で直しながら言った。

「お伽話、その2」

 澄み切った眼が那由他を捉えた。

「遠い昔、俺の祖先が女神を殺した。それが……」

 

 それが、ひぃなの生まれる所以(ゆえん)守人(まぶりと)の由来。

 千久楽に伝わるもう一つのお伽話の、はじまり。






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