聡
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風がせっかく掃き集めた葉を散らかしていく。少し緩みのある風。春だな、と聡は思う。
「お父さん、誰か来ます」
箒を止めて、聡は耳を澄ます。たん、たん、たん……階段を登ってくるリズミカルな足音。
「聡、どうした?」
「こないだ言ってたお客さんだと思う。ちょっと行ってきます」
聡は父である宮司にさっとお辞儀をすると、箒を近くの木に立てかけ、足音もなく駆け出した。
「おっと、ここだ、ここ」
神社の入り口は葉の茂みに隠れていて、知らなければ通り過ぎるところだ。
「ここは相変わらず秘境だなぁ」
父である草治を先頭に一家は枝をよけて進んでいくと、目の前に石段が現れた。上に向かうほど薄暗くなっていて、人の歩くところ以外は苔に覆われている。
石段を挟んで二連の木がもつれるように枝を広げている。互いの幹と幹を縄が結ぶ。……鳥居、と言ったところか。この辺りでも高台なのに、目的の神社はさらに高い。
「お義母さん大丈夫ですか?」
草治の心配をよそに、祖母はふふふと笑った。
「毎日お参りに来ているからねぇ。お陰で足腰はとても丈夫ですよ」
三人が登っているところを、深鳥はすいすいと駆け上がっていく。
「子供にはかないませんね。深鳥〜、滑るから転ぶなよー」
草治が後ろから声をかけると、振り返りつつ深鳥は手を振った。プリーツスカートを踏まないように少し持ち上げて、最後まで駆け上がる。
そこには開けた空間があって、風が吹く以外は誰もいなかった。深鳥は鼓動を鎮めようと息をつく。
視線の先には白い岩で組まれた小さな祠があり、そこに至るまでの参道はとくになく、ただ道を示すかのように両脇に木々が並んでいるだけで、閑散としていた。
「へえ……元気ですね」
突然声がしたので、深鳥はびくっとした。そこには自分と同い年くらいの少年が佇んでいたのだ。ほんの今まで人の気配がなかったのに。
「あ、驚かせちゃってごめんなさい。僕、ここの神社の者です。宮森 聡っていいます」
右手を差し出して、刺繍衣姿の少年はにこりと笑った。とても穏やかな眼をしていたので、深鳥はほっとしてその手を取った。
「あ……はじめまして。私、時村深鳥です」
風が火照った体を冷やしていく。深鳥はふと視線を移した。風は祠の奥にある森から絶えず吹いてくるようだ。
「この神社は……あまり見かけない感じだね」
深鳥の率直な感想に、聡もああ、と慣れたように相槌を打った。
「とても古い神社なんです。風の神を祀ってて」
深鳥は興味深そうに聡を見た。
「風の神さまを?」
その時、後ろから三人が到着し、祖母が呼びかけた。
「あら、聡君じゃない」
聡は深々とお辞儀をした。
「神社へようこそいらっしゃいました」
祖母はにこにこして聡に歩み寄った。
「あら、改まっちゃって。いつも手伝っていて偉いわね。春休みは楽しい?」
聡はしゅんとして言った。
「それが全然。毎日毎日、掃除だの修行だの勉強だのってしごかれて、うるさくてうるさくて、はぁ……」
溜息をついた聡は、突然背後に危険を感じた。
「くぉらーーっっ!!」
ひゃっ、と聡は縮こまった。
「客人をろくに案内もせずに、掃除だけはさぼりおって! さっさとやらんとまた散らかるだろうが!」
父である宮司の大きな手に頭を押さえられ、聡はジタバタしている。
「まあまあ。いいじゃないの元気で。聡君もずいぶん頼もしくなっちゃったし。宮司も一安心でしょう」
祖母が横から話しかけた。
「まだまだやんちゃです。中学入って少しでも成長してくれるといいんだが」
宮司は溜息混じりに言った。
「あら、そうだわ。聡君も来週から中学生だから、深鳥と聡君ちょうど二級違いになるのね」
宮司はうなずき、深鳥に笑いかけた。
「君が深鳥さんか。よろしくね。何かあったらうちの聡をいつでも使ってやって下さい。こいつはキレイなお姉さん大好きだから」
聡はさらにジタバタして、とうとうその手を逃れた。
「お父さん! 変なこと言わないで下さい!」
「ほれ、言われたくなかったら、ちゃんと皆さんを客間へお連れしなさい」
大人たちが昔話に花を咲かせているのを見計らって、聡は障子の隙間から深鳥に手招きした。
「深鳥さん、外いこ!」
「うん!」
神社と言えど、祠とその脇に集会所があるだけだった。その建物も防風林に囲まれているため、見た目的には木、木、木と……要は森の一角である。
二人は神社の裏手に広がる深い森の前に立った。石段の所のものよりも何倍も太い縄が、これまた大きい古木に巻かれていた。
「すごい……」
深鳥は上を見たままぽかんとしている。
「ここから先は入らずの森です。……ほんとは立入禁止なんですけど。この縄の太さの通り」
聡は人さし指を口に立て小声になる。
「この辺の木はほとんどブナです。特に、ここから先はブナの原始林として核心地域にも指定されてる。こんなに立派なブナも他ではそう見られないけど、奥にはもっとすごいのがありますよ。せっかくだから見てみますか?」
目を輝かせるものの、ためらう深鳥に聡はこっそり耳打ちする。
「もちろん、大人達には内緒で」