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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
46/116

対話

 *


「おい!」

 突然肩を掴まれ、思わず振り返る。那由他がいた。

「探したぞ。いなくなる時は一言言えよ」

 ソアラは振り切って歩き出す。

「そっちは森だぞ」

「風に……! 当たりたいの」

 言いかけた言葉を引っ込め、那由他は立ち止まった。数歩進んだ所でソアラも足を止め、観念したように振り返る。


「私の監視役なんでしょ?」

 ソアラは肩に掛けていたショールを抱え込んだ。

「安心して。こんな夜じゃ一人で行動したって迷うのがオチよ。……あなたに探させたのは悪かったわ。ちょっとカイセイと話してた……だけ」

 語尾が震える。ソアラは顔をショールで隠す。


「……風邪ひいちまう」

 那由他は羽織を脱ぎ、ソアラに被せる。ソアラは少し照れるも、つんとすましている。那由他は背後から顔を近づけた。

「このタイミングで来たのは、偶然、じゃないよな」

「!」

「千久楽中から人が集まる祭祀の日を見込んだ。……快晴(あいつ)を探すために」

 ソアラは那由他から体を離した。

「そうよ、嫌になるくらい勘がいいのね。ただ者じゃないとは思ったけど」

「どう致しまして。自分でも時々うんざりするんだ」

 那由他は骨組のしっかりした肩をすくませた。


「いつからなの? ……あの二人」

「え? ……ああ、何つぅか……その辺は微妙だけどな。会ったのは春みたいだな」

 そう……と言ってソアラは夜空を見上げる。

「一足遅かったのね」

 

 木々の合間から降り注ぐ星の光。こんなにも美しい星空を、地上で見られる所がまだあったなんて。

 なぜだろう。SSCで見た時よりも美しく感じる。あまりに美しく、眩しくて、鋭く心に突き刺さる。星の光はいつだって変わらないはずなのに。

「お前らは似てるよ。そうやって、一人で処理しようとするところが、さ」

「似てるから、分かるの」

 快晴も自分も、己の気持ちを持て余している。誰にも明かせないまま、小さな炎が胸にくすぶり続けている……


「ソアラ」

 那由他が呼びかけるもソアラは上を見たまま息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。星が流れるより速く、涙が一粒ソアラの目からこぼれ落ちる。跡形もなく闇に消えた。

「お前が良い時に呼びな。いつでも胸貸すぜ?」

 そう言って胸を張る那由他の耳にソアラの溜息が聴こえた。

「……ただで済むとは思えないけど」

 ソアラは正面を向いて背伸びをし、不敵の笑みを向ける。那由他も首をもたげて、ニッと返す。篝火の光が横から射し込み、那由他の眼の奥を照らし出す。


 ソアラはしげしげと那由他の眼を見る。

「あなた……よく見ると眼の色が違うわ」

「お、よくぞ気付いてくれた。みんなと視線が合わないから気付かれないんだ。まあ、眼の色が薄い奴ならここでは珍しくないけどな」

「そうなの? 東洋人は黒髪、黒目が当たり前だと思ってた」

「そいつは西洋人の偏見。千久楽は辺境だからな。そういう土地には同化を免れた奴らが残ってるってこと。眼が薄いのは北方の流れかな。彫だって深いだろ? ま、お前には負けるけど」

「それって……ほめられてるのかしら」

「そう、魅力的ってこと」

「……悪い気はしないわ」

 

 気を取り直したところで、ソアラは思い出したように尋ねる。

「ところで。どうしてそんなに英語が堪能なの? カイセイはともかく、ここの人達はさほど慣れてるとは思えない。あなた……もしかして都市(ユグ)に?」

 ご名答、と言う風に那由他が指差す。

「ついこないだまでな。語学留学てのはタテマエ。ちょいと見聞を広めに」

 ソアラは拍子抜けしたように見つめる。

「変わった人。ユビキタス・システムが普及して、移動しなくても全て事足りるようになった世の中よ? まして移動には汚染というリスクが伴う。そこまでして――」

 言いかけて、ソアラは口をつぐんだ。

「そこまでしても知りたいことがある。自分の五感をちゃんと使って。お前だってそうだろう?」

 那由他の問いにソアラは頷く。


「沈黙の春が来てから、わざわざ千久楽を出ていった奴らがいる。今、お前が言ったのと同じ。なんで出ていくのか、千久楽の外には一体何があるのか……この目で確かめたかったんだ」

 那由他は煙る息を夜空へゆっくりとくゆらせた。


 時村先生、そして紫野(しの)――先生は帰ってきた。那由他より一足先に。前に偶然顔を合わせたものの、詳しい話はまだ聞いていない。

 

 紫野はどうしているだろう? 旦那の帰りを待ちながら、エプロンをし、鼻歌を歌って夕飯の支度をしている。……そんなありふれた姿を、紫野に関してはどうも想像出来ない。

 

 那由他が苦笑しているのをソアラは不審そうに見る。

「それで、肝心なことは分かったの?」

 ああ、と言って那由他はすぐ側の幹に寄り掛かる。

「千久楽に比べたら、都市は進んでるのなんの。娯楽はあるわキレイだわ、不自由ないわ……便利なもんで危うく引きこもりになるところだった」


 まさか、と思うソアラの眼前に、那由他は人さし指を立てる。

「見えない光さえあれば距離なんて存在しない、だろ? 仕事だって買い物だって恋愛だって……そう、あれだ、会わずに恋愛して、その場で服脱いでコトが済むって話。疑似体感てすげぇよな!」

 ソアラは黙り込んだまま、そっぽを向いている。

「子供なんていらない。政府だって人口減らしたいくらいだから、出生率なんてとやかく言わない。結婚に縛られることもなし。相手変えていろいろ試せるんだ。男としては願ったりのしちゅえーしょんだな。くっくっく……」

 にやつく那由他を前に、ソアラが不機嫌なのは明らかである。

「あとくされもお荷物も、後に残るものは何も無い。消したきゃ履歴ごと消せばいい。クリーンかつスマートで…まぁそれでも、俺はごめんだけど。多少面倒でも、女抱くなら生身がいい」

 

 握りしめていた拳を緩めて、ソアラは深く溜息をついた。なんだかひどく損をした気がする。どんな話をしていたっけ?

「……人間の叡智の結晶、世界樹というシェルターの元で、人々はやっと平和と安息を手にした。今では沈黙の春はそのきっかけだったとさえ言われてるわ」

「は、平和ぼけもいいところだぜ。事はなんにも終息しちゃいねえ」

「そうね。ゆくゆくはシェルターの外を浄化して、元に戻るのが本当だわ。そのために、私たち研究者は日々研究を重ねてきたけれど……正直、見通しは立たない。手の施しようがないとさじを投げる者もいる。政府は公式な見解こそ出してないけれど、シェルターを(つい)の住処にしようという動きに着目して、密かに後押しさえしている」

「終の住処だって? 冗談だろ、俺には収容所に見えるぞ」


 那由他は足を組み直し、浮いた体を再び幹に沈める。おもむろに上を見上げた。

「飼いならされて永らえるか、自由に生きてすぐくたばるか……どっちがいいんだろうな」

 ソアラも見上げる。星は相変わらず輝いている。ソアラたちの話にこぞって聞き耳を立てているように。


 一つの確信を得てソアラは那由他に目を向ける。

「あなたの見た〈外〉はどうだったのかしら?」

 一度沈黙してから、那由他はかくん、と頭をもたげる。

「……キレイだった。笑っちまうくらい植物だらけで。ああ……あのむせ返るような葉っぱの匂い。防護服越しで薄まったってまだ濃いな。一気に目が覚めたよ」

 

 薄明の空の下を埋めつくす、一面の緑。所々に傾いた巨大な四角柱。隙間から覗く肌を見れば、それがかつての高層ビルだと察しがつく。外壁は剥がれ、その上につる性植物がはびこり、遺跡じみた風体をさらしている。

 

 息をのむ。異様な光景だ。それでいて悪くもないとも思えるから複雑な気分だ。人間の文明の上に築かれた植物の王国。あと百年も立てば、すっかり原始に戻ってしまうかもしれない。


「大地が芽吹き、森が出来ても、それは〈死の森〉よ。地上で出来たものを採って食べれば、内部被ばくする。最初はなんでもなくても、蓄積されて、気付いた時には手後れなの。幼い内に死ぬか、生きても短命。このままでは外に残された人達が絶滅するのも時間の問題だわ」

「絶滅……とはまた。」

「私達がデータを集めて訴えても、政府は重い腰を上げようとしない。公表さえしないわ。ううん、それ以前に、都市の人達が外への関心を失ってしまってる。いえ……忘れたいのかもしれない」


「無かったことにしたいのさ」

 那由他はそっけなく言う。

「あまりに悲しみが深いと脳はその苦痛をなんとか忘れようとする。一種の防衛反応てやつ。頭でっかちになりすぎた人間の宿命だな」

 ソアラは胸元のクロスをぎゅっと握る。

「私は外がどうなっているか知ってる。……つもりだった。私の所属するチームは現地調査でよく回ったりするのよ。保護を受けずに朽ちてゆく人々を目の当たりにする。最初は眠れなかったりしたけど……この状況を改善すべく自分達は仕事をしているんだって気持ちを律してきたわ。でもね、時々気付いて恐くなる。いつの間にか慣れてしまって、鈍感になっている自分が」

 

 人の意志とは裏腹に、時間は流れ、淀みを薄めていく。感覚も記憶もあいまいに……そうして人は悲しみを忘れ、同じような歴史が繰返されてきたのだろうか。


「歩いていると遺体を見つけることもある。供養もなく、そのまま放置してあるわ。……そういう時は、立ち止まってしばらく祈りを捧げる。それから、歌を唄うの。それはきっと自分への気休めでしかないけれど……唄わずにはいられない」

「……」

「ナユタ、人はとても孤独だわ。同じ場所にいるのに、背中合わせで違う世界を見ているの。それは人の心がそれぞれ違って、決して交わることがないから。……隔たった宇宙に生まれて、ひっそり死んでゆく。あの星たちみたいに」

 

 ソアラは指をかざした。ここから見ると隣り合っているようでも、実際には何十光年と離れている星たち。しかし、その莫大な距離を捉えることができず、人はすぐ側にあるように錯覚する。 

 

 那由他は夜空に手を伸ばし、月を両手で包み込む。

「本当の意味で触れない、ってことか。結局どんなに体を合わせたって、相手がどう感じてるかは想像するしかねえもんな。ああ、今すげぇ気持ちいいんだろうってくらいに」

 ソアラは溜息混じりに言った。

「あなたの見ている世界は、とにかくそういう世界なのね。……うらやましいわ」

「なんだ、お前の世界は違うのか?」

「違うわよ! 全然」

「ちっ、見たように言いやがって」

「……見えるのよ。何となく」

 唖然とする那由他の表情をじっとみつめ、ソアラはゆっくり深呼吸する。そして、私にはおかしな力がある、と切り出した。

 

 ソアラの見る世界は、いつも光で満ちていて、夜も明るく白夜のようであること。

それは人には見えない光が見えるからで、その光を使って人の心を捉えたり、時にはそれらを収斂し、発動させることで、声のように空気を震わすことなく、思念を相手の心に直に伝えることが出来ると言う。

「……まじかよ」

「普通にしていれば何となくしか分からないわ。あなただってその場の空気を読むことがあるでしょう。雰囲気とか、そういう感じよ。触れれば心を繋ぐこともできるけど……相手次第ね。それに私自身、人の心をむやみにこじ開けたりしたくない」

 

 この力を恨んだこともある。見えないはずのものを見、それなのに、分かち合うべきものを分かち合えず……人と違うことは幼いソアラにとってあまりに辛かった。

 隠し続けてきた本当の自分。どうして伝えられるだろう。自分が寄り添う、あらゆる光の彩り……何より美しいこの世界を。

 

 人の中にいても、孤独はソアラにまとわりつき離れようとはしなかった。気がつけばいつも唄っていた。孤独を眠らせるための子守唄を。

「そっか……お前も、人には見えないものを見てきたんだ」

「お前も……?」

「ふと吹いた風で先が見えちまう。見えるというか、~になるような気がする、って感じだけど」

「予知……ということ?」

「たまに過去を見ることもある。風向きしだいかな」

 

 その意味を探ろうとするソアラに、当ててみ、と言って那由他は手を差し出した。

「今、俺の考えてること」

 大きな体に見合うだけの大きな手を、ソアラの細い指がふわりと包み込もうとした。

「待った。そういや見られちゃ困るものがあったんだ」

「怖じ気づいたわね」

「※秘すれば花なり。月だって裏が見えないからそそるんだ。お互い謎がある方が、また逢いたいって思うだろ?」

 つんと澄まして、ソアラは歩き出す。

「……どうかしら?」

「この世界は人が見ている夢。愛なんてものは錯覚。みんな分かり合えないまま終わっちまう……けどそれでいいじゃねえか。だから埋めようとするし求め合うんだ」

 那由他は咳払いをし、胸を反らす。

「※万有引力とはひき合う孤独の力である。そう言った偉大な詩人もいたという……」

 ソアラは耐えかねたように笑い出した。

「あなたっておかしいわね。妙な説得力があるじゃない。フラフラしても最後に筋は通していくのね。まるでおもちゃ箱と宝箱がごっちゃになってる人」

「はぁ?」

「だから。サンタクロースの正体が怪盗だったってことよ」

 那由他は不満そうに地面の小石を蹴った。

「俺はペテン師かよ」


 那由他が歩き出すと、ソアラの笑い声が遠ざかっていく。那由他が行くぞと手で示すと、ソアラは笑みを殺しつつ首を振った。

「もう少し、風に当たっていくわ」

「……了解。向こうで待ってるぜ」

「ありがとう」

 

 数歩進んで振り返ると、ソアラは羽織に籠りながら再び空を見ていた。息がほんのり煙る。琥珀色の眼は何を映すのか――那由他も空を見上げた。

 

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※秘すれば…世阿弥「風姿花伝」より

※万有引力とは…谷川俊太郎「二十億光年の孤独」より

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