夜伽話
*
何度かの寝返りの後に、ソアラは諦めて、そっと呼びかけた。
「ドクター、起きてる?」
ドクターはまどろむ目を開け、横に向ける。
「……眠れないのかい?」
カーテンから漏れるわずかな月明かりが部屋の輪郭をかろうじて描きだしている。幼い頃のソアラなら、この程度の光でも真昼ほどに感じたに違いない。
安眠のため、ソアラだけがSSCでも唯一、紫外線や可視光だけでなく、電波さえ完全遮光する部屋に寝泊まりしていた。小さな部屋に一人になる不安で、ソアラは毎晩のようにドクターを呼んで、眠れるまで側にいて欲しいとねだったものだった。
微笑ましい思い出にドクターは頬を緩めそうになったが、ふとこのような当時の心配に駆られた。
しかし数年前に自分が開発に臨んだ特殊虹彩レンズがソアラの目を守っているはずで、もうどの場所でも安心して眠れるはずだった。
布団から半分だけ顔を出し、じっと見ている様が、幼い頃のソアラをほうふつとさせる。
「何かお話して?」
「?」
ドクターの反応を待ってソアラはもじもじとしている。
「子供の頃は眠るまでお話してくれたわ」
やれやれ、とドクターは息をつく。
「君はもう大人じゃないか、ソアラ」
「たまには童心に帰りたい時もあるの!」
ソアラはぷいっと違う方を向いた。
「それに……ドクターとこうしてるの、久々なんだもの」
ドクターは微笑む。
「……そうだね。君は工学棟で、私は医学棟で、離れて暮らすようになってから、なかなか顔も合わせないからね」
「私は……一緒に暮らしても良かったのよ?」
ソアラはそっと呟く。ドクターはきょとんとした。
「もう君は年頃だし、こんなおじさんが近くにいたら、周りの男性も近づきにくいだろう?」
「別にっ……」
「君の評判はすみっこの我々のチームにも届いているよ。特に、幹部に引き抜かれたらしいじゃないか。うまくやってるかい?」
「……たいしたことじゃない。ほんの小間使いのようなものよ。本業の妨げにもならないし」
「それならいいが……君が順調にやってるみたいで安心したよ」
「……」
少しの沈黙の後、ドクターは「ソアラ」と呼びかける。
「起きてるわ」
「君は、もうカイセイのことは忘れていると思った」
「……」
「極東視察のパートナーが君と聞いた時はまさかと思ったが……そこまでして彼に逢いたかったのかい?」
ソアラがちらっと横目でドクターを見る。
「あきれた?」
ドクターはゆっくりと首を振るう。
「わたしも人のことは言えない」
ソアラの目がみるみる大きくなる。
「もしかして、イクオ博士のことを?」
ドクターは頷く。
「そう、ヒナタはいつも愛おしそうに故郷の話をした。海もないのに、なぜか風が絶えない場所だ、とね」
その手の中に、彼と似た幼い寝顔があった。
「それで彼の故郷であるチクラを尋ねてみたいと、かねてより思っていた。……彼らを育んだ土地は、やはり素晴らしかった。聞いていた以上に」
「そうね。なんかほっとする。全然違うのに、不思議。それでもどこか似通うような……エールにいるみたいに懐かしいような気持ちになるわ。西の果てと東の果て…離れた双子みたいに似るものなのかしら」
「そうだ、エールと言えば。君は〈緑の子供たち〉の話を知ってるかい?」
「ん……たしか肌が緑色の?」
「そう、緑の子供たちは兄妹で、地球内部の国からやって来た。兄は早くに死んでしまったが、妹は生き延びて、体の色も周囲と変わらなくなって、リン王と結婚したという言い伝えだ。他にもアガルタという地下世界の存在や、バード少佐がたどり着いた極地の果ての異境も……世界各地に決まって、そういう地下伝説が残っているんだよ。洪水伝説みたいにね」
「ふぅん……なにかしらの根拠がありそうね」
「チクラも地下が発達している土地だ。石灰岩質の土地には鍾乳洞が発達している。岩石の間から空気が吹き出す〈風穴〉もあったりする。それこそがチクラの風のありかではないか、とヒナタは考えた」
「でも、発見できなかった…?」
ドクターは苦笑いする。
「二人で色々考えたあげく、行き詰まって、ワームホールから吹いてくるのかな?なんてことにしてしまった」
ソアラは苦しそうに笑う。
「二人とも、ちゃんとした学者のくせに空想じみてる」
ソアラは一息ついて、ドクターに笑いかける。
「それにしても……二人して同じ方向を向いてたなんて」
ドクターも頷く。
「二人して失った者の影を追い続けている。ヒナタは帰らないがカイセイは生きている。君は会って、それから……どうするつもりだい?」
しばらくの間があった。ソアラは瞼を開ける。強い眼差しだった。
「取り戻すわ。私達、また3人で暮らせる。この任務さえ済んだら……」
――いえ…………あの子は?
舞を見た時のことを思い出す。互いの心を求め合う舞手達。血の色の糸が絡まって……もう解くことは――
「ソアラ?」
ドクターの呼びかけにハッとする。
「ううん……何でも、ないわ」
おやすみなさいと言って、ソアラはくるりと背を向けた。
「私は君の味方だ、ソアラ……」
優しくて、心配そうなドクターの声。涙がとめどなくソアラの頬を伝い、枕に染みていく。




