再会
肩をぽん、と叩かれる。その手の感触だけでドクターだと分かる。しかし言葉にならなかった。ソアラは一点を見ながら呆然としている。
ドクターが同じ方に目を凝らすと、双角の面を手に抱えた少年が、空いた方の手で額の布を解き、汗を拭っていた。半信半疑でソアラを見ると、その琥珀色の眼は確信に満ち、幾分滴っていた。
快晴は顔を上げる。今、ふと、何かのイメージが浮かんだ。気がした。
――?
不審に思い、辺りを見渡す。なぜか周囲が薄皮一枚で隔てられているような違和感がある。快晴はとっさに身を固くした。
――まさか、こんなところで!
悪い想像が先行する。気づかないうちに、こないだのような幻覚に再び捕われていたとしたら。
駆け出そうとしたその時。どこからか歌が聴こえてきた。
※ Mo ghrá thú--, den-- chéad fhéachaint, Eileanóir--- a Rúin…
いや、そうではない。もっと近く……自分の中に、それは響いている。
Is-- ort a bhím ag-- smaoineadh, tráth a mbí--m i-- mo shuan. …
体の中に波紋が広がっていくのを快晴は感じた。次々と現れては、重なり、解けあう。音でも、形あるものでもない。それはまるで、心の中でこだまする光のシグナル。
A-- ghrá-- den-- tsaol, 's a chéad-- searc, 's tú is deise ná-- ban Éi--reann. …
光の向こうに、見覚えのある姿。
彼女はやがて立ちすくむ快晴の前まで来ると、歌を止め、横目で見つめる。
見透かすような、琥珀色の眼。長いまつ毛。あの頃と少しも変わらない。しかし、間近で見る少女の姿は思っていたよりずっと、大人びていた。
細身のシルエットに、女性らしい豊かな線を描き、自然と目を引きつける。長く編んでいた髪も、今は肩につくかつかないかで、くるんと巻いている。
快晴が口を開こうとすると、細い指が唇を制した。
「夢、なんて言わないで」
快晴の手から抱えていた面が滑り落ちる。代わりに腕に飛び込んで来たのは懐かしい温もり。
「ソ…アラ……?」
体を解くと、ソアラは快晴の両の頬に軽くキスをする。
「……ずっと会いたかったわ」
亜麻色の髪を通してもう一人、見慣れた姿を見つける。快晴の口から親しみのあるフレーズが次いで出る。
「ドクター……」
ドクターもこっちへ向かいつつ、手を軽く上げ、会釈した。
「二人とも、どうしてこんなところに」
ソアラとドクターは顔を見合わせ、少し困ったように快晴に笑いかける。
「私たち、今は世界環境研究所に所属してるの。……この数年で外の世界の状況に向上は見られないわ。このままではさらにたくさんの人が死ぬことになる。それを食い止めるため、私たちは日々研究を重ねてきた。モデル地区があるという噂を聞いて、なにか着想を得られたら、と思って来たの」
快晴の後ろできょとんとこちらを見ている少女がいる。さっき舞っていた時の印象と違い、ずいぶんあどけなさが残る。ソアラは快晴にこっそり尋ねた。
「……誰?」
「パートナー。祭の」
「古典的ね、あなたの故郷って。びっくりしちゃった」
異国語のやりとりに自ずと周囲の視線が集まっている。そこに割って入ったのは、年配の使う方言だ。
「なんだぁ、舞手の知り合いだったべか? んなら今夜は前祝いだ。一緒に、なぁ?娘さん」
老人はソアラをじっと見てにこにこしている。ソアラも愛想よく微笑み返した。快晴が老人とソアラ達を交互に見た時、宮司が前に現れた。
「せっかくだ快晴、今夜の宴会に二人も同席してもらおう」
快晴は宮司を見据える。その表情を確認すると、一呼吸置いてから頷いた。
「……承知しました」
*
祭の準備も整い、翌日に控えたその夜。
いつものように外に幕が張られ、座敷が設けられた。祭祀関係者、十数名が正装で円陣で座り、その前にお酒と食事が用意されている。それぞれにつまみながら雑談を交わしている。
大人だけでなくちらほらと間人の姿もある。聡、深鳥、そしてソアラ達を下宿させることになった、同級生の蒔もいる。蒔も今夜は正装をして深鳥の横で話を盛り上げている。
向かい側には大人達に混じって快晴が座り、その横にソアラ……ではなく、なぜか那由他が間に入り、隣にソアラ、ドクター、宮司……といった具合である。
「この人、あなたの後見人ですって? カイセイ」
「……」
「そ、こいつが小さい頃から色々教えてやってたんだ、な?」
「……何をだよ」
「素直じゃねえんだよなぁ……ソアラ、こいつとSSCの馴染みなんだって? そん時からこんなひねくれ小僧だったのか?」
気分よく笑いながら、那由他は両腕を広げ、快晴とソアラを抱え込む。ソアラは小さな悲鳴を上げ、目の前の、同じようにうんざりとした顔に訴えかける。
(ちょっと、何なの? このずぅずぅしい男は!)
(……気に入られてるみたいだな)
(あなたから迷惑だって言ってよカイセイ!)
二人の小声のやりとりに那由他は少々不満気味である。
「お二人さん、俺を無視して見つめあうなよな……ちっ」
その様子を隣で見ていたドクターは、頬をほんのり赤くしてソアラに笑いかける。反対にソアラはぷいっとそっぽを向いた。
「そうそうソアラ、ナユタが通訳で君に付いてくれるそうだよ。良かったじゃないか」
ソアラはガックリした。隣で快晴の同情の視線を感じた。
「なーにしてんの?深鳥ちゅゎん」
神社の中庭でしゃがんでいるのを、蒔が後ろから覗いた。深鳥は指先でナナカマドの朱い実を揺らしていた。
「いよいよ明日が舞納めだね。仕上がりはバッチリ?」
深鳥は連なる小さな実を見ながら、そっと立ち上がって、蒔を見つめた。
「蒔ちゃん。」
「ん?」
「あのね……」
深鳥は再び俯くと、左手を右手で握りしめる。
「もっと……上手く舞えるようになりたいの。でもどうすればいいか、分からなくて」
「幾生君が何か言ったの?」
急いで首を振る深鳥。
「快晴は……何も言わない。何かそぐわないことがあれば言ってくれると思う」
蒔はきょとんとする。深鳥の目を覗き込む。
「快晴の、笑顔が見たいの。舞がもっと上手になれば、少しでも……心が和らぐかなって…」
墓地での一件以来、快晴は庭に来る時間をずらすようになった。会ってもあまり深鳥の方を見ない。舞のアドバイスを頼んでも、以前のように直に手直しするわけでなく、座って見て、ニ三言を口頭で指摘するだけで終わりになってしまう。
深鳥は舞の練習で、快晴は竹刀の素振りで、お互い休憩に入っても、大木の幹を背に、快晴は深鳥の真反対に座る。深鳥がこっそり見に行くと、快晴はぼーっと空を見つめたきりだ。
何か話しかけないと、と思うのに、何も浮かんでこない。快晴に質問したいことはいつだって、いくらだってあるはずなのに。
――何か……出来ないの? 私が、
快晴のために出来ること。
深鳥の思いつめた表情を、蒔はじっと見つめる。
「うーん、そだねえ……風に見初められた娘が風を想い、風に身を任して舞う…て内容でしょ? 要は、愛しい人の腕の中ってやつね?」
蒔は恍惚の溜息とともに、自分の手で自分の頬を抱え込む。
「愛しい?」
「そう、愛しい……誰よりも大切な人だよ。深鳥は誰をそう思う?」
「おばあちゃん、お母さん……」
「ノンノン! 男の人でだよ。お父さんはナ・シ」
「……快晴と…」
「ヨシ」
指折りしていた手を止められ、深鳥はその手をしばらく見つめる。
「幾生君のコト、考えながら舞ってみたら?」
「快晴……を?」
「そう、舞ってさ深鳥、私はちゃんとした知識無いけど、世界共通だと思うんだ。みんな、舞う時は花になるんだよ。私を見つけて、私を愛でて……って。誘惑するんだよ。愛しい人に向かって」
「……ユウワク?」
「あ〜〜もう私らしくないこといっぱい言うけどっ、それは宴会の席だからとして……」
照れ隠しに、蒔はじっと聞き入っていた深鳥の背中をぽんぽんと叩く。いたずらっぽく片目を閉じた。
「ガンバレっ、花おとめ!」
深鳥はいっぱいに微笑んだ。
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※「Eileanóir a Rúin」…いとしのアイリノール / lyrics by Cearbhal Ó Dálaigh




