表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
41/116

使者

いよいよソアラ&ドクターの登場です。

しばらくソアラ目線。


 *


  ――眩しい……


 ソアラは思わず目を閉じる。少し待ってそうっと開けてみる。……大丈夫。ちゃんと色を感じる。

 

 世界は一瞬で翼を広げた。地下特有の圧迫感から解放され、自然と溜息がこぼれる。長い長いトンネルだった。

 

 ソアラは長い睫毛を上下させてあらゆる方向を見る。焦点が合うのもしっかり確認する。どこもかしこも似たような眺めだった。緑――それだけが今、視野を占めている。目を閉じたなら、身を包まれるような優しい空気が体の隅々まで行きわたるのを感じる。


 改めて見ると、緑という色の中でも少しずつ違いがある。大地のでこぼこや森の茂みで生まれる濃淡、ひしめき合う植物たちの醸すそれぞれの色合い。畝が作り出す模様、実った穂がひるがえり、ちらちらと現れる金色。絶妙に編みこまれた美しい緑の織物だった。

 

 ソアラは少し疲れたように車窓に頭をもたげる。亜麻色の髪が落ちてきて視界を狭くする。髪をかき上げ、二、三度瞬きをする。


  ――見渡す限りのグリーンフィールド。どこか昔の故郷(エール)に似てる……


「ここがチクラ。きれいな所ね」

 自分を呼ぶ声に気づいて、ソアラは返事の代わりにそう答える。

「新しいレンズの具合は良いようだね」

 傍らにいた連れが覗き込むようにソアラを見る。

「まだ地上の光に慣れないから眩しい感じは残るけど、問題ないわ」

「長い地下鉄だ、本来なら誰もそう感じるはず。心配はいらないよ」

「だーいじょうぶ。何の遠慮もしてないわ? ずっとモニターだもの。何かあればしっかりダメ出しする」


 ソアラはくすりと微笑む。連れの手元に浮かぶ画面をつぃと指先で横取りし、表示された地図を指でたどる。

「これがpointX?」

 設定したマークがほんのり光っている。すらりとした指先が示す地点には何の表記も記号もない。連れはひげをさすりながら、ふーむ、とこぼす。

「この土地は、なんせ地図に載ってないし、風の対流に阻まれて空からも陸からも近づけない。この地下鉄も廃線扱いになって久しいし、それ以前の履歴も抹消されていた」

「幻の秘境ね」

「極東のバミューダとはよく言ったものだよ」


「ねえ、ドクター見て。あの辺はもう刈った跡。あれは小麦?」

「ああ、あれは米だ。チクラはほぼ自給自足が成り立つらしい。隔離されても豊かな土地のようだね」

「ふぅん……エールの小麦はすぐ弱ってしまうのに、なぜここは無事なのかしら。地理的条件は似ているのに」

 どちらも世界の最果てに位置し、孤島ときてる。緯度も大差はない。となればあとは土の問題だろうか。

「カルスト地形、だったかしら」

 

 この辺りの地質は石灰岩で、およそ三億年前は海の底だったと聞いている。珊瑚の小さな島が陸地にぶつかり隆起した。そのおかげで古生代の生命の痕跡がこの石灰岩の中にしっかり保存されている。

 とはいえ、それが農業に直接的な恩恵になるとは思えない。むしろアルカリ土壌に悩むのではないだろうか。

「エールと決定的に違うのはね、チクラを含むこの列島一帯は、毎年信じられない程の天災に見舞われる。台風や集中豪雨、地震や火山の噴火……」

 ソアラの顔が引きつる。

「住めたものじゃないわね」

「その代わり、肥沃な土壌と季節の変化がもたらされる。北から南まで、植物の種類もそれを得る生態系も豊かだ。風景も素晴らしい。世界遺産をやたら抱えるだけのことはあるね」

 溜息を隠すように、ソアラは頬杖をつく。

「〈沈黙の春〉以前なら……の話でしょう?」

 ドクターはソアラの肩に軽く手を置く。


 かつてはエメラルドの島と呼ばれた自分たちの故郷、エール。なだらかな緑の丘とおいしそうに草を()む羊たち。記憶の中で生き生きと輝き続ける風景も、今では荒れ果て見る影もない。当然、この島々も同じような運命をたどっているはず……なのに。


「物事には、いつもどこかに例外がある」

 ドクターは眼鏡を外し、ハンカチで拭き取る。それはずいぶん前にソアラが誕生日にあげたものだ。

「データは十分でないが、少なくともチクラに〈沈黙の春〉は来ていないし、嬉しいことにいい温泉も出る」

 ソアラが飛び起きる。

「すてき。天然の温泉なんて! でも……どう考えてもわからない。あれだけの汚染をどうやって」

「聞けば、この風がこの土地を守っているらしい」

「……風?」

ソアラは訝しげにドクターを見る。冗談、ではなさそうだ。

「たしかにさっきから風がすごいけど……自然現象だけで片づく話? 何か人工的な設備があるとか?」

「さぁ……残念ながら、そこまでは辿れなくてね。どうもその辺のことになると政府はうやむやにしてしまう」

「自分たちで確認してこいってことね。それで後からデータだけは搾取するのよ。ずるいわ」

「少なくとも、世界中で空が白濁化している中、これだけの透明度を保つとすれば相当な風の力だ。地上でこれだから上空はもっと凄まじいだろうね」

「自然の青い空なんて、もう拝めないと思ってたわ」

「チクラの人々は昔から風の神を信仰してきたそうだ。その気持ちも分からなくもない」

 ドクターは息を吸い込むと、ゆっくりと戻していく。心地よさそうだ。

精霊信仰(アニミズム)。……原始的な響きね」

 少し呆れたように、それでいてどこか懐かしむようなソアラの声音。


 かつてエールにもいたはずのたくさんの神々。いつの間にか隠れてしまった。

……妖精(シー)となって。それは澄んだ子供の眼だけが見ることができるという。ソアラにはもう、見えない。

「海も無いのにどこから吹いてくるやら。世界の状況を向上させるのに何か手がかりが得られるといいんだが」

「それこそ神頼み、ね」

 ソアラもドクターを真似て思いっきり息を吸い込んでみる。たしかに美味しい。体が洗われていくみたいだ。

 息を抜くと、再び車窓にもたれかかる。金色の穂波、緑に埋もれ点在する家屋、遠くに見える白い風車。ゆっくりと流れていく美しい絵画を、どこかへ押し込めたいと思う自分がいた。

 

 目を閉じる。それがてっとり早い方法だった。代わりに架けるのは切り取られた記憶のかけら。胸をくすぐる、大切なあの笑顔。

「あの子、どこにいるのかしら……」


  ――Far east……ここは遠すぎる。早く一緒に帰りたい。







 ソアラとドクターを駅まで出迎えに来たのは、かしこまった出立ちの二人だった。

中年の男性と少年……二人は親子で、風の神の社に仕える者だと言う。

 

 ミヤモリと名乗る男性は、歩きながらこの土地についてかいつまんで話してくれたが、途中幾つか質問を挟むと、通訳を紹介するのでその者に改めて欲しいと言われた。

 それは遠回しにその内容を避けたのか、あるいは慣れない言葉で十分な説明が出来ないと案じたのか……それ以降、ソアラとドクターはただ黙々と彼らについていった。


 立ちはだかった屋敷林を前に、ソアラは心ばかりのけ反る。見上げれば圧倒される高さにも関わらず、どこも均等に向こうが透かし見え、手入れが行き届いている感がある。緑の城壁……とソアラは思わず呟く。

 

 城壁内へ入ると木で組まれた門があり、その先に一風変わった大木を見つける。幹はくねくねとして、針のような葉っぱが放射線状に開いている。生きた化石のような珍木である。

 しげしげと見ながら、茅葺き屋根が重厚な、立派な家に入った。しばらくここが滞在先になるのだ。

 

 家主に簡単な挨拶をした後、案内人たちはその家の娘に何か言付けをしてから、その場でソアラ達に一礼し、引き返していった。


 ドクターは靴を脱ぎ、片側に寄せる。ソアラもそれに続く。ドクターの真似をしていればまず間違いがないことをソアラは知っている。ソアラが立ち上がると、座って待っていた少女も立ち上がり、控えめに笑いかけた。

「二人の部屋に案内します。荷物はそこへ」

 ソアラも少女に向かって気さくに微笑みかけた。

「ありがとう」


 離れに通され荷物を置くと、ソアラはふと思い出し、少女に尋ねてみた。

「あの……温泉て、どこかしら?」

「……? えと、それはまだ準備が」

 時計を何度も見、困惑する娘の表情に、ソアラも何かがかみ合ってないと気づく。 夕食の前に、温泉で旅の疲れと体の汚れを落としておくというのが、Ygg-7や千久楽を含むこの列島を旅する時の習いだと、いつか資料で見た気がするのだが。

 

 その時、隣でふっと笑い声がこぼれた。

「Spaは温泉のこと、なんだ。きっと食事のSupperに聞こえたのでは?」

 ドクターがゆったりとした口調で話す。英語ではない。

「え? ……あ」

 少女きょとんとしてドクターを注視する。

「簡単な言葉なら分かる。お互い、良い勉強になる。よろしくね」

 そう言って、ドクターは手を差し出した。それが握手だと気づくと、少女もすかさず手を出した。


 ソアラより幾つか下であろう少女は、顔を紅潮させ、はい! と元気よく答えた。

さっきまでのおとなしい感じとは違って、今は明るくふるまっている。こっちが本来の彼女なのだろう。ソアラの視線を感じ、ドクターは片目を閉じた。

「片言しか無理だがね」

 そうじゃなくて、と言いたかったがソアラは口をつぐんだ。

 

 普段のドクターといえば、着るものも構わず、髪も寝ぐせ混じり。もっとこう、ぼさっとした感じなのだが、旅先とあってそれなりに振舞っている姿を見ると思わずはっとしてしまう。

 

 ドクターはれっきとしたソアラの主治医であり、また家族でもある。片言くらいなら何か国語も話せるし、人当たりが良く、どんな環境にも溶け込んでいける。

 口には出さないが、ソアラはドクターを尊敬しているのだ。だからこそ、こんな風にいつもしゃんとしてくれたらいいのに、と思ってしまう。

 

 とその時。廊下を大股で歩いてくる音が聞こえた。

「まっきー、もう客来てる?」

 少女が慌てて立ち上がり、障子を開けた。

「悪いな。宮司から明日からの日程、預かって来たんだ。代筆してあるのが客用。こっちはお前が持っとけ」

「ありがと。にしても乱れてるねぇ」

「祭で乱れる男もいいだろ。惚れるなよ?」

 少女は笑いながら、肘で男の腕をこずく。


 男は長押(なげし)に片手をかけ頭だけくぐらせた。「どうも」とこっちを見て笑う。

「……ドウモ」と返すソアラ。それくらいは知っている。それにしても大きな男だ。ドクターよりも高い。

 

 浅く脱色した髪は後ろに束ねられ、小さなしっぽを携えているかのようだ。細いリングピアスが片耳にちらっと光って見えた。よほど派手に動いたのか、前合わせの衣がはだけている。男と視線が合うと、ソアラはぱっと視線を外した。

「俺は那由他。Nayuta Araya. お見知りおきを」

 手が差し出される。これまた大きい。ソアラもその手を取る。

「Solas O'Brien. 世界環境研究所の研究員よ」

 続いてドクターも握手を交わす。

「Walter Grimwood. 医者をしている。ソアラの付添いでね」

 那由他はふぅん、とドクターとソアラを見比べる。

「まあ、保護者のようなものだよ」

 ドクターは肩をすくめてみせる。

「なるほど」

 那由他も笑みを浮かべる。


 二人のやりとりをよそにソアラはじっと耳を澄ましていた。

「何? 音が聞こえる……」

「お囃子(はやし)さ。この土地では稲作の始めと終わりに祭をするんだ。今はその祭の準備をしてる」

 頭上から流暢な長文が降ってくる。ソアラは驚いて見上げる。

「あなた……上手なのね」

「ナユタ、でいいよ。ソアラ」


 いきなり略されてソアラはカチンとくる。見れば、向こうはソアラの反応を明らかに楽しんでいる。

 ソアラは那由他を睨んでみせたが、彼の高い位置からの笑みは、全てを丸め込むような優越を含み、目下の抵抗をたちまちに削いでしまう。

「なんなら案内しますよ?」

「………………」

 


 *


 混ぜ織のツイードみたく、人々の装いはまばらで、ざわついていた。それは身に覚えのある、祭独特の雰囲気。

 

 ソアラは舐めるように辺りを見渡す。文化や歴史の違いこそあれ、人間の行動はどこにいてもさほど変わらない。

 祭というのは人間の本能であり、着慣れた日常を脱ぎ、原始に戻る行為なのだと、ソアラはことあるごとに考える。

 

 思い出す……故郷のことを。ふと懐かしさが込み上げる。

 ティンホイッスルの音が妖精のように耳元で舞い、軽妙な音楽に乗って、正装した少女達が顔を見合わせては笑い、足を交互に打ち鳴らす。

 

 息をつくと同時に、ソアラは目を閉じる。ふつふつと逆立つ肌。じわりとにじむ汗。久々の心の高揚。極東の見知らぬ地でこんな心地になるなんて。


 陽気な話声と、度々沸き起こる笑い声。ソアラの足は自然にその歓楽の中心へ向かう。


  ――ダンス?


 それはまるでからくり時計を見ているようだった。男女一対の人形が無表情で向き合い、そこに大きな柱でもあるように、一定の間を保ちながら回る。

 ゆったりと体をひねり、手を延ばす。触れそうで届かない。回りながら近づくも、互いに逸れていってしまう。これでは堂々めぐりだ。

 その微妙なずれが面白いらしく、見物人たちは何やかんやと囃しては笑っている。

 

 滑稽で、けれども、どこか切なかった。間近にいながら決して触れ合えない二人。


  ――それが、もし現実だったら?


 ソアラは両腕を抱える。寒気がした。


  ――近くにいるのが分かってて、このままあの子に会えなかったら?

 

 それは想定しておかなければならないことだった。全てを承知で引き換えた自由。それでもわずかな調査期間に、無事会えるという確証はどこにもない。

 

 ソアラは我に返り、さまよっていた焦点を元に戻す。

 人形たちはとても儀礼的な動きをする。なのに、ソアラは彼らを隔てる透明な狭間に、血の通う、肌の温みのようなものを感じた。普通の人の目にはまず映らない。ソアラだからきっと、見えるもの。

 

 目を閉じる。その方が不思議とイメージは鮮明になる。

 祭囃子は聞こえない。彼らは無音の世界にいた。手先が、視線が、閉じ込められた心が、ちぎれた血の糸を手繰り寄せるように、互いを強く求め合っていた。

 

 突然、二人の足がぴたりと止まる。互いを見、ゆっくり体を離した。一連の所作からソアラには想像がついた。触れるはずのない手が触れたのだ。

 

 まもなく休憩に入った二人はそれぞれに違う方に歩いていく。その内の一人がソアラの方に歩いて来た。息をひそめ佇むソアラの横を、一陣の風が通り過ぎた。


「カイセイ――」

 不意にこぼれる落ちる言葉。なぜ今、その名前が出てくるのだろう。

 

 ソアラは慌てて振り返る。遠ざかる後ろ姿。すくむ足。体が震える。頭の中が混乱していた。


  ――カイセイ……カイセイ‥‥!


 鳴り止まないリフレイン。まるでいたずら好きな妖精が、ソアラの声を借りて耳元で囁くかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ