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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈風車の章〉
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雨宿り

 地上に出た時にはすでに土砂降りだった。薄暗く広がる草原の中に、いくつもの巨大な水溜まりが見える。ドリーネ、と呼ばれる大地の凹みに雨水が集まるからである。

 やがてその水は凹地の中心に吸い込まれ、縦穴(ジバス)を通って化石の森を潤すことになる。

「間一髪」

 快晴は息をついた。もう少し遅ければ洞窟内に水が満ちて帰れなくなるところだ。


 さて、どうしたものかと快晴が考えあぐねていると、深鳥が靴と靴下を持って先に駆け出した。

「おい!」

「あの木の下で雨宿りしよう」

 快晴が戻ってくるよう合図すると、深鳥は笑顔で手を振った。

「また捲れば大丈夫ー」

「……あのな」

 

 仕方なく、快晴も水溜まりの中に入っていく。深さは最深でも膝くらいだろうか。水は天から落ちてきたまま透き通り、沈んだ草を揺らめかす。

「待て。下に何があるか分からないからちゃんと靴は履け」

 たぶん快晴の忠告は聞こえていなかったのだが、深鳥は足を止めると、ぼーっと空を見上げ、やがて目を閉じて雨を受けた。それは気持ちよさそうに。

「何やってんだ」

 あっという間に追いつく快晴。慣れたものである。

「雨に濡れるの気持ちいいな」

「……」


 靴を履くように、と念を押してから快晴は深鳥を追い越した。深鳥もようやく靴を履いて後からついてきた。ばしゃばしゃと水を踏み分けていく。前を向いたまま、快晴が口を開く。

「前いた所、雨降らなかったのか?」

 深鳥はふと遠くの方を見た。

「降ったよ。でも、少しだけ。こんなには降らない。……水は貴重だから、農業用地だけたくさん降る」

「飲料水は別に確保してあるのか」

快晴が呟くと、深鳥は感心して足を止めた。

「とにかく、避難するぞ。風邪ひく」






 傘代わりの大木の下、二人は辺りを囲むように這う根の間に腰掛けた。目の前に広がる巨大な鏡が、垂れ込める空を映し出す。

 絶えまなく生まれては消えていく雨の波紋。深鳥は膝に顔を乗せ、辺りの様子をしばらく眺めていた。葉からしたたる水の音。ポタポタッと、時々髪や服に落ちては弾ける。


 二人分のスペースを開けて、快晴は腕を組んで寄り掛かり、目を閉じている。寝ていないのは分かったが、疲れたのかもしれないと、少し時間を置いてから深鳥はそっと話を切り出した。

「快晴」

「……」

「詳しい?」

「……何が」

「私が住んでた都市をよく知ってる」

 快晴はうっすら目を開けた。

「都市システムは宇宙技術を応用してるからな」

「宇宙にいたって、蒔ちゃんから聞いた」

「ずっと前の話だよ」

 快晴は再び目を閉じる。

「宇宙はどんな所だった?」

「何も」

「?」

「……何も、ない」

「星、たくさんあるよ?」

「ここからの話だろ」

 それから少し沈黙が続き、快晴が訝って目を開けると、案の定、深鳥が隣に来てじっと見上げていた。


 




 上を向いて目を閉じ、少し考えてから快晴は説明し始めた。順を追って、なるべく分かり易いよう枝で土に描く。

 まず、光の速度から。次に、太陽系の星々の大きさや互いの距離の比率、さらに一番近い恒星、ケンタウルス座・α星との距離……というように。

 いつのまにか、話は地層から星へと飛んでしまったのだが、深鳥はそっちのけで、快晴の口からこぼれる不思議な世界に耳を澄ませていた。


 さっきよりもリラックスした様子で、快晴は膝の上で手を組み顔を埋め、ぽつり、ぽつりと話していく。

 近いようでとても離れている星と星。地上から見えるようにぎっしり詰まっているわけでなく、実際は隙間だらけだと言う。未だ計り得ない宇宙の広がり。そしてその間を埋める暗黒物質の存在も。

「正確には物質がある。宇宙の造りを証明する上でも、必要なものだから。でも……」

コクリ、コクリと頷く深鳥。

「光も発しない、反射もしない。人の感覚じゃ、何も無いに等しい」

 こてり、と無防備だった脇腹に何かが当たり、快晴が思わず身震いして見ると、深鳥が脇腹に頭をもたげていた。

「……………え‥‥‥」

 不機嫌な低音が喉から漏れる。この前のことといい、またしても暖を取られてしまう快晴。しかし、今回は眠りを促した心当たりがあった。頷いたと思ったのは、うとうとしていたのだろう。

 快晴は小さく息をついた。


 ――難しい、よな。


 自分もそうだったのを思い出す。

 父と一緒に肩を並べて見る星空。流れ星を待ちながら、宇宙の話をわくわくしながら聞いた。でも、そのうち話が難しくなると、うとうとしだして大きな腕にもたれかかったものだ。


 覚えている……あの時の温もり。体を委ねる安堵感。あの頃は何も考えずに眠りに落ちることができた。夜中に目が覚めるなんてことも、まだ無かったのだ。


 地球から見る宇宙は暗黒ではない。深い藍色。大気光が混じるためだ。空が目を凝らすうちに星が一気に見えてくる。いつもなら、吸い込まれそうになる。空気に溶けていくみたいに。境界が無くなり、自分が消えていく気がする。でも、今は――

 もたれかかる体の重みがある。服を通して伝わるかすかな温もりも。いつもとは違い、見上げる夜空がとても遠い。いつものように闇はここまで手を延ばさない。

「起きろ」

 反応は無い。ゆすっても深鳥はびくともしない。

「起きろって……」


 言葉が沈黙にかき消される。遠くでうごめく風の音。すぐ側で繰り返される密やかな寝息。静謐な世界に、ただ羽根だけが揺れていた。ふわり、ふわりと重なり合い、ゆっくりと風にそよいで。


 ――何の成分で、出来てるんだ?


 うずくまる小さな背中に快晴は手を延ばす。同い年とは思えない華奢な体。背骨に沿って指で探り、羽根の付け根を掴む。ふわりと柔らかい。羽根の先端が腕に触れてくすぐったい。


 ――たんぱく質……コラーゲン? いや違う、セルロース……は植物だ。透明なのはシリカ……これも植物。色が変化するのはモルフォ蝶っぽいけど……鱗粉、じゃないな。虫の翅は……キトサン。でも人は作れないし、第一こんなに柔らかくない——


 快晴が考察に耽っていると、羽根はするりと快晴の指と指の間を滑り抜けた。次の瞬間、深鳥が飛び起きた。

「!」

 快晴はとっさに手を引っ込めた。空気が勢いよく体内に流れ込む。初めて自分がしばらく息を止めていたことに気付いた。


 起こす手間が省けたのは良かったが、深鳥はきょとんとしたまま、しばらく動かなかった。今度はフリーズしてしまったのだろうか。昔の電子機器じゃあるまいし……と快晴は深鳥の腕を掬い上げ、強制的に立たせた。

「?」

「……帰るぞ」


 再起動に何とか成功した快晴は、深鳥を片手に庭を後にした。

「庭」及び「化石の森」は秋吉台や秋芳洞、あぶくま洞のイメージをもらってます。

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