最後の後継
「だめ!」
那由他はふっと息を抜くと、笑顔を後ろに向けた。
「……お、さっそく迷子だ。どうする?」
那由他の視線の先に、深鳥がいた。
深鳥は駆け寄ると、そっと快晴の腕を包んだ。快晴は不思議そうに深鳥を見る。
「何でここに」
「そこのたんぽぽが教えてくれた」
那由他が吹き出す。快晴は手で額を覆う。
「だってよ? ままごとしてたのか?」
声低く快晴は言う。
「……いいから帰れ」
深鳥は首を振る。
「帰れよ!」
頑なに腕を放そうとしない深鳥のその手の先から、快晴は微かに震えを感じた。
快晴は空いた方の手で深鳥の手をそっと解いていく。
「大丈夫。だから……先に帰れ」
穏やかな眼差しだった。決して笑わないけれど、今まで見た中で一番優しい表情のような気がした。そんな快晴を深鳥は吸い込まれるように見ている。
同じように、那由他も快晴の変化を見ていた。
――お前の眼は何も映さない。……そう思っていたはずだが。
じりっと近付く那由他に、深鳥は両手を広げてとうせんぼした。
「どいてくんねーか、お嬢ちゃん」
前に塞がる深鳥の両脇を、那由他は軽々と持ち上げる。
「!」
間もなく、那由他は深鳥を少し離れた場所へ降ろした。
「心配するに及ばず。補習さ。あいつには教えそびれたことがあるんだ」
快晴の元に戻ると、那由他は片手で快晴の胸ぐらを掴み上げた。
「いーか、よく聞け。……てめぇで最後だ」
快晴は不可解な顔をする。
「お前が最後の後継なんだ」
「……最後?」
「だがお前は選んだ。それでいい。生きることはその繰り返しだ。選ぶことから逃げんなよ」
最後の後継……それが何を意味するのか、快晴は自ずと悟り始める。
「最後って……じゃあ俺は何のために深鳥を?」
快晴は深鳥を見る。その胸元には継承の証である形代が淡く光っていた。
「答えろ!」
快晴の怒鳴り声に、耳慣れない深鳥の体はすくんだ。一方、那由他は全く動じず、それどころか、興味津々と快晴の表情を観察する。そしてふと目を外した。
「終わりの匂いがするのさ」
那由他はざわめく森の方を見る。
「風は何も語らない。ただ俺が感じてるってだけの話。あくまでも予感だ。……だが覚悟は決めろ。どちらにしろ千久楽が危機に瀕しているのに変わりはない。後継としてお前が――」
「終わるなら、終わればいい」
「!」
那由他の意に反して快晴の声は穏やかだった。
「千久楽が残ってきたのは俺達の力でもなんでもない。風が人を生かしてきたから……そうだろう?」
那由他は快晴の眼を探る。曇ってはいない。相変わらず澄んで……どこか虚ろで。
快晴は那由他から視線を外す。
「人も、文明も……星だって寿命はある。……終わるなら何も継ぐ必要もない。あの形代もやったってどうってことないだろ」
投げやり、と言うよりは諦観に近い言葉……十代の少年の口から発せられるようなものではない。
快晴は遠くを見過ぎている。この歳であまりに多くを知り過ぎている。
胸ぐらを掴む那由他の手が力みだす。
「いや……お前はまだ分かっちゃいない。いいか? 形代は継承のためだけじゃないぜ。形代を渡すことはな〈魂を分かつこと〉なんだ」
「魂を……分かつ?」
快晴は余計に意味がわからない、と言わんばかりに那由他を見る。
「自分の命を半分、相手に渡すってことだ。……どうやって? とか聞くなよ」
しばらくの沈黙。
「つまり……命を預けるってことか」
快晴の解釈に那由他はあらかた納得し、付け加えた。
「ま、運命を共にするってところだな」
意味深な那由他の笑顔に、快晴はしれっと言い放つ。
「……あんたと共にした覚えはないな」
那由他は嘆息する。
「ほんとつれないな、お前……」
那由他は気を取り直し、顔を近付けて言った。
「とにかく、だ。しっかりと地に足をつけろ。お前が選んだ以上、あの娘は何がなんでも守れ。いいな?」
深鳥が心配そうにこちらへ近づいて来る。
「深鳥ちゃんに免じて今日はこれくらいにしてやる。……これからは相棒を大切にするんだな」
ニッと笑うと、那由他は掴んでいた襟を勢いづけて離した。快晴は手をつこうとしたが、痛みのため出せずに、肩から土に倒れ込んだ。
「くそ……っ」
すぐ起き上がり、那由他の背中を追いかけようとするのを深鳥は必死に止めた。
「手……壊れちゃうよ」
「血、出てる」
深鳥がハンカチを差し出すが戻される。快晴は腕に伝う血をぺろっと舐めてしまった。
「こうしとけば治る、こんなの」
もがいた時のすれ傷を見つけると、深鳥はその腕に顔を近づけてぺろっと舐め始めた。くすぐったさに手元を見ると、快晴はたちまちに固まった。
「ーーー!」
快晴は片手で押しやるように深鳥を引き離した。
「バカかお前! そんなこと安易にするな!」
びくっとして深鳥は快晴を見上げる。やがてその眼にじわじわと涙がたまり、こぼれ落ちる。快晴のズボンが点々と滲む。
「腕……治した……て」
「……」
「染みたかな? 痛いよね? ごめん……」
だんだん小さくなる声。快晴のズボン生地に次々と増える点々を深鳥は不思議そうに見つめる。
「雨……?」
ひっく、と一つ出る。深鳥は慌てて口を手で押さえたが、しゃっくりは止まらずに思わずうずくまる。スカートがみるみる濡れていく。頬に伝う水を自分の指でそうっと触れた。
「あれ……?」
快晴は目の前で次々と起こる変化から目を逸らせずにいた。
――なんで……泣くんだ?
耳を赤くしてしゃくりあげる深鳥を見て、快晴はどうしていいか分からずに困り果てていた。しかも泣いていることに本人も気付かないなんて。……絶対変だ。
快晴は息を整え立ち上がると、深鳥の腕を掴んだ。
「ほら、帰るぞ」
ぐいっと引っ張り上げる。片手のみのためか、うまく引き上げられずに深鳥がよろけた。
「――と」
横に倒れそうになる体を快晴が食い止めると、その力で深鳥は快晴の腕の中に倒れ込んだ。
まだ涙は止まっていなかった。シャツがじわりと濡れていく。
「もういい……泣くな」
「…っく……」
涙の滴りはやがて胸の奥まで達して――しまい込んだはずの涙の記憶を快晴に思い出させる。
『かーこめ』『囲め』
幼い頃、手と手を繋いで作られた円の真ん中で、膝を抱え込む小さな自分の姿。囃す声がだんだん大きくなる。
『親なし・ひぃな!』
不意に生じた痛みを封じるように、快晴は深鳥の頭を懐へ押し込んだ。
埋める髪から仄かに柑橘のような匂いがする。快晴は吸い込み、ゆっくりと眼を閉じた。体の力が抜ける。痛みが遠のく代わりに、息苦しくなるのを感じた。
――俺も……変だ。




