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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈プロローグ〉
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失われた緑の庭 〈後編〉

 タンポポ達は一斉に歓迎の唄をうたい始めた。二人とも白い岩に腰かけて、しばらく聴き入っていた。

「名前……」

 カイセイがぽつりと言った。

「ミドリって糸へんの?」

 ミドリはううん、と首を振る。

「深い鳥と書いて〈深鳥〉っていうの。あなたは……カイセイ、だよね。どんな風に書くの?」

 カイセイは木の枝を拾って〈快晴〉と、草の生えていない地面に書いた。


 あ、と深鳥は思った。

「雲ひとつない空――素敵な名前だね」

 深鳥の言葉に答えるわけでも、無視するわけでもなく、快晴は黙って空を見上げた。


 深鳥はそんな快晴を気にかけながらも、同じように空を見上げて言った。

「こんなに鮮やかで……複雑な空の色、初めて見た。自分のこの目で」

「……」

「私が住んでた所にも空はあったよ……そう信じてみんな暮らしてた」


 快晴はまじまじと深鳥を見た。

「お前……もしかして都市に?」

 深鳥はこくこく頷くと、尋ね返した。

「快晴も、都市に?」


「いや、俺は――」

 快晴はどことなく口ごもった。深鳥がじっと見つめている。

「……都市の外にいるよ」


 深鳥の表情がさっと陰った。

「でも、都市の外は――」

「汚染されてない土地もまだある」

 快晴はそっと溜息をついた。

「……シェルターの内側の人間は、興味ないだろうけど」


 蒔かれた刺も意に介さず、深鳥は目を輝かせて言った。

「じゃあ、もしかしてここが都市の外なの!?」

 ……いや、と快晴はやや拍子抜けしたように言った。

「ここは〈異界〉だよ」

「イカイ…………?」

「現実とは異なる世界」


 しばしの間。

「夢……のような?」

 深鳥は首をかしげた。現実←→夢という解釈らしい。

「うーん……まあ、そういう感じか……」

 あながち間違いではないので、快晴は話を進める。

「俺達の住む土地では、昔からこんな言い伝えがある」


  タンポポ咲く野から

  おしゃべりや美しい唄が聴こえる

  森の奥の 神の庭

  たどり着いたら 帰りたくなくなる


 深鳥はぽん、と手を打った。

「それってここの事?」

「……だろうな」

 快晴も頷いた。




 深鳥はよいしょ、と立ち上がって、うんと伸びをした。

「帰りたくなくなるの、分かる気がする。だって夢みたいに素敵な場所だし」

 深鳥は深呼吸をする。その横で快晴は座ったまま、頬杖をついている。

「ここはずっと昔からあって、これからもずっとあるんだろうね。この空も、風も、木も草も……人の住む世界は変わってしまっても、ここにはずっと残ってる」

 深鳥は目を閉じて、胸に手を置いた。

「どうしてかな……懐かしい。この場所を探してた気がする」

 快晴が吸い込まれるように深鳥を見上げた。

「ずっとここにいて、この空を見ていたいな」

 深鳥がほうっと溜息をつくと、白い煙が生まれた。さっきより気温が低くなってきたからだった。


「どうやって来たか知らないけど」

 深鳥から視線を外し、快晴は再び遠くを見た。

「ここにはもう来ない方がいい」

 深鳥は快晴の方に振り返る。

「今日のことも全部忘れ――」

「どうして?」

 すかさずの深鳥の質問に、快晴は困ったように眉を寄せた。


「ここは異界で……失われた場所なんだ。もうきっと、存在しない」


 快晴の言葉に深鳥は目を見開く。


 ――存在、しない? 


 ザザ…と風が吹き渡り、深鳥の髪をかき乱していく。

 「それって……どういう…?」

 そう口にした時だった。深鳥は重大な事実を思い出したのだ。


 深鳥の住む世界に起こったこと。大人たちから聞かされてきた都市の成り立ち。そして……人が生きることを選んで、空を失ったことも――




 深鳥が生まれた頃、世界は大きく変わった。空気も、水も、土も、木々も……ほとんどが汚れて、人もその他の生き物もたくさん死んだ。

 人々はシェルターの中に避難したけれど、そこから出られずに、さらに巨大なシェルターを建設し、その中に新しい都市を作って暮らしてきた。


 世界をきれいにする〈薬〉がやっと出来て、人々は撒き続けた。シェルターの外へ。今はまだ無理でも、いつかシェルターの外へ帰れるように。――しかし、それさえもが(あやま)ちだったのだ。


 その〈薬〉を使った後、人々は空が晴れないことに気づいた。曇っているのか、晴れているのかも分からない。白くぼんやりしたまま、空から色が無くなってしまったことに。


 昔あった青空は地上のどこにも無く、空の色が戻る日は永遠に来ないのかもしれない――


 深鳥は再び快晴を見た。その後ろに広がる、気の遠くなるような青い空も。

「ここは、失われた………過去(むかし)の世界……なの?」 


 快晴は頷くと、空の一点を指差した。


「あの赤い星……今でも瞬いてるけど、もういつ爆発してもおかしくない状態なんだ。あの星の光が地球に届くまで500年かかるとしたら、俺たちは500年前の映像を見ていることになる。……俺たちの眼に映るのはただの残像で、本物はとっくに無いのかもしれない」


 そう言ったそばから、星は朝焼けの光にみるみる薄らいで、見えなくなってしまった。深鳥は寂しげに言う。

「この草原もあの星みたいに、もう、無いのかな……」


 快晴は咲き笑うタンポポ達を見つめた。その姿が朝もやに霞みだす。

「ここは時間の流れ方がおかしい。ここに長くいるべきじゃない。……お前は早く自分の家へ帰るんだ」

 



 深鳥はじっと快晴の横顔を見つめた。

「もしかして……快晴は帰れなくなったの?」

 深鳥は一歩、二歩と進んで快晴の前に立つと、手を差し伸べた。

「一緒に、帰ろう?」


 差し出された小さな手を前に、快晴は黙り込む。


 ――迷子じゃあるまいし。

 

 何だか可笑しかった。とてもヘンテコなことを言われた気がした。

 自分は自分の意志でここにいる。この場所に行き来する道も知ってる。迷い込んできたのは深鳥の方だ。それなのに――


 帰ろう。その言葉は、帰る場所のある人間がいう言葉だ。帰る場所があるからこそ、旅先で帰りたくないと人は言ってしまう。


「……快晴?」

 心配そうに覗き込んでくる深鳥に、快晴は憮然として急にその手を取った。

「あ」

 引き揚げられるわけもなく、逆に引っ張られ、ふらつく深鳥を、快晴がとっさに受け止める。二人はそのまま草の中に沈んだ。


 快晴の手が深鳥の背中に延びる。羽根を掴み引っ張ると、深鳥の体がびくりと竦んだ。

「これもいだら、帰れないよな」

 深鳥は不安そうに顔を振るう。

「帰さないと言ったら……どうする?」


 快晴の眼は、空を写したように青暗く澄み、どこかに悲しみを含んでいるように思えた。


 そうか、快晴は空に似てる。と深鳥は思った。遠く、どこか謎めいて、冷たく澄んでいる空に。

 その眼をいつまでも見ていたかった。でも――


 深鳥は目を擦る。快晴は羽根から手を放し、懐で微睡む深鳥を、幼子を宥めるようにそっと抱いた。

 「これは全て夢だよ……忘れるんだ」


 草原の風が次から次に吹き抜けてゆく。その風に解けるように、ふぁさと羽根がはためいたかと思うと、深鳥の体はみるみる快晴の腕の中で薄れていった。


 *


 全ては夢。だったのか――


 起き上がろうとした快晴の前にひらひらと空から降ってくるもの――それはひとひらの白い羽根。快晴は両手でそっと捕まえる。

「忘れ物……か」

 羽根を空に透かしたまま、快晴は目を閉じた。



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