神語り〈二〉
第89部 『過去からの風』と関連します。
テダ→那由他の祖
ウル→聡の祖
アト→快晴の祖
と古今対応しますが、文中で提示出来なくてごめんなさい。
そのうちうまく入れられたらと思います。
*
近づいてくる馬の鳴き声、蹄の音。ぞろぞろと人の足音……渡り人らの行軍を、樹上から見張る三人の千久楽人がいる。
「……あれが噂に聞く〈馬〉か」
そう呟き目を細めたのは、テダという年長の若者だ。
歳は19。背は千久楽で一番高く、体格もいい。里の男達と同様、刺繍衣をまとい、頭の高い部分で髷を結っているが、髪の一部を脱色しているのがテダなりのお洒落である。
また、木漏れ日に透ける杜若色の眼はテダだけのもので、里の娘達が興味津々と覗き込んでくる。
想いを告げ、遂げ合う。歌垣の季節はすぐそこだった。里の若者は誰もが心待ちにし、引く手数多のテダといえ例外ではない。
しかし――どこで存在を聞きつけたのか、渡り人たちがチクラを目指して進軍してきているという。
周辺の集落は続々と彼らに従い始めている。何としても、この境の森でチクラへの侵攻を食い止めなければならない。
里長の命を受け、テダは弟分であるアト、それから里長の息子ウルを伴い、渡り人らの動向を探りに来たのだった。
短い夏が訪れた森は、暖かく蒸していた。テダは伝う汗を拭いながらそっと身を乗り出し、枝々の隙間から下を見た。遠目だが、渡り人らのまとう衣服にテダは目を見張った。
麻で織った色とは思えない生地の白さ。それとは対比をなすように色鮮やかに染められた帯紐。まるで花々の色をそのまま移し取ったかのようだ。
さらに馬上の長らしき人物は、衣服の上から三角模様の織物をたすき掛けし、頭上にきらびやかな冠を戴いている。
しかし、特筆すべきことは彼らの目から頰にかけて塗られた朱色の化粧だろう。
――入れ墨、か?
テダは眉をひそめる。
自分たちの場合、墨で色を入れるので肌に馴染むと青くなる。この辺一帯の民はみな昔からそうだ。
渡り人らが遠くからやってきた者であることは一目で分かる。
何もかもが異様だった。服装、入れ墨、その顔立ちさえも――
見る顔見る顔、一様に切れ長の目で、髭はか細く、いかにも狡猾そうな顔立ちをしている。加えて、左右の耳の前に束ねられた〈みずら〉――奇妙な髪型だ、とテダは思う。
兵士たちも甲冑をつけているものの、自分たちに比べれば体格もなく脆弱な感じだ。
「息の音は12人。馬は3頭。後に続く人間はいないみたい」
テダの足が届くすぐ下の枝で、さっきからじっと耳を澄ませていた年少のウルは、確信を得たようにテダを見上げて言った。
「それと一人……病気なのかな。息がだいぶ上がってる」
その言葉にテダが再び下を向くと、女が一人、馬に乗せられているのが見えた。
馬上の娘は頭から薄い布でくるまれ、目を布で覆われ、両手首を体の前で縛られている。心なしか、布から覗く白い肌が上気している。
その手首から繋がる縄の先は、馬の背に沿って延び、背後の男が手綱と共に握っている。女はうなだれ、耐えているように見えた。
状況を察したテダは思わず舌打ちをする。
「趣味悪ぃな……」
ウルが悲しそうに自分を指差しているのに気づいたテダは「違う違う」と手を振り、「何でもない」と呟いた。そして気を取り直してウルに明るく笑いかけた。
「っとにウルは大したもんだ。だてに毎日鳥の声を聞き分けてないよな」
「……まあね」
ウルは安心したように人懐こく笑った。
ウルは里長の息子で、歳は13。鳶羽の髪の色、明るい栗色の眼をしている。まだあどけなさを残しつつも、弓の腕は良く、なにより耳が聡い。きさくで里の皆に可愛がられ、次の里長はウルだと誰もが疑っていないはずだ。
テダは幹を隔て、隣の枝の方を見る。
「ここで長を仕留めれば、他の奴らは逃げ帰るさ。なあアト」
「ああ」
そっけなく返事をして、アトはきりきりと下方に弓を張り、渡り人の長を狙った。何の迷いもなく、ただ一点を正確に捉えている。
なんて眼だ、とテダは内心ひやりとする。
アトの弓の腕はチクラでも右に出る者はいない。狙われては一溜まりもないだろう。アトだけは敵に回したくないと思う。
アトの歳は15。背はテダ程ではないが高く、すらっとしている。テダとは違い物静かで、年頃なのか最近は何を考えてるのかさっぱり分からない。
気になる娘を聞き出そうにも、アトは狩のことしか興味がないのか、いつもつまらなそうに話を逸らしてしまう。
漆黒の髪に、涼しげな目元。光に透けると青みがかる眼。里の娘達が遠巻きにアトを見ているのをテダは知っている。もう少し愛想が良ければ、娘達だって近づけるだろうに。
――まったく……今年こそアトを歌垣に連れ出さないと。
目を閉じて溜息をつくテダに、ウルが訝しげに小声で尋ねた。
「テダ兄……?」
テダが片目を開けた。
「いやな、歌垣にどうアトを引っ張るかをだな……」
ウルは口を突き出してみせる。
「いいなぁ二人とも……吾はまだ出られないし」
テダは顎のちょび髭をさすりながら、諭すように言った。
「いいことばかりじゃないんだぞ、ウル」
ウルは見上げたまま、きょとんとしている。
「いいか? 一晩に何人も相手できないだろ。やる順番も気を遣うし、いかに傷つけずに断るかってのも男の見せ所なんだ」
あけすけな話に、免疫のないウルは顔をみるみる赤らめた。
「そ、そ、そっか……」
言っておいて、テダは思った。たしかにこういった男女の駆け引きは、実直なアトには難しいかもしれない。
せめてアトの方から見染める女がいれば、お膳立てでも何でもしてやれるのだが。
テダが再び溜息をついたその時。
アトが弓を緩める気配がした。気が逸れていたテダとウルは恐る恐るアトを見る。
「どうした、アト」
「アト兄?」
「し――」
アトは顔だけ振り返り、口元で指を立てた。貝を加工した耳飾りが、アトの耳元でかすかに揺れた。
息を殺して、アトは示すようにじっと樹の下を見ている。テダとウルもその方向に目をこらす。そこには――
双角を持つ黒面と、風になびく簓。
森に棲むという風の神が、渡り人らの前に立ちはだかっていた。




