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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈風車の章〉
10/116

街めぐり

 *


「ひゃほー!」

「すごい! 見晴らしいーねっ」

 前方からの風圧が半端ではなかったが、かき消されながらも聡と深鳥は声に出さずにはいられなかった。


 視野が開け、空が大きく見える。神社がある高台から二人乗りの自転車で一気に駆け降りる。そのまま踏切を越え、さらに下っていく。


 線路を境に、千久楽の景色はほぼ二分された。

 線路から外側は〈街〉と呼ばれ、比較的なだらかな平地で、学校や図書館、病院などの公共施設が点在し、道も整っている。

 昔ながらの商店街には、小さいながらも活気のある店が軒を連ねていて、そこで大抵のものは揃えることができた。


 一方、線路の内側は〈里〉と呼ばれ、千久楽神社や入らずの森がある高台の裾野に当たる。深鳥の住む家もその裾野に位置する。

 店らしい店は皆無で、野菜や果物、卵やお米などは無人販売が当たり前だ。

 駅から登ってきて、続く林の茂みを抜けると、あとはひたすら棚田なので、台所を預かる主婦としては、少し遠くても日用品を買うのに商店街まで足を延ばすのが日課だった。


 聡の後ろに乗って、深鳥は変わる変わる流れていく風景を見ていた。

 新芽をつけた木立の緑や、道端に咲く色とりどりの花、水田が映した一面の薄青がしばらく続いたが、線路を越えると一転し、家屋や商店が増える。のどかを絵に描いたような神社周辺とは雰囲気がだいぶ違う。生活するのはこちらの方が便利かもしれないが。


 自転車を止めると、二人は街にある、聡おすすめのパン屋に入った。カランコロンと木の扉についたベルが鳴る。開けた途端バターのいい匂いがした。

「いらっしゃい。おや坊や。今日はガールフレンド連れだね」

 気前よく笑いながら、店主はふくよかな体をせっせと動かして、焼立てのパンを鮮やかな手さばきで並べていく。

「ち、違いますってば!」

 聡は少し耳を赤くした。

「しかも、その坊やって……僕もう中学生なんですけど」


 二人はパン選びに没頭した。こんなにいろいろなパンがあるのを深鳥は初めて見た。常連の聡は解説をちょこちょこ入れてくれるのだが、深鳥はどれも美味しそうで、さらに迷ってしまうのだった。


 結局、翌朝の家族の朝食分でたくさん買うことにして、深鳥はすぐ食べる分だけを一つ、袋から取り出した。焼立ての豆乳ドーナツはふかふかで、口の中でほんのり溶ける。美味しくて思わず顔がほころんでしまう。


 自転車を引きながら聡は口に明太フランスをくわえ、がりりと噛んだ。傍らに歩く深鳥の笑顔を見ていると、何だか自分まで幸せな気持ちになってくる。年上のはずなのにその無邪気さからか、あんまりそうは見えない。


 鳥の声が響き、二人は同時に空を見上げた。

「この辺は風車がたくさん回ってるんですよ」

 近くまで来て見ると案外大きいものだった。風車の白い柱は水色に澄み渡る空をまっすぐに貫き、その三つの羽根で天にある水をかき混ぜているようだ。

「気持ち良さそうだね」

 空を見て、深鳥は目を細める。聡もその言葉に素直にうなずいた。

「うん、ほんとだ」


 カラカラと後ろで音がする。深鳥が振り返ると、たくさんのかざぐるまが家々の軒先で回っていた。それからふと上を見て深鳥はびっくりした。どの屋根もふさふさで……小さな庭がまるごと乗ってるみたいなのだ。


 元は茅葺き屋根なのだが、苔むしたところからシダの葉がひらひら出ていたり、日の当たるところににょきにょきと草が伸び始めている。小さな花も咲いている。こういう草花に飾られた感じもかわいいな、と深鳥は思った。

「これは草屋根です。千久楽のはこれまた……特別こんもりしてますが」

 そう言う聡はなんだか嬉しそうだ。


 追い風が吹き、背中を押した。自然に体が進むので、二人は面白がった。

「ここは風が強いんだね。初めて駅に降りた時からそう思ってたの」

「一年中こんな感じですよ。気を付けないと洗濯物が飛ばされちゃいます。前なんか神社に布団が落ちてて、猫がその上でスヤスヤ……」

 深鳥はつい想像して、口を押さえながら笑った。そんな深鳥を聡は微笑ましく見ている。

「神社の裏にある()らずの森から吹いてくる、と言われてます。どこかに風穴(かざあな)があってそこから湧き水みたく風が吹き出してるって……言い伝えですけど。でも、僕もそんな気がする。森周辺が特に風が強いから」

 聡の話を興味津々に聞いていたところで、深鳥はあれ? と宙を仰いだ。風穴ってもしかして〈ゆらぎ〉のことなんじゃないだろうか。


「不思議ですよね。海風も季節風もないのに、常に風が絶えないなんて」

 聡が指差した方には、木がコの字の壁のように茂って家を囲んでいる。それはもう繰り返し見た景色だったが、線路の外側、内側問わず、古い家なら大抵がそういう仕組になっていた。

「この辺の家は緑に囲われた所が多いでしょう。あれは防風林てやつです」

 合点したように深鳥が言った。

「お父さんも言ってたよ。だからかな。電車から見た時に、千久楽全体が森に埋まってると思ったんだ」

 聡は遠い目で辺りを見渡した。

「そう、景色的にはいいんですけどね……夏になると蚊が出る出る。そしてその退治はいつも決まって僕なんです。ほんと、日々雑用ばっかで」

 聡が神社での日課を思い出して溜息をつくと、深鳥は心配そうに聡を見、自分の手元を見、手にしたドーナツを差し出す。

「これ、あげる」

 目の前に差し出された食べかけのドーナツに、聡は一瞬きょとんとしたが、みるみる頬を染めた。

「……え? その、えと……」

 聡の動揺ぶりを不思議に思いながらも笑いかける深鳥に、聡も困った様に笑ってみせ、きょろきょろ周囲を注意深く見渡す。田舎といえ、誰が見ているか分かったものではない。まして宮司の(せがれ)となると――色々厄介この上ない。……が、

 ごくっと自然に喉が鳴る。

「――じゃあ」

 自転車のハンドルを両手でぎゅっと握ったまま、聡は顔だけそっと近づけてドーナツを齧ってみせた。

「ん……旨い」

 幸せそうな聡の横顔を見て、深鳥も満足そうに頷いた。


 



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