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ご近所様  作者:
4/7

木曜日

「行ってらっしゃい!」


陽子は和成を送り出すと、いつもの家事に取り掛かった。


洗濯物を干し、お風呂掃除、トイレ掃除、掃除機とテキパキと進めていく。


一応カーテンは閉めていたが、今日は何も起こらない。


やっぱり気のせいかしら?


拓人と一緒に昼食を食べ、テレビを見ながらウトウトしていると、庭から


ザッ!ザッ!


と誰かが歩く音がした。


誰っ?


陽子は拓人の方に目をやった。

拓人はスヤスヤと眠っている。


ザッ、ザッ、ザッ


もう疑いようもない。誰かがそこにいる。


カーテンの外で足音はしばらく続き、やがて遠くなっていった。


陽子は恐怖のあまり、固まってしまい、しばらく動けないでいた。

とてもカーテンを開ける気にはなれない。陽子は身体の震えが収まるのを待ち、拓人を連れて美和子の所に向かった。


美和子の家のインターホンを押すと、中学2年生の娘の葵が出てきた。

美和子は出掛けており、今日は遅くなるという。


陽子は落胆したが、ふと思いついて、葵に聞いてみた。


「ねぇ、葵ちゃん。前に私の家に住んでいた人…知ってる?」


「ノグチさん…ですか?」


葵は一瞬の沈黙の後、話し始めた


「ゴミ屋敷…」


「えっ…?」

突然脈絡の無い葵の言葉に、陽子は思わず聞き直していた。


「陽子さんの家、ゴミ屋敷って呼ばれてたんです。庭にゴミが散乱してて、あと猫も何匹か庭に放し飼いにしてたんですけど、その糞も凄くて…。夏は凄い臭いでハエがうちの方まで飛んできました。」

葵は一気にまくしたてると、一息ついて話を続けた。


「うちの母は班長だったから最初は注意しに行ってたんですけど、よく隣の奥さんの怒鳴り声が聞こえていました。近所の人たちも文句を言いに言ったり、テレビが取材に来たりもしましたが、うちの庭に猫の死骸が投げ込まれたのを境に、怖がって誰も関わらなくなりました。」


そうだったのか…。


昨日の、藤田と野江の態度が分かった気がした。

そんな迷惑な住人のことはもう思い出したくもないだろう。

ただ、陽子は一つだけ、確かめておかなければいけない事があった。


「ノグチさんは今は何処にいるの?」


「分かりません。3年程前に急にいなくなっちゃったんです。母はローンが払えなくて逃げたんじゃないかって言っていました。」

葵は続けた。

「でも、今は陽子さんみたいな人が引っ越してきてくれて母も喜んでいます。私も凄く嬉しいんです。」


「葵ちゃん…、ありがとう…。」


陽子は家に帰り、これまで得た情報から考えをまとめてみた。


誰かの視線、謎の来訪者、庭の足音。ノグチトシコという前の住人。


やっぱり少し調べてみよう。

陽子はiphoneのsafariから検索をかけてみるが、目新しいものは見当たらない。

ネットも駄目かぁ〜。


でも、葵ちゃんはテレビが取材に来たって言ってたわね。

誰か録画してないかな?


陽子には1人思い当たる人物がいた。


右斜め向いの山中由紀江のおばあちゃんだ。

奥さんは夜の仕事らしく、ほとんど見かけたことはないが、おばあちゃんとは時々話をする。

テレビが大好きで、サニータウンの近所がテレビで取材されたりすると、何処から情報を得るのか、必ず録画をしてみせてくれる。

新しいカフェや、レストランの情報源として活用させてもらっている。


山中さんなら…。

陽子は拓人を連れて山中の御宅へ向かった。


思った通り、山中のおばあちゃんはその時の番組を録画していた。しかもご丁寧にDVDに焼いているらしい。


「娘が古いのは早く消せってうるさいからね。やり方も覚えちゃったよ。」

70歳は過ぎているだろうおばあちゃんに陽子は感心した。

陽子は未だにハードディスクに録画するくらいしかできない。


「ほら!これだよ」


どうやら関東ローカルのワイドショーの特集のようだ 。


「現在のゴミ屋敷の実態」というタイトルが写し出された。


近所の人々のインタビューから番組は始まった。


「夏は臭いとハエで本当に迷惑しています。」

モザイクに音声も変わっているため分かりにくいが、美和子さんだろうか?


「何回言っても聞きやしないんですよ。市の方で指導してもらえないかしら?」


「これが私だよ!」

山中さんは言ったが、陽子は次に映し出された映像に釘付けになっていた。

家が、ゴミで埋まっている。庭も、窓から見える部屋の中も…、ゴミ、ゴミ、ゴミ…。

だが、それは紛れもなく陽子の家だった。門の形も、建物の色も今住んでいる家と同じものだ。


陽子は吐き気を覚えた。


テレビ局のリポーターは果敢に取材を試みていた。インターホンを押し続け、取材に応じるよう呼びかける。


不意に玄関のドアが開くと、ボサボサの茶髪に黒いワンピースを着た女が画面に写し出された。これがノグチトシコだろうか?

山中さんの方を見ると、陽子の言いたい事が分かったのだろう。首を大きく縦に振った。


「あんた!何してんの!警察呼ぶで!」

ノグチトシコは関西弁で叫びながらリポーターに詰め寄ってきた。

「近所の方が迷惑していますが、この現状をどうお考えですか?」


リポーターの言葉が終わる前にカメラにゴミ袋が投げつけられた。

カメラ越しに生ゴミが飛び散る。

ノグチトシコは間髪を入れずにリポーター達にホースで水をかけ始めた。

リポーターはたまらず退散する。


後方から、

「二度と来んな!」

という罵声が浴びせられた。


「以上、現場からの中継でした。」


テレビの画面はスタジオに切り替えられた。

スタジオのアナウンサーが、日々のノグチトシコの生活ぶりを話しているが、陽子は別の事を考えていた。


あれがノグチトシコ…。


未だかつて遭遇したことのない存在に陽子は戦慄を覚えた。

そして、ノグチトシコが着ていた黒いワンピース。あれは、一昨日の来訪者が着ていた物と同じ様に見えた。

もし、ノグチトシコが訪ねてきたなら一体なんの為に…?


「あの…、この人は今は何処にいるんですか?」

陽子は一番気になっていることを訪ねてみた。


「さぁ…、3年程前に急にいなくなっちゃったからねぇ〜。

あっ、でも、美和子ちゃんが一度見かけたとか言ってたかな?」


「この人は昔からこんな感じだったんですか?」


「最初は普通の人だったよ。旦那さんと一緒に良く班の行事にも参加してたし…。でも数年経つと、妙に疑り深くなって、そのうち誰とも関わらず、家に閉じこもるようになってしまったの…。」


あとは、旦那さんはノグチトシコと時を同じくして、姿を見かけなくなった事。

2人とも仕事はしておらず、買い物は宅配で済ませていた様だが、どうやって生計を立てていたのかは誰も知らない。といった情報を得ることができた。


陽子は山中さんにお礼を言って家に帰った。


帰る途中で美和子の家に寄ってみたが、まだ帰っていない。


もぅ!一体何処に行ってるのかしら。


家に入る前に陽子は我が家を見渡した。


ゴミ、ゴミ、ゴミ…


先程の映像が目に焼き付いて離れない。臭いまで感じてしまう。


陽子は首を振って頭の中の映像を打ち消すと、拓人を抱きかかえ、走って家に入り、鍵を閉めた。


家に入った陽子は庭に誰もいないのを確認すると、家中の雨戸を閉めた。旅行で家を開ける時以外は初めてのことだ。


陽子は、すっかり薄暗くなった部屋の中で晩御飯を作りながら考えていた。


ノグチトシコが我が家を訪れる理由…。


嫌がらせ…?

逆恨み…?


嫌な想像しか浮かんでこない。


考えにふけっていると焦げ臭い臭いがする。


あぁ…!魚が焦げてる〜。味噌汁も沸騰してる〜。




「大変だったね…。」

帰ってきた和成は焦げた魚を食べながら言った。


日々続く出来事に陽子は憔悴しきっていた…。

今すぐにでも、この呪われた家を出ていきたいと和成に伝えた。


「明日は僕も午前中で帰ってくるから、美和子さん達と一緒に対策を考えよう。念のためにボイスレコーダーと、監視カメラも買ってくるよ。」


和成の優しい言葉に陽子も落ち着いてきた。

確かに、ゴミ屋敷の映像はショックだったが、実際に起こった事と言えば、庭から足音が聞こえただけの事だ。

黒いワンピースの女も、それだけでノグチトシコと結びつけるのには無理があるかもしれない。


寝室では、拓人が今日もスヤスヤと眠っている。


和成はまだしばらく起きていると言うので、陽子は先に床についた。


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