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~第一話 春とお菓子と大剣と~

 ――風があたたかい。

 ふわりと漂ってきた花の香りに顔を綻ばせながらニックは一人、春の訪れを感じていた。柔らかな日差しを浴びて色素の薄い金髪のショートヘアがきらきらと輝く。しかし毛先から数センチ上は紅色で、そちらは正に燃える炎のようだった。

 「坊っちゃん、若いのに一人旅かい? えらいねぇ!」

 道中出会った気のいい旅商人が馬の手綱をとりながら荷台のニックに向かって笑いかける。目的の地に到着するまでにはかなりの日数がかかるだろうと予想していたが、この旅商人が親切にもニックのことを乗せていってくれたのだった。旅は道連れ世は情け、とはよく言ったものである。

 「おじさんこそ。 こんな見ず知らずの人間に親切にしてくれて偉いよ」

 「がははっ! まあ気にすんなって!」

 明るく豪快な笑い方は、どことなく故郷の祖父を思わせた。時に厳しく、時に優しかった祖父。敬愛する祖父のもとへはもう二度と戻れないのだと思うと、先程までの穏やかな気持ちは波のように引いていった。暗くならないよう、努めてニックは明るく振舞う。

 「『トリトア』へはあとどのくらい?」

 「もう目と鼻の先だぜ! 坊っちゃん、頑張ってな!」

 この旅商人には人を元気付ける特別な力があるのかもしれないな――。

 ふと、ニックはあることに思い当たる。

 (とうとう言わずじまいだったなぁ)

 なあ坊っちゃん、と旅商人は尚も話を振ってくる。にっこりと笑顔でニックは彼の話に聞き入る。

 もう目的地は目と鼻の先。

(僕は「嬢ちゃん」なんだけどな)

 まあ仕方ないか、とニックは少しため息をついた。


 

 *



 昼下がりの町には人の往来が増え、自然と賑やかになる。ようやく冬将軍から解き放たれて束の間の春の女神の恩恵を全身に感じれるようになった人々の表情は、穏やかで晴れやかだった。

 『トリトア』は雪国である。季節という概念すら危うくなるほどに、そのほとんどを冬将軍に支配される寒く冷たい、小さな国。その上、国の周辺は【氷柱つららの森】と呼ばれる深い森に囲われているため他国との交流もまた、ほとんどない。つまりは辺境の中の辺境、田舎の中の田舎。

 「よい天気ですね」

 広がる青空を見上げ、ぽつりとつぶやいたのは一人の幼い少年だった。抱えた籠からふわりと不思議な甘い香りが立ち上る。中には異国のお菓子がたんまりと詰め込まれている。

 「あたたかいのは良いことです」

 少年はそのお菓子を愛おしそうに見つめ、忙しなく行き過ぎる人々に見られないよう少し俯いて微笑んだ。

 「…あ~、本当! いいお天気!!」

 そんな少年の隣にぱたぱたと元気よく少女が駆け寄る。ぎょっとして両手に抱えた籠が大きく揺れる。お菓子がこぼれ落ちそうになって慌てて少年は体勢を立て直すが、遅かった。手のひら大の丸く透明なケースが一つ、ころころと転がっていった。そして、それは駆け寄ってきた少女の赤い靴先にこつんと音を立てて動きを止めた。

 「おはようございます! グロゥさん」

 「……おはようございます、カミラさん。 相も変わらず騒がしいですね」

 ひょいとケースを拾い上げ、カミラはにんまりした。

 「グロゥさんはお菓子が本当に好きなんですね。 可愛い」

 「……返してください。 あなたにつきあっている暇はないのです」

 「異国のお菓子ですかぁ? めずらしい色」

 カミラは自分の腰ほどの背丈しかないグロゥをからかうようにケースをじっくり観察する。みるみるグロゥの顔色が赤くなる。

  『トリトア』が唯一他国と交流を持てる機会は今、春だけであった。数年周期で訪れるその短い期間だけ【氷柱つららの森】の氷が不思議なことにすべて溶け失せ異国の商人たちが出入りできるようになる。『トリトア』の人々は珍しい異国の商品に触れ、異国の者は『トリトア』の独自の文化に感化され、そうしてまた長い冬が訪れる。閉鎖的ながら、しかし他国と一定の距離を置く付き合いは国をいつも平和に保っていた。

 「しつこいですよ! いい加減になさい!!」

 「やっだ~グロゥさんったら、ムキになっちゃって。可愛い~」

 「……! ま、また可愛いなどと……!!」

 3度目のグロゥの攻撃を軽くあしらうと、カミラはそのケースを持ったまま町の奥へと走り少し離れた場所で振り返った。ツインテールがふわりと揺れる。

 「これ、貰っていきますね♪」

 「!!! 何言ってるんですか!? 差し上げるなんて一言も」

 「大人気ないですよ~」

 「!」

 ぐ、と押し黙ってしまった隙にカミラは来た時同様元気よく今度こそ走り去って行った。攫われていったお菓子。しばしカミラが走り去って行った方向を見つめ呆然としていたグロゥだったが、やがて一つ大きなため息をつくと諦めたのか踵を返した。帰路へついたらしい。

 「……やれやれ。 懐かしい品だったのですが」

 大きな籠を抱えて、一歩二歩。手も足もまだまだ大人のそれに比べ短いために籠を持つ両手も足取りも何もかもがおぼつかない。しかし、誰も彼に手を貸そうとはしなかった。道行く大人たちはグロゥのことを横目でちらちらと見るのだが、決して声はかけなかった。グロゥは黙々と歩いていく。喧騒が通り過ぎていく。春風がまた籠の中のお菓子をくすぐって甘い香りを立ち上らせた。しかしなぜか先ほどよりもうきうきしない。カミラにお菓子をとられたせいか。違う。グロゥはふん、と鼻息を荒くした。

 (気味が悪いのなら、見なければいい)

 ずんずんと少し早足でグロゥは歩きだす。なるべく周囲の人々を意識しないようにして。

 「いいにおいだね」

 だから、喧騒の中のその声が自分に向けられたものだと気づくのに、グロゥは少々時間がかかった。お菓子を落とさないように下にばかり集中していた視線を上にあげると、紅の瞳が真上にあった。ドングリのように丸い大きな瞳が、二つ。

 「お買いもの? 偉いね、重たくはない?」

 「……お気遣いありがとうございます。 通して下さい、急いでいるので」

 努めて紳士的に、けれども冷たく、グロゥは言って視線を元に戻した。表情を読まれないように俯くのは彼の癖だった。大きく見開いてしまった目を見られてはいないだろうかと、そわそわする。カミラ以外に話しかけてくる人間がいるなんて、何年振りだろうか。

 「あ……待って!」

 声の主を通り過ぎようと2,3歩小走りしたところでまたも呼びとめられた。

 「道を聞きたいんだ! 僕、ここに来たばかりだから……」

 無視をすればよいものを、グロゥは再度立ち止まった。芝居がかった大きなため息をついてから、ぶっきらぼうに相手に尋ねた。

 「どこにいきたいんです?」

 「この辺りに宿屋はないかな?」

 「……商人専用の簡易宿泊所ではなく?」

 グロゥは思案する。『トリトア』には宿屋がない。数年周期でしか人が訪れないこの国は、そういった旅人頼みの商売では暮らしていけないのである。それでも春に訪れてくる商人たちのために、国は簡易宿泊所という名の掘立ほったて小屋を無料で――というよりもお金を取るには申し訳なくなるような粗末な造りだが――を提供していた。

 「あー……うん、あれじゃなくて。 僕、春が過ぎてもここにいるつもりだから、あれはちょっと……」

 「春が過ぎても、ここに?」

 やや訝しく思い、グロゥは相手を上目遣いで気づかれないよう、前髪の間から覗き見た。珍しい髪型だ、というのが第一印象だった。金髪がほとんどだが、毛先だけが赤い。染め分けているのだろうか。続いて気になったのは相手の格好だった。あまり高級そうでない布地の服に、くたびれた毛皮のマント。また、商人にしては手荷物が少なすぎた。見たところ安っぽい布でしつらえた少し大きめの袋と――

 「……? それは、なんですか?」

 思わず指を差して尋ねたそれは棒状のものだった。包帯のようなところどころ黄ばんだ薄汚い布でぐるぐる巻きにされ、木でこさえた筒にしまわれている。そして、それは相手の華奢な背に担がれていた。

 指差してから気づいたが、グロゥはいつの間にか顔をしっかりと上げてしまっていた。だから、相手の表情がはっきりと見えた。綺麗な紅の瞳が穏やかな光をたたえてグロゥを見つめている。

 「ああ、これ?」

 相手はなんでもないことのようにおもむろにそれを背から引き抜いた(・・・・・)。この国ではめったに吹かない、暖かさを含んだ風が二人の間を通り過ぎる。髪の毛が揺れるのを避けようと両手で頭を抱えたグロゥの瞳に、その引き抜かれたものの全容が飛び込んでくる。


 古びた布を切り裂くように鈍い光を放ちながら現れたのは、紛れもない大剣だった。

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