第136話:【実食】地熱焼きリンゴの灼熱メープル蜜がけ&燻製ナッツ
「雪山から持ってきた果物って……まさか、あれですの!?」
シェリルがパッと目を輝かせ、両手を胸の前で合わせた。
バルツが厚手の麻布の包みを解くと、中から現れたのは、淡いピンク色の光沢を放つ握り拳大の見事な果実――かつての白銀連峰で採取され、シェリルの保冷結界によって最高の鮮度を保ったまま運ばれてきた『雪下蜜リンゴ』であった。
「そうだ。雪の中で凍結寸前まで冷え込み、己の身を守るために果肉のデンプンを限界まで果糖へと転換させた、糖度二十度超えの雪下リンゴだ。こいつの酸味と歯ごたえ、そしてあの灼熱の紅蓮松から搾り取った極上メープル蜜……この二つが合わさったらどうなると思う?」
「そ、そんなの……美味いに決まってるニャーーーッッ!!」
ニーナが尻尾をピンと直立させ、ゴロゴロと喉を激しく鳴らしながら飛び跳ねた。
ティオも喉をごくりと鳴らし、ジャンは新しく蘇った右手で胸を押さえ、料理人としての想像力を掻き立てられて息を呑んでいる。
「では、バルツ殿……このリンゴを、どう仕込むのですか?」
「簡単だ。素材の器を活かす。ティオ、小刀を抜け。果物の芯抜き(コアリング)をやるぞ」
「はいっ!」
ティオは腰の細身の解体小刀を抜き、バルツの手本を食い入るように見つめた。
バルツは雪下リンゴの頭部――ヘタの周囲に、小刀の切っ先をの角度で円を描くように滑らせた。
サクッ、サクッ、と小気味よい音が響き、ヘタの部分が小さな『円錐形のフタ』となって綺麗に外れる。
続いて、細身のヘラを内側に差し入れ、果肉の外殻を傷つけないよう注意深く回転させながら、中心にある硬い芯と種だけを円筒状にくり抜いた。
「いいか、ティオ。底まで突き破るなよ。底に5ミリほど果肉の壁を残すのがコツだ。そうすりゃ、果汁と蜜を閉じ込める天然の『果実ポット』になる」
「なるほど……! 底を残して、器にするんだな!」
ティオは己の小刀を構え、母指球で大地を捉えながら手首を柔軟に使って、残りのリンゴの芯を次々とくり抜いていった。
刃先が果肉の繊維を捉える感触が、研ぎ澄まされた集中力とともに指先へ伝わる。
底を破ることなく、完璧な厚みでくり抜かれた果実ポットが完成した。
「次は詰め物だ。ジャン、お前の出番だぞ」
「は、はいっ!」
ジャンが背嚢から取り出したのは、雪山の旅路で仕込んでおいた保存食――白樺の樹皮でじっくりと冷燻にしておいた『燻製クルミ』と『黒曜ヘーゼルナッツ』であった。
ジャンは自らの右手で平刃の包丁を握り、まな板の上でナッツをリズミカルに刻んでいく。
トントントンッ!
刃の重み、ナッツが弾ける硬質な手応え、そして掌に伝わる心地よい反動。
10年前の感覚が完全に蘇ったジャンの包丁さばきは、まさに宮廷料理長のそれであった。
「素晴らしい……! 粗みじんに刻むことで、カリッとした歯ごたえと芳醇なナッツオイルが引き出せます!」
刻んだ燻製ナッツを、リンゴの空洞の中へとスプーンで七分目までぎっしりと詰め込む。
そして――。
「さあ、主役の登場だ」
先ほど地熱湯煎で精製したばかりの、湯気を立てる熱々の『天然濃縮メープル蜜』。
ジャンは黒曜石のスプーンを使い、とろりとした琥珀色の蜜を、ナッツの上からたっぷりと注ぎ込んだ。
トロリ……トロン……。
濃厚な蜜がナッツの隙間へと染み渡り、リンゴの果実ポットの縁まで黄金の湖となって満たされていく。
仕上げに、最初に切り取っておいたヘタのフタをコトリと乗せて密閉。
これを、耐熱性の高い黒曜石の薄板と、水で濡らしたリネン布、そして厚手の耐火ホイルで二重三重にピッチリと包み込んだ。
「よし、仕込み完了だ。あとは――火口の恵みに任せるぞ」
バルツが案内したのは、紅蓮松の根元にある、摂氏の地熱蒸気が吹き出す『天然の熱砂地帯』であった。
ティオが大剣の先で黒曜石の熱砂をサクサクと掘り起こし、深さ30センチほどの穴を作る。
そこへ、銀色の包みを並べて投入し、上から熱砂を優しく被せ直した。
「地熱埋め蒸し焼き……! オーブンのように空気を乾燥させることなく、地熱の蒸気圧と熱砂の遠赤外線で、全方位から均一に熱を通すブッシュクラフト調理ですわね!」
シェリルが目を輝かせて解説した。
待つこと。
熱砂の隙間から、フツフツと甘酸っぱい湯気が立ち上り始めた。
リンゴに含まれるペクチンが地熱によって加水分解され、果肉の細胞壁がトロトロに軟化。
内部で沸騰したメープル蜜と燻製ナッツの良質な油脂が、溢れ出たリンゴの酸味豊かな果汁と渾然一体となって乳化を遂げた合図であった!
「掘り出せ、ティオ!」
「よーしっ!!」
ティオが大剣の腹で熱砂を払いのけ、トングで熱々の包みを掘り出した。
平らな黒曜石の岩の上に並べられ、バルツがその包みの一つを、小刀の切っ先でサッと開いた瞬間――!
プシュウウウウウウウッッ!!!!
火口の冷気ドーム全体に、暴力的とも言える甘美な芳香の爆弾が炸裂した!
熱々の蒸気とともに立ち上ったのは、加熱されて甘みが限界まで凝縮した焼きリンゴの芳醇な香り、焦がしキャラメルのようなメープル蜜の高貴なアロマ、そして燻製ナッツの香ばしい薫煙香!
「うわああああっ……! な、何だこの美味そうな匂いはぁぁぁっ!?」
「皮が透き通って、中から蜜がジュワジュワ泡を吹いてるニャーーーッッ!!」
ホイルの器の中央。
淡いピンク色だったリンゴは、琥珀色のシロップをたっぷりと吸い込んで艶やかな飴色に輝き、スプーンを近づけただけでも果肉がプルプルと震えていた。
四人に、それぞれ木製のスプーンが手渡される。
「「「いただきますっっっ!!!!」」」
ティオは我慢できず、熱々のリンゴのフタを持ち上げ、スプーンを果肉の端へと沈めた。
スッ……。
何の抵抗もない。
まるで極上のカスタードクリームにスプーンを差し入れたかのように、果肉がホロリと崩れた。
蜜をたっぷりと吸った果肉と、カリカリの燻製ナッツをすくい上げ、フーフーと息を吹きかけてから、口の中へと放り込んだ。
ハフッ、ハフッ……ジュワァァァァァァンッッ!!!!
「……っっ!?!? んんんんんんーーーーーーッッッ!!!!」
ティオの目が見開かれ、声にならない絶叫が漏れた。
舌の上に広がったのは、まさに味覚の天国であった!
熱々の果肉を噛み締めた瞬間、トロトロに溶けたリンゴから甘酸っぱい果汁が洪水のように溢れ出し、そこへ超濃厚な天然メープル蜜のこってりとした甘美なコクが雪崩れ込んでくる。
さらに、噛むたびにカリッと弾ける燻製ナッツの香ばしさとスモーキーな苦味が、甘さを決して飽きさせない最高のアクセン卜となっている!
「な、何ですのこれぇぇぇっ!? 熱い! 甘い! そして酸味がとろけるように爽やかですわぁぁぁっ!!」
シェリルがスプーンを口に咥えたまま、頬を両手で押さえて身悶えした。
ニーナも「ハフハフ! ハフハフ! 熱いけど止まらないニャ! ナッツがカリカリで、蜜がトロットロニャーーーッ!」と、猫舌も忘れて無我夢中でスプーンを動かしている。
そして、宮廷料理長ジャンは――スプーンを震わせ、一口食べた瞬間に両目から涙を流していた。
「あぁ……! 温かい……。王都の最高級パティシエたちが何日もかけて作る砂糖漬けの菓子など足元にも及ばない……! 自然の果実の酸味、樹液の蜜、大地の地熱……素材の持つ命のエネルギーが、すべてこの一口に凝縮されている……! 美味い……本当に、心から美味い……!」
ジャンの言葉に、ティオの胸の奥がジーンと熱くなった。
10年前の父の無実の罪。
ルキウスに浴びせられた罵倒。
そして火口竜との生死を分けた極限のオペレーション。
張り詰めていたすべての緊張と孤独が、この熱々で甘い焼きリンゴの温もりと、仲間たちの笑顔によって、優しく、温かく溶かされていくのを感じていた。
「美味いなあ……おっちゃん。生きてて……本当によかったよ」
「おう。美味い飯を食うために、俺たちは生きて解体してんだからな」
バルツがニヤリと笑い、豪快にリンゴをスプーンで掬って口へと放り込んだ。
その光景を、10メートル後ろの地面で転がされ、口に小石を詰められた特務監査官ルキウスが、目を血走らせ、溢れ出る涎で胸元を濡らしながら、屈辱に打ち震えて見つめていた。
極上のスイーツで心身を満たした一行。
だがその直後――ニーナのピクピクと動く猫耳が、火口の奥深くから漂ってくる「異様な悪臭」を敏感に捉えたのである!




