↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

月の狭間 ― Another Origin of Species

作者: 夏澤ひかり
掲載日:2026/09/02

月周回衛星かぐやと宇宙に漂う氷の塊


21世紀初頭の月周回衛星かぐやによる詳細な観測を最後に人類の月への興味は薄れたかのように思えていたが、それに続くインドのチャンドラヤーンによる月面での大量の水の発見により、再び月からのサンプルリターン計画が立ち上げられることとなった。


月の水の起源を巡り、原始地球と原始月との衝突により大量の水が宇宙空間に放出され、長い年月をかけて地球と月に再分配されたとの仮説が、また極地の氷の調査では、太古の地球に隕石がぶつかったときに極地の一部が宇宙に放出され、宇宙のどこかで漂っているとの仮説も出るなど、月と水に関する研究が再び活況を呈し始めていた。


探査機はやぶさの探査では何も見つからなかったが、21世紀半ばになって、宇宙望遠鏡をローテートしているときにL5(ラグランジュポイント5)に一瞬の光学的輝点(ブリップ)が観測された。


最新の観測と膨大なシミュレーションにより、僅かな質量がL5付近に浮遊している可能性が示された。そのスペクトルは太陽とほぼ同じ、すなわちそれを映す何か――たとえば僅かな氷の屈折あるいは反射――の可能性が天文学者の間で取り沙汰された。


真空中で氷は長期に渡って存在できないとの意見が大方であったが、L5は鞍点(あんてん)ではないため、あるいは何か別の理由があって存在できているのではないかと考える学者も僅かにいた。


追加の精密な観察により、水の吸収スペクトルが確認され氷の存在が強く疑われることとなり、そして、別のサンプルリターン計画の実証実験として、L5付近の探査が急遽プログラムに加えられることとなった。


数年後、その氷…とおぼしき天体からのサンプルの確保が試行された。

テレメトリによると氷塊のような天体は強く帯電していて、それをとりまく水分子のハローと氷塊がクーロン力的に安定していたことが判明する。

氷塊を取り巻くハローとその一部は奇しくも宇宙線や太陽風からのバリアーのようにも働いていることもまた判明した。


テレメトリの解析に続き、サンプリングポットが射出され、サンプルリターンが試行されるも、強く帯電した回収カプセルは、地球に近づいた後、地球の磁気圏により弾き飛ばされ行方不明となった。


本来のサンプルリターン計画の遅れとかさむ費用から、これらの計画は、合衆国の新しい大統領によりシャットダウンされ、また航空宇宙局の予算は大幅に削減された。

ウクライナ情勢で弱体化したロシアの代わりに近代化して台頭してきた中国に対し、合衆国もまた湾岸情勢のエスカレーションにより国力に陰りが生じ始めていたからだ。


つまり宇宙計画は軍事競争力・国力的に「役に立つ」ものが最優先された。

火星より外の研究はシャットダウンされ、優秀な研究者たちは居場所を求めて予算の豊富な人工知能や量子コンピュータあるいはライフサイエンスなどの戦略的分野へと移って行った。


そして月日が過ぎ、その失敗した実証実験のサンプルリターンの話は誰からも忘れ去られてしまっていた。


重力に引かれ、また地球へ向かっていたポットは、観測網にも捉えられないまま、オーロラが揺らめくある日に、地磁気の隙間を縫うように大気圏を抜けて南極に落下した。

奇しくも落下地点ではクレバスの上に厚く積もっていた雪が、突入時の衝撃で一瞬にして水蒸気となってポットを包みこみ、水蒸気は膨張し周りの雪を巻き込み減速される時間を作り、ポットはクレバスの奥へと落ち込み、そしてまた凍結されていった。


また年月が過ぎたある日、南極探査中のチームが氷のクレバスの中に――硬く凍った氷は損失の多い誘電体だが――僅かに検知された渦電流(うずでんりゅう)あるいは伝達関数の僅かなノッチにより、金属片の存在を疑った。


最初は、航空機や人工衛星のデブリかと思われていたが、クレバス探査ロボットによると、それは古めかしい――21世紀くらいの――セラミックで防護された金属製のカプセルだった。

探査チームは氷に深く埋もれたカプセルを回収し、それはラボの防護設備のクリーンチャンバーの中でロボットにより慎重に開封された。


中身は、何の変哲もない氷に見えた。カプセルの起源も分からず、また、皆はシールが破れていたのかと肩を落とし興味を失った。


チャンバー内ロボットの開発にも携わった研究者が、ロボットの走査(スキャン)ではシールの破れは認められなかったと、さらなる分析を進めたところ、残存ガスが最近の――と言っても数百年のスパンまでだが――南極の氷とは異なっていることに気づいた。

そう、あたかも太古の地球の空気を閉じ込めていたかのように。

しかし、専門外であるその研究者の小さな発見に耳を傾けるものはなく、結局、そのサンプルは南極ラボの長期冷凍保管用ストレージにしまわれたままとなった。


そしてまた年月は過ぎる。


南極ラボに勤める若い男性、長期ストレージの試料整理をしていて「太古の?宇宙からの氷?」とのラベルのついたサンプルを見つける。

皆が帰った後のラボに残る男性、気になってそのサンプルを調べる。その氷の片隅に空気でなくて僅かに乳白色の部分が見つかる。

それはあたかも凍った有機物質、端的にいうと精子のような構造を持つもののようであった。


━━


私、望月衣舞(イブ)は、自他ともに認める、生物と地球史ヲタクだ。


子供の頃に読んだ生物や宇宙の図鑑がきっかけで、ライフサイエンスから宇宙物理学にまで興味が広がり、好きこそものの上手なれと科学系の難関校と言われる中高一貫校で自主研究と合わせ受験勉強に明け暮れる青春を過ごし、学びたい分野の最先端の研究をしている大学に進みたいとの強い意志で、再生医療で世界的に知られる国立大学を受験し合格した。


合衆国の大学から、うちの大学のラボに研究員として来ている彼に、色々と教わっているうちに、研究や興味の対象を含めて気が合い、一緒の時間をよく過ごすようになった。


彼は、合衆国の男性から見るとまだあどけなく見えて可愛らしい私(しょってる!)に惹かれ、私は、自信に満ちていて研究を進める、彼の研究に対する真摯な態度に惹(ひ)かれて、程(ほど)なく私たちは交際を始めた。


彼が母校――西海岸のバイオテクノロジー研究の一大拠点となっている大学に戻ることが決まり、私は彼を追うかのように、アプリケーションを提出し、ついでアクセプトされて、来季から彼の下で研究を続けられることとなった。

彼は、発生、それも細胞の受精から特に分化に関わる過渡域に関わるライフサイエンスの研究をしているとのこと。


渡米してまた復活した彼との関係の中で聞いた、噂話、南極のストレージにあった「詳細不明」なサンプルがうちの大学に移管されたらしい、そして、それは何か「特別な」有機物を含んでいるらしい、みたいな感じだった。


その話は、生物オタと地球史オタである私に刺さり、彼から聞いたサンプルの中の物体が気になって頭から離れなくなった。


ある時、チャンスが訪れた。

それを管理しているラボで彼の研究仲間が活躍しているとのことで、研究室の仲間と一緒に彼の引率で訪問することとなった。


千載一遇のチャンスと、私は彼にサンプルを持ちだすことをお願い――いや、彼の特別な性癖に応えるようなこともして――おねだりした。

彼は、自分の男性部分にコンプレックスがあるみたいで、普通の女子が期待するような普通の愛し方はあまりしてくれない。

けれども、私の体をつぶさに観察しながら慈しんでくれるのは、生物の研究者としてそんなものなのかと受け入れていた。


しばらくして彼から防護区域に呼ばれた。セキュリティーロックがグリーンになったのを確認して彼は、


(こんな来歴のわからないサンプルに価値はないから、きっと平気)


と自分に言い聞かせるかのように囁き、そしてまた自分の性癖を満たすために、私にサンプルを渡した。


外界とは完全に遮断された防護区画の片隅で、ひとしきり彼の観察あるいは快楽の玩具となった私だが、私もまたそれに応えるのをよしとするほどの性癖の持ち主なので、ある意味お互い様なのである。


発生の研究をしている彼にまたお願いして、もちろん彼の特殊な性癖を満たすためと、私の中から私の卵子を取り出してもらった。


その詳細不明のサンプルを興味本位で分析した精子のようなもの――それは私たちの間では隠語で単にSSUT(Special Sample Under Test) と呼ばれた――には遺伝情報の破片のようなものが含まれていたのが分かった。私は狂喜したが、非合法な手段で手に入れたためどこにも発表するわけにはいかなかった。


その遺伝情報の破片のようなものの起源を曖昧にするため、私は、彼の特殊性癖に寄り添って過ごす時に合わせてまた、おねだりした――彼は大層嬉しがっていたが――彼の精子の幹細胞に、その破片の中から私のセレンディピティーに引っかかった箇所の遺伝情報を組み込んでみた。


21世紀の昔と違って遺伝子操作や組み換え自体は、セミオートマチックに研究者なら誰でも簡単にできるようになっている。

サイエンス側にいると特にテクノロジーさまさまという感じがする。


マシンからのシーケンスの完了を知らせるメッセージを受け取った瞬間、私の心のなかで、別の大きなタガが外れた気がした――試したい!


彼に内緒で自分の卵子に興味本位でそれを注入すると、卵子の一つで受精反応が起こり細胞分裂が始まった。


私の作ったハイブリッドな精子が人間の――少なくとも私の――卵子に受精可能なことがわかった。

あまりの発見に驚き、怖くなり、その卵子を処分する。


時間が経って初夏。


研究に進展が無くいらつく彼と、ささいなことから始まって大喧嘩した。大喧嘩は、恋人同士の絡み合いに発展した。

喧嘩をしながらのラボでの激しいプレイの中で、思い余った私は、自分の卵子に彼のハイブリッド精子を人工授精させて体内に戻してもらうという、何か形而上学的な営みをした。


(私の子宮の中での発生――細胞分裂は途中でヒトの発生と異なりはじめ、卵のような膜に包まれていってたのを私は知るよしもなかった)


秋が深まり始めた頃、私の秘密の研究に疑念をもつ恋人――彼が私を問いただしてきた。


私は、秘密を話すからと、何故か一番セキュアなはずのラボの防護区域ではなく、人里離れた田舎へと二人で旅行に出かけた。


到着したホテルでは


「慌てないで、まずはご飯を楽しみましょ」


と何か山程聞きたがっている彼をなだめて美味しい食事を、美味しいからか、たくさん食べた。


夜になり月がのぼり始めるにつれて、私は何か落ち着きがなくなってくる。

私は、何かに取り憑かれた夢遊病者のようにふらふらと、町外れの、忘れ去られた田舎の公園の月夜のベンチに彼を招いた。

ベンチに腰を下ろした彼の膝に乗っかり、ものも言わずに背中を預け月を眺める。


(月が綺麗ね!これは背の君?ちょっと違うわね)


なんて思った途端、私の中で何かが私を何かに憑かれたかのように揺り動かした。

私は、私が唐突に激情したようにスカートを拡げ彼に構わず深く寄りかかるのを、まるで他人事のように観察していた。


━━


月明かりの下で揺れるシルエット。


その刺激で彼女から卵のようなものが生まれ、二人は戸惑い、竹やぶに隠す。


乳白色な膜に包まれた卵あるいは繭(まゆ)のようなものは満月の光を受けて淡い金色に輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。