(3)
暫く他愛も無い話をして乾いた道を歩いていた。
容赦なく照りつける日光に辟易しつつ時折莉子の様子を伺う。
確認してはいなかったが莉子は歩いてあの場所まで来ていたらしい。
“街を離れる前に少しでも多くのことを知りたかった。”
なんてことを言っていたがそれにしてもある程度の広さがあるこの街を徒歩で回ろうとするとは私だったら思わない。凄いと同時に少し呆れる。
「おばちゃーん、お金ここに置いておくからね」
「はいはい」
駄菓子屋さんの店内に入る。ひんやりとした独特の匂いが鼻腔をくすぐった。
莉子は駄菓子屋さんに来たことがなかったのかキョロキョロと周囲を見回している。
私は昔から良く食べていた駄菓子を見つけると迷わずそれを取ってお菓子や細々としたおもちゃ、くじに埋もれるように置かれている台へとお金を出した。
奥からお客の気配を感じておばちゃんが出てくる。
――ちゃりん
小銭が触れ合って金属の冷たい音が響く。
蝉の声がうるさいくらい溢れていた道を歩いてきた分その静かな音はよく耳に残った。
この店のおばさんも昔からの顔なじみだ。私が小さい頃から少しも変わっていないように見える顔はそれでも白髪が増えただろうか。
実際に来るのは何時振りだろうと記憶を振り返ったりしてみたが遠すぎてハッキリしない。
「久しぶりだねぇ。あたしゃ、中学生になったばかりだと思ってたよ」
ちろりとこちらを見たおばちゃんが言った。
この街に中学は二つしかない上、高校に至っては一つしかない。
だからこの周囲の子供しか見ないおばちゃんでも制服で何処の学校かなんて容易に判断で来てしまう。中学と高校の区別なんてもっと簡単だろう、と思う。
時々隣の市の高校の制服を着ている人もいるが余り制服を覚えるのが得意で無い私でさえ小さい頃から三種類の制服を見て来たせいでもう見て直ぐに判断できる。
長年子供を見てきたおばちゃんにはもっと簡単なはずだ。
「いやだ、おばさん。私はもう高校生よ」
「そうみたいだね。いやー、時が過ぎるのは早いよ」
あっはははと豪快に笑うおばさんを見て、愛想よく答える。
中学生の制服はもうとっくに卒業した。まだ物忘れが酷くなる年とも思えないが、この頃の暑さを考えれば近所の子供の年くらい忘れる事もあるだろう。
莉子はまだ見慣れないお菓子たちにきょろきょろと視線を動かしている。
友達かい?というおばさんの言葉に頷いて暫くその動きじっと見てみる。小動物のように端から端をすばしっこく動いていて、見ていて飽きない。
「そんなに珍しい?」
「はい!」
そんなに力いっぱい頷かれてはそうとしか言えなくなってしまう。
私にしてみればここにあるものは珍しく無い。いつも見てきたものだし、来ようと思えばいつでも来ることが出来る場所――そんな認識しかなかった。
だからふらりと立ち寄ったに近い場所で莉子がそこまで喜ぶとも思っていなかった。
「でも、ここだけじゃないんだから迷いすぎると時間がなくなるわよ」
「あ……そうですね」
からかい半分で言った言葉に彼女の表情が少し沈んだ。
失敗した。私は思わず顔を顰める。この街を離れるのが嫌だと泣いた少女に“時間がなくなる”は無神経だった。いつもなら常套文句である「また来よう」が使えるがそれでもできない。
できないからこそ彼女は泣いていたのだ。
知っていたくせに対応できない自分の迂闊さが嫌になる。こんなんだから友人にも鈍いとか何とか言われてしまうんだろうなぁと思い、彼女に分からない程度に苦笑した。
「じゃあ、お勧め教えてください」
そんな私に気付いたのか、気を遣ってくれたのか。それは分からない。
けれど莉子は顔を僅かに俯かせた私の顔を覗き込むようにして言った。その顔に浮ぶのは柔らかな微笑で先ほどの沈痛な面持ちは少しも見えなかった。
大人っぽい子。そして優しい子。私はそんな風に思った。
木の上から落ちるという迷惑すぎる初対面から今まで私は年下であるこの子に気を遣わせすぎだ。これではどっちが年上なのか分かったものじゃない。
莉子はいい子だ。
優しい。気が回せる。この二つだけでも彼女は私ができない事をすんなりとこなしているといえる。理想的な性格というものを具現化したらこういう子が出てくるんじゃ無いだろうか――そんな風に考えながら同時に少し心配になる。
「莉子は……」
「はい?」
出そうになった言葉を連れ戻す。
――疲れない?
そんな事を言うのはきっと彼女に対して失礼だ。
空気読まない、読みにくいと嫌な定評がある私だがそれくらいは分かる。
可愛らしく首を傾げる彼女の顔を見て「ううん、何でもない」と誤魔化す。生ぬるい風が開きっぱなしの扉から吹き莉子の髪を揺らす。外を元気に走っていく子供たちの声が聞こえた。
「お勧めはね」
何をすればいいのか分からなくなった私はとりあえず見慣れた棚たちを見回す。幸いな事に駄菓子屋にあるものは足繁く通っていた頃と余り変わっていない。
駄菓子の種類はそれほど増えることが無いのか、それとも人気のあるものが結局昔からあるものなのか。私には分からなかったし、別にどちらでも構わなかった。
でもこの時は代わり映えのしないラインナップに助かったと思ったのだ。
駄菓子屋さんを出て道を歩く。
相変わらずの暑さだったが一番暑い時間帯は越えたようだった。少しだけ太陽の光が優しくなったような気がした。それでも流れる汗の鬱陶しさは同じで時折拭わなければならなかった。
「楽しめた?」
「はい!駄菓子屋さんって色んなものがあるんですね」
「まぁ、“何でこんなのが”っていうのも置いてるわね」
実際あの店には様々なものが置いてある。
駄菓子は勿論良く分からないアクセサリーやら子供が好きそうな玩具もあるのだ。アクセサリーの中には時々良いものもあって街に出る前はここで買ったりしたものだ。
今日だって中々センスのいい指輪があってこっそり莉子には内緒でこっそり買ってしまった。財布の中身は限りなく薄くなったが彼女の思い出作りに貢献できたと思えば良いだろう。この数時間の付き合いであるが彼女の人の良さは充分に実感できた。こんな良い子の為にこそお金は使われるべきである――少なくとも参考書よりは。
親に対する言い訳を考えつつ歩いていたら隣からくーと可愛い音が聞こえてきた。反射に近い動きで音の聞こえてきた方向、つまり莉子のほうを見る。
彼女の白い肌が赤くなっていた。色が白い分、その差は顕著で私は少しだけ笑ってしまう。
「一回休憩しましょうか?」
丁度良く次は喫茶店に行こうかと思っていた。店の並びを考えるとそれが一番効率よく町を回ることが出来るからだった。とはいってもそこを周ったら最早見せるものなどほとんど無い。
本屋さんなどはあるが態々見せるほどのものとは思えなかった。
「お願いします」
顔を紅くしながら頷く。俯かされた頭は身長の関係もあって可愛らしい旋毛が見えた。
風が吹く。私の髪も莉子の髪も強いそれにはためいて、視界が塞がれてしまう。
一瞬のつむじ風。
風が凪いでそっと瞳を開ける。すると夏の空に昼寝する前に見た白い真昼の月が浮かんでいて、私は何だか不思議な気持ちになった。