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真昼の月  作者: ふじの
3/9

(2)



「へぇ、莉子のお父さんは転勤族なんだ?」


 とりあえず泣き止んでもらった彼女に私はできるだけ優しい声で話を続ける。

 気分的には子守だ。聞いた所、莉子の年は三つ下だった。弟と同い年という事もあってか、何となく放っておけなかった。

 手渡しはハンカチはまだ彼女の手の中に収まっている。

 よれよれのそれはポケットに入れっぱなしになっていた。恐らく、いつだか母親に無理やりに近い形で持たされた奴でお嬢様っぽい莉子が持つととても違和感があった。

 こういう子はきっと毎日きちんと糊付けされたハンカチを持って学校に行くのだろう。私の勝手な想像だけどその姿はとても似合っている気がした。


「はい。今日もまた転勤が決まったって」

「この街を離れるのね」

「ここにはお父さんの実家があるから、もう転勤しないのかと思ってんですけど」


 焦ってもいなくて、泣いてもいない莉子の声はとても落ち着いていた。

 少なくとも私の友達にはこういう喋り方が出来る子はいない。とても聞きやすくて滑り込んでくる話し方はまるで訓練してきた台本を話しているみたいだった。

 私が受けた感想としては放送部の子が教科書を読んでいるときに近い。

 聞き取りやすくて、抑揚があって、上手くて、そして眠くなる。


「転勤するって聞いて悲しくなった、と」

「……そうです。すみません、いきなり失礼な姿をお見せしまして」


 頭を深く下げる彼女に少しだけおかしくなる。

 転勤が悲しくて泣くことが失礼なら、木の上で寝ていながら落ちて心配を掛けた自分の方が余程失礼な気がした。比べるのが間違っている。

 転勤が悲しいのはその場所が好きだからだ。

 それには少しも失礼なことなど含まれていないと私は思う。


「いや、別にいいのよ」


 手を振って否定する。どうにも莉子は素直すぎる。

 今まで付き合ったことの無い人種に私は少しだけどうしたら良いか分からなくなった。

 彼女の顔を見ればまだ僅かであるが泣いたことが分かる。目は赤くなっていたし、瞼も少しだけ腫れぼったい。とりあえず莉子の手からハンカチを取って涙の後だけ拭う。

 少しだけ驚いた顔をされて私はとりあえず微笑んでおいた。


「どっか、行こうか」

「え?」


 ぽかんと口を開けて固まる。何を言われたか理解していない顔だった。

 予想通りの反応に私は胸の中に風が差し込んだように気分が良くなった。

 とりあえず彼女に事情を理解させようと余り回転が良いとは言えない頭を働かせる。言葉を選ぶというのは難しい作業だ。自分の言いたいことをきちんと伝えられたかなんて確認もできない上に伝わった所で後から変わってしまうことも多い。

 気心の知れた友人ならいざ知らず、初対面の年下相手に使うべき言葉を私は知らなかった。

 悲しいことに後輩に慕われる性質たちでもないので学校での経験値もゼロに等しい。


「夏休み中に転勤しちゃうんでしょ?」

「はい」


 風に木がざわめく。同時に夏草もそよいで素肌を刺激した。

 そういえば、と下げた視界に自分とは比べ物にならないきちんとした丈のスカートが見える。

 さっきから感じていたのだが莉子はどうにもお嬢様という形容詞の上に真面目なという文字がつくようである。


「なら、その前に思い出作らなきゃ」

「え、ええ?」

「ほら。こっち」


 まだ戸惑った顔をしている彼女の手を握って引っ張る。

 ここに来るのが初めてだった彼女とは違い、私は通いなれている。歩きやすい道を選んで自転車の元に戻ることなど朝飯前だった。

 木の所に行った時間の半分ちょっとだろうか。

 それくらいの時間で私はきちんとした道へと戻ってきていた。


「あれ?」


 戻ってきたもののそこは何もなかった。

 相変わらず舗装される気配も無い砂利道に、この頃の暑さですっかり干上がった水溜りの底がひび割れていて物悲しい。踏んだ所で泥の感覚もなく砂埃が舞うのは分かっていたので自転車でも、たまの歩きでも避けることにしていた。

 そこまで細々と見てみたところでなくなったものが見つかるわけでもない。むしろこの殺風景な場所で自転車という大きなものが見つからない時点で無いのだ。

 分かりきっていた現実に納得した所で、隣を歩いていた莉子が不思議そうな顔で私を見る。


「どうしました?」


 どうもこうも自転車が無い。 だがそんな事私以外知るわけが無いので黙っておく。

 そう大したことではないものの隠すほどのことにも思えなくて素直に口に出した。


「自転車がなくて、ね」

「大変じゃないですかっ」

「こんな所に鍵掛けないで置いておいたのが悪いもの」


 人も通らない場所だから油断していた。

 だが街中でこれをすれば鍵も掛けずに放って置いた方にも責任はあることになる。

 慌てた様子で周囲を見回す莉子を見ながら髪の毛を弄る。長いそれは指の先でくるくると回っている。どうしようかと少しだけ考えて、脳裏に描いていたルートを改竄する。

 自転車については気にしない。

 明日は幸い休みの日だし、その間に買うなり借りるなりの手段を講じることにする。

 今至急なのは私の自転車とこれからの登校についてではなくて、莉子をどうやって遊ばせるかというそれだけなのだ。


「ゲーセンは無理か……まぁ、近所だしいいけど」


 定番は諦めなければならないが思い出が作れないわけでもない。

 全然知らない場所だったら困ってしまうかもしれないが幸いなことに熟知している。

 ゲームセンターやカラオケがある市街地に徒歩で行く気にはなれなかった。自転車も一台しかなかったがそれはそれ、二人乗り(ニケツ)という便利な手段がある。

 莉子は見たところ軽そうだし問題ないはずだ。いかに体力に自信の無い私でも。


「そうなんですか?」

「そっ。昔ながらの街並みって奴ならここら辺の方がいいわよ」

 

 莉子のまあるい瞳に説明する。

 田んぼに畑、神社に無駄に広い空き地。更には駄菓子屋なんてものも存在している。レトロな気分を満喫するにはある意味持って来いの場所である。

 喫茶店も一応なりともあるし時間を潰そうと思えば出来なく無いのだ。ただこの周辺に済む子供は高校生にもなると飽きるほどそれらを周っているので行動範囲が広がってからは足が向かなくなる。それだけだ。


「それじゃ、行きましょうか?」

 

 大体の予定を決める。

 相変わらず刺さるほどの夏の日差しが肌に痛い。歩くと考えただけでくらりと視界が揺れ、早めの熱射病にでもかかってしまったようだった。

 隣を見る。

 まだ涙の後はわかるけれど、私よりは余程スッキリした表情の莉子がいる。中学生はまだ元気に溢れているんだろうかと三つ下だった彼女の顔を見ながら考えて、暗い考えになってしまいそうだったから打ち切る。

 高校生はまだ若い。まだ若い。と頭の中で繰り返す。

 友人から老け顔なんて言われた記憶は何処か遠い彼方に捨ててきた。


「はい」


 莉子がにこりと微笑む。

 その顔はやはり自分にはない若さが輝いていて、私は少しだけ気落ちした。


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