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真昼の月  作者: ふじの
2/9

(1)


――トサ


 これは私が草の上に落ちた音。

 別に体重が軽いことを自慢しているわけではない。

 むしろ身長があるせいでクラスの中ではきっと重い方に振り分けられる。

 そんな私が“トサ”なんて軽い音で済んだのは、木の下に生える夏草の生命力が強靭だったおかげに他ならない。

 埋もれたような上体のせいで目前に揺れる草の薄緑に私はありがとうと小さく呟いた。


「あ、あのっ、大丈夫ですか?」

「んー?」


 そんな風に現実逃避をしていても仕方ない。

 私はまさか本当に落ちるとは思わなかった枝を見上げながら浸っていた私の耳に少し離れた場所から声が聞こえてきた。

 身体の何処も痛くはないし、寝起きで起き上がるのが面倒だった。

 それだけの理由で草の上に寝転んだままだったのだけれど人がいるなら起きなければならない。どうやら心配してくれているようだし、と私は身体を起こした。

 丈の高い草は座っている私の肩くらいまでは余裕で高さがある。

 時々擽るように肌に触れてくすぐったい。


「大丈夫だけど」


 痛みが無いから平気だとは思いつつ自分の身体を見渡す。

 所々に千切れた草が着いてしまって、制服から払うのが面倒くさそうだった。それ以外は特に目立った外傷は無い。夏草は良く切れるから切り傷の一つや二つは覚悟していたのだがそれも私の杞憂だったようだ。


「木の上から落ちたんですよっ、大丈夫なわけ……」

「あるのよね、これが」


 のんびりと立ち上がって草を払う。

 私が手を動かすたびに落ちていく緑は見ていて少し面白かった。

 ざざざざと重いものを掻き分ける音を出しながら声の主が近づいてくる。


――そこ道じゃないから、通りにくいのに。


 随分大変な道を選ぶ人だと思うけど、心配そうな表情に言葉を呑む。

 そっちの方が通りやすいなんて心配で頭が一杯の人間に言った所で聞いてくれないだろう。大体にしてもう距離も然程無くなってしまっていた。

 ここによく来る人でなければ草の濃い薄いなんて分からないのだ。私くらいしか来る人はいないし、つまり道なんて言っているのも私だけということだ。


「心配してくれてありがとう」


 近づいた人影にできるだけ笑顔を心がける。

 友達から素の時の表情が無に近すぎて取っ付きにくいなんて忠告を受けたこともある。

 それからはなるべく人と接する時は笑顔を、というか感情を顔に出すようにしている。これが中々面倒くさくて、時々私がここに息抜きに来る理由の一つかもしれない。


「いえ、あの……本当に大丈夫ですか?」

「うん。気にしないで」


 心配そうにこちらを見てくる。


――そんな顔されても、困るんだけど。


 私としては怪我も無いしちょっと失敗したくらいの気持ちなのだ。きっとこれからも時々はこの場所に来て、落ちた木によじ登って昼寝するのだから。

 風がまた吹いてむき出しの足を草がちくちくと刺激する。

 寝ている時は余り感じなかったが元々ここら辺の草は先端が尖っていて少し痛い。

 立ったことで丁度良く草の高さとスカートから出ている足の部分が当たるようになったらしい。


「あなたはどうしたの?こんな所で」


 パッと見た姿は制服だった。

 見たことがある。というよりこの街に二つしかない中学校の制服だ。

 私が通っていた学校とは違うから必然的にもう一つの中学校のものになる。

 そして中学生という事は年下という事も流れで決定される。

 長い黒髪は私とは対照的な清楚さとでもいうものを醸し出していて、草の合間から見た第一印象はそのままお嬢様だった。見知らずの人を心配するあたり性格的にも擦れていない素直で真っ直ぐな粉のだろう。

 初対面の人に何をあれこれ考えているのか自分でも良く分からなかった。

 言わせて貰えばそういうものを一瞬で思えるほどの容姿を彼女はしていたということだ。


「わた、しは」

「ん?」


 トーンの下がった声に私より下にある顔を覗き込む。

真っ直ぐな髪はサラサラとしていて風に僅かに揺れる。その度に長い睫に縁取りされた瞳が隠されて彼女の表情を分かり辛くなってしまう。

 何処からどこまでも私と対照的な雰囲気を持つ子だった。


――ぽろり


 擬音にすればそんな感じ。

 私は彼女の瞳から涙が生成されて丸い珠となり白い頬を滑り落ちるのを見ていた。

 びっくりはしていた。それはもう、言葉に表せないくらいに。

 きっと今の私の表情を俯瞰カメラで取って友人達に見せれば「あんたも驚けるんだね!」と逆に驚いてもらえるくらいには驚いていた。

 だってこれは完璧に私が泣かせた、ということになる。

 今この場所に居るのは私と彼女だけで、彼女が泣いたのは私が話しかけた瞬間で、その二つの事実だけ証拠には充分だろう。


「と、とりあえず、座る?」

 

珍しく噛んでしまった。私の動揺具合をよく表している。

 私が寝ていた枝に敷いていた布を取ろうと上を見るもそこには何もなく、ただ太い木の枝が悠々と若葉を伸ばしているだけだった。

 あれ、と首を傾げるもない物は仕方ない。

 きっと木から落ちたときに一緒に落ちたのだろう。だからといって足元が見え辛いくらい茫々の草むらを探す時間は無い。

 少しでも落ち着くように布の上に座らせてあげたかったのだ。

 ちなみに私は普段から気にせず地面に座る。だが見るからにお嬢様である彼女がそれをするかは全く別の話である。しかしここは諦めて座ってもらうしかないだろう。


「はい」


 蚊の鳴くような声で彼女は答えた。

 返事が来たことにとりあえずほっとした私は気休め代わりに地面を掃いて促した。

 しずしずと頷き綺麗に足を畳んで座る隣に私も腰を下ろす。やっぱり草がちくちくと刺さった。



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