第7話
理想的な死に方とはどんなものだろうか?
リエルと出会う前。ジャックはそんな殊勝なことを考えることもあった。
誰だって、いつかは死ぬ。そこに違いはない。死ねば灰になるだけ。
ただ死に方にも違いがあるんじゃないか、とたまに考えることもあった。
幸福な死に方と、不幸な死に方はあるのだろう。
家族に見守られながら穏やかに老衰するのならば、幸せな死に方ではないのか?
では。誰にも看取られず、孤独の中で死んでしまうのは不幸な死に方なのではないか?
そしておそらく自分の最期は不幸な死に方になるんだろうな、とジャックは諦めていた。
家族はいない。友人もいない。
大切な人間もいない。どうやれば大切な人間ができるのかも分からない。
きっと一生分からないまま。
自分の最期が惨めな死に方になるのは避けられない。
クズに相応しい結末を迎えるのだろう。
だから、死ぬまでは好き勝手生きようと思っていた。
リエルのあの目を見るまでは、そう思っていた。
◇◇◇◇
ジャックは昔の夢を見ていた。
脳みそが焼かれるほどの鮮明な光景。
ジャックが『吸血鬼の城』に乗り込んだときの光景が広がる。
大広間にてジャックは一人の人間と対峙した。
髪の毛は白く染まった、大柄な老人だった。顔中しわだらけで、死を待つ老人にしか見えなかったが――顔に似合わず屈強な体つきをしていて、何より目には生気が宿っていた。
男は吸血鬼の下僕だと自ら名乗った。
彼女を守るために戦う騎士だとも。
ジャックは男と戦った。
男は強く、とても老人には見えなかった。
しかし。激戦の末にジャックは男を倒した。
ジャックはできるだけ人間は殺さないよう気を遣っていたが、強者相手にそんな余裕はなかった。彼の胸元を切りつけ致命傷を与えた。
男にはまだ息があった。
男は息も絶え絶えにながら、なにかを探すように周囲を見回していた。
「――あら。死にそうじゃない。アレスト」
そのとき。大広間の奥から一人の少女が現れた。
美しい銀髪の少女だった。
ジャックはその少女を見て、息をのんだ。
彼女から発せられる『圧』に気圧されたのだ。
かつて国を滅ぼそうとする巨大なドラゴンと戦ったこともある。そのドラゴンを凌ぐほどの圧が少女から発せられていた。
生物としての圧倒的な格。
次元が違う化け物。
ジャックの目の前に現れた化け物『吸血鬼リエル』。
彼女はジャックに目もくれず、死にかけの男に目を向けていた。
アレストと呼ばれた男は芋虫のように這いずり回り、少女に手を伸そうとする。
「リ、リエル様。申し訳、ございません……アナタの下僕としての役目を果たせませんでした……」
リエルは一歩ずつアレストの方に近づく。
「良いわ。人間にしてはよく頑張った方じゃない。褒めてあげる」
死にかけの男を見て、リエルは微笑んだ。
男を助けようとするそぶりは一切見せない。
「も、勿体なきお言葉……」
「ねぇ。アレスト。助けて欲しいかしら?」
と吸血鬼は男に尋ねる。
男はゆっくりと首を振った。
「私は……失敗しました。アナタの側にいるのに相応しくは……ありません……どうか、お気になさらず、処分してください……」
「そう」
彼女の手にはいつの間にか赤い物体が握られていた。
手のひらに収まる程の大きさで、赤く脈打つ物体。
心臓だ。
おそらくアレストの心臓なのだと、ジャックは直感で分かった。
アレストは陶酔した顔でリエルを見る。
「おお……! 貴方の手で自ら……!! 感謝します……感謝……します……」
「ええ。それなりに楽しかったわ。アレスト」
吸血鬼は死にかけの男を眺めている。
その吸血鬼からジャックは目が離せなかった。
彼女の男に向ける眼差しを見ていた。
いなくなることを惜しむように、吸血鬼は男を眺めていた。
悲しさや愛情は感じさせない。
ただ、少しだけ残念だなと思うような目。
執着もせず、ただなくなったことを惜しんでいる。
吸血鬼は男の心臓を握りつぶした。
男はそのまま倒れて、死んだ。
吸血鬼は男の死体をもう一度だけ見た後、視線を逸らす。
そして。ようやくジャックを見た。
「で。アナタは?」
それからジャックは吸血鬼リエルに完膚なきまでに敗北し、調教され、下僕となった。
――今でも。あの目をジャックは思い出す。
彼女が自分の下僕を愛することはない。
ただ……。それでも。
彼女のような存在に、死ぬ時に少しだけ残念に思ってくれるのなら。
それは悪くない結末なんじゃないかと思ってしまった。
◇◇◇◇
「――あら。起きた?」
夢から目を覚ますと、ジャックは自分がベッドの上にいることに気づいた。
ベッドから起き上がり周囲を見回す。
古めかしい家具がある部屋。『吸血鬼の城』のジャックの自室の中だ。
ベッドの端にはリエルがちょこんと座っていた。退屈そうに足をぶらぶらさせている。
「ジャック。あなた帰ってきた後、ずっとベッドの上で寝ているんだもの。そんなに疲れた?」
「……すいません。マスター」
ジャックはリエルに頭を下げる。
ウィル達を始末したあと。リエルに迎えにきてもらって城に帰ったのだった。
人を殺したのは久々だったので疲れが出たのか、そのまますぐに寝てしまった。
リエルはジャックに近づいてきて顔を覗き込む。
「……私と別れた後。何かあった?」
「そ、それは……」
言いよどんでしまう。
ウィルは犯罪者と繋がりのある男で、リエルのことも売り飛ばそうとしていた。
その事実をリエルに告げるのを躊躇ってしまう。
ジャックが言いよどんでいると、ポンとリエルの手がジャックの額に触れた。
「良いわ。アナタの記憶を読むから」
彼女は人の記憶を読むこともできた。
彼女にできないことなんて殆どないんじゃないか、とジャックは考える。
ジャックの記憶を読み取る最中、一瞬だけリエルは顔をしかめた。
記憶を読み終わり、彼女はジャックから手を放した。
「ハァ。なんだ。ウィル様はこんな感じだったのね……」
ウィルの正体を知ったのだろう。
彼女は不愉快そうに呟いて、
「ま。そんなものね。次に行きましょう」
とけろりと言った。
(ああ。本当に……)
何一つ気にしていない様子のリエルを見て、ジャックは感動を覚えた。
(マスターにとって人間は本当にどうでも良い存在なんだな……)
人外の化け物で、人間の恋に憧れながらも、本当のところは人間に何一つ価値を感じていない。
どういう死に方が幸福かどうかなんて、そんな悩みを吹き飛ばしてくれるような存在。
今までの人間の価値観なんて無意味だと思わせてくれる存在。
そういう存在がいることを初めて知ったとき。
ジャックはどこか救われた気持ちになったのを覚えている。
「さて。さて。ジャック」
とリエルに呼ばれてジャックは我に返る。
「は、はい。何すか」
「随分と勝手な行動をしてくれたわけだけど……何か弁明あるかしら?」
主人の意中の相手を、主人に知らせぬまま処分したのだ。
勝手な行動だと咎められても仕方がない。
「……マスターの手を煩わせるほどのことではない、と俺が判断しました。マスターの代わりに汚れるのが、俺の仕事で……この上なく名誉なことだと考えています」
「ふぅん。へぇ……」
ジャックは大人しくリエルの裁定を待つ。
「うん。ま、良いわ。今回も大目に見てあげるとしましょう」
リエルの意中の相手を処分したのが今回が初めてではない。
ウィルと同様のクズもいたことがあった。
その度にジャックが処分していったのだ。
「よくやったわね。ジャック。褒めてあげる」
「……ありがたき幸せ」
とジャックは頭を下げた。
リエルはジャックの頭を撫でようと少し背伸びをする。
しかし、途中で伸す手をやめた。
「なでなでしてあげたいけど、体が邪魔ね。あなたの」
「……へ?」
呆けるジャック。
次の瞬間、鋭い風が吹いた。
ザンッという鋭い音と共に、ジャックの頭が首から切り落とされる。
「キャッチ」
ジャックの頭はリエルに捕まえられ、そのまま彼女の膝元に置かれた。
「これで良し。アナタは背が高いから、頭撫でにくいのよ」
「……なるほど」
頭と胴体が分離したが、ジャックは生きている。
彼女の何らかの魔法によるものだろう。
ちないみに自分の胴体はビクビクと悶えていた。
そのまま彼女に頭を撫でられる。
「よしよい。嬉しい?」
「はい! とても」
「ワンちゃん言葉で」
「ワン! ワン!」
「はい。良い子ね」
「くぅーん」
と下僕ジャックは犬の鳴き真似をする。
「ふふふ。アナタは面白いわね」
「ワン!」
「顔は全然好みじゃないし、アナタのことを好きになることはないけれど……気に入ってるわ」
彼女の言うことは正しい。
ウィルに向けていた目を自分に向けることは絶対にないのだろう、とジャックは分かっていた。
「でも。手元に置いておいてあげるわ。もし飽きたときには……そうね。アナタの心臓はちゃんと私の手で潰してあげる」
彼女に頭を撫でられながら、ジャックは思った。
もしかしたら、自分も彼女のような存在に……死ぬ時に少しだけ残念に思ってくれるのかもしれない。
そして最期は彼女の手にかかって死ぬことができる。
それは。
悪くない最期に思えてしまった。