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髷の実家、菊花屋

「ただいま、母さん」


 雨水の言葉に十二は首をかしげた。


(母さん?)


 振り向いて、雨水がにっこりと微笑みながら、十二を促した。パーリィも福々も後から入って来る。


「ここは俺の実家なんだ」

「ご、ご実家!」


 びっくりして、十二は思わず肩をすくめた。わあーいきなり実家に通されてしまったぞ。


「こんにちは、新入部員さん」


 ご婦人……雨水のお母さんが、にっこり笑う。

 ああ……お母様……素晴らしい髷を産んでくれてありがとうございました……と十二が拝む気持ちで見つめていると、パーリィが後ろから彼の頭に手を置いて、お辞儀をさせた。


「なーにニヤニヤしとんじゃ、ご挨拶せんかい」

「す、すみませんっ!小鳥遊十二たかなしとうじです!よろしくおねがいします!」


 慌てて、十二が挨拶をする。お母さんは、「はい、よろしくね」と、にこやかに返事を返してくれた。パーリィの手が頭から退く。お母さんが、雨水に寄り添う。


「先生とはどう?」

「どうって、普通だよ」


 二人の会話に十二が、首を傾げる。先生?大学の先生のことだろうか。お母さんが、小さく十二にウィンクして、手を口元に当てて囁いた。


「この子はねえ、卒業したら噺家になるって落語の先生とお約束してるの」

「母さん、その話はいいから……十二くん、来てくれ」


 顔を上げると、雨水が手招いていた。

 ひょこひょこと十二がついて行くと、雨水がえもんかけに掛けられた男物の着物の前で待っていた。十二がそばに来たのを見止めると、雨水は語り出した。


「落語ってのは、語りの文芸だ。本来は、何がなくとも出来るもんだが……ともあれ、必要なものは揃えていかねば格好がつかない。そこで……まず着物を買う」

「着物……」

「うん。着物は噺家のユニホームだ。勿論我が落研でも着物を着て部活を行う。今日はその為に日を用意したわけだ」

「わざわざ……ありがとうございます!」

「なに。これも新歓って恒例行事さ。それにおぼこい着物初心者を『着物買ってこい』って街へ一人放り出すなんて、呉服屋の息子の名折れだ」


 雨水は言いながら着物を物色している。指先で、えもんかけにかかっている着物を手繰る。


「まず着物の生地だが……」


 そう言いながら、雨水が藍色の着物を一枚取り出す。


「これは化繊生地で出来てるんだ。化繊繊維の略で、いわゆるポリエステルだな」

「へえ!着物でもポリエステルで出来てるのがあるんだ!」

「うん。洗濯機で丸洗いできて、何といっても他の着物に比べてかなり安い。一枚五千円くらいのもあるな。でも吸湿性がないから、夏場は着るのが結構つらいし、一見して風合いが他の生地に劣るなどデメリットもある」


 雨水は次に縦じまの着物を取った。何だか他のと比べて生地がかっちりしている。


「これは、麻生地で出来た着物だな。これも洗濯機で洗えるが……手洗いでネットに入れて優しくやらなきゃいかん。麻は皺になりやすいからな。でも通気性が良く、夏場重宝するぞ。値段は三万から四万だな」

「三、四万円ですか……」

「安心してくれ。一万以上は部費から出ることになっている。その為にあらかじめ君から徴収した訳だ」


 なんだ、新歓の一万円は着物代だったのだ。しかも、それ以上は部が負担してくれる。十二はほっとして、胸を撫でおろした。


(そにしても、着物って高いんだな)


 まったく知らなかった。落研で落語をやるのも、中々前途多難だ。これでは新入部員がいつかないのも良くわかる。

 続いて、雨水の手が黒千鳥柄の着物に伸びる。


「この着物は木綿生地でできている。木綿生地で出来た着物は、カジュアルめでオールシーズン使えるな。化繊と麻と同じく洗濯できるが……縮みやすいのが難点だ。値段は一万五千円から二万ってとこだ」


 雨水は綿の着物を元に戻すと、次に水色の着物を取り出した。


「これは正絹の着物だな。正絹とは、100%絹糸を使って織られている生地のことだ。正絹はいいぞ。肌に吸い付くようだし、通気性も抜群だから、着ていて心地がいい。これの特徴は、動くとキュッと音がする所だな。デメリットは……洗濯機で洗えない所と……値段が高い所だ」

「……どのくらい?」

「そうだな。正絹で着物を揃えようとすると、一枚最低でも相場は……七万円はする」

「な、七万円!?」


 十二は驚いて眼を剥いた。七万円なんて、学生には、とんでもないくらい高い金額だ。


「そこで、登場したのが……これだ」


 指が白茶の着物の前で止まって、雨水がそれを取り出す。そして十二の肩にその襟を添わせた。


「この着物は東レシルックという高級ポリエステル生地だ。絹のような風合いで、値段はそこそこに抑えられている。洗濯機でも洗えて、手入れもしやすい。値段も三、四万が相場だ。噂じゃ、プロの噺家も良く着ているらしい」


 雨水は、うんうんと頷きながら十二の顔と着物を交互に見詰めている。


「反物から仕立てるのが一番良いが……とは言え時間がかかるしな。よし、一枚目はこれにしよう。十二くん」

「は、はいっ!」

「脱いでくれ」

「え!?」


 あっちで。と雨水が指をさす。試着室が、その先にあった。

 なんだ。いきなりストリップしろと言われてしまったかと思った。


「下着姿になって、中で俺を待っててくれ」

「ええ!?」


 十二は二度目の奇声を上げてしまった。下着で待てとはどういうことだろうか。十二は驚いて顔を真っ赤にしてしまった。


「何を驚いている。着物の試着はパンツだけ残して後は全部脱がないとできないぞ」


 そう言うことか。いや、そう言うことでも何だか意識してしまって恥ずかしくなってまう。雨水が優しく囁く。


「さあ……緊張するな、俺に身を任せてくれればいい。脱いで……」

「部長、怪しいこと言わないでください」


 後ろで中古の着物を物色していた福々が突っ込む。雨水は、どこ吹く風で飄々としている。


「何を言う。呉服屋の息子として、身を任せてくれればこんなにいいことはないだろう。俺が手取足取りこの体に色々教え込んで……」

「いっ、行ってきます!」


 恥ずかしさにいたたまれなくなって、十二が試着室に駆けだす。カーテンを引いて中へ入り、しっかりそれを閉めて、動揺ではぁはぁ切れた息を整える。


「よ、よし」


 十二は気を取り直して、洋服を脱ぎ始めた。


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