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髷の独白


 小鳥……十二とうじの顔が、みるみるうちに強張り、困惑に満ちていく。


 ああ、しまった。


 そう思った時には、もう遅かった。吐き出した言葉は、もう二度と飲み込めない。


 一体、いつから、こんなにも深く、お前を好きになってしまったんだろうか。

 出会いは、去年の春、入学式の後だった。

 あの喧騒の中、一人花壇の隅にしゃがみこんでいたお前を見つけた時、俺は吸い寄せられるように声をかけた。あの時の、おずおずとした、それでいて何かを求めるような瞳に、なぜか強く惹かれたんだ。それが、始まりだった。


 落語研究会に誘い、稽古をつけ始めた頃は、まだ「可愛い後輩」という認識だった。

 だが、お前は、俺の想像を遥かに超える勢いで落語を吸収していった。真っ白いスポンジが水を吸い込むように、見る見るうちに噺を覚え、自分のものにしていく。その純粋な探求心と、落語への真摯な姿勢に、俺は感銘を受けた。


 六月、初めての高座。「長短」を噺し終え、緊張から解放されたお前の顔は、達成感に輝いていた。あの時、舞台袖で褒めるために肩に手を置いた。その小さな肩に触れた瞬間、どうしようもなく愛おしいと感じたんだ。それは、ただの後輩に対する感情じゃない。そう直感した。


 七月の介護施設への慰問。

 お前が「元犬」を噺して、老人たちを心から笑わせている姿を見た時、俺の胸は喜びでいっぱいになった。あいつは、本当に人を笑顔にできる。俺の「船徳」の後、目を輝かせながら「小髷先輩を推してて良かったです!」と言ってくれた時。その真っ直ぐな言葉に、俺の心の奥底に眠っていた何かが、音を立てて崩れていくのを感じた。

 きっと、あの時、俺はお前に恋をしたんだ。


 それからだ。俺の日常は、すっかりお前中心に回り始めた。

 部室にいる時、無意識にお前を目で追っている。

 お前が、少しでも疲れた顔をしていると、胸が締め付けられるように感じた。

 お前が他の部員と楽しそうに話していると、理由もなく苛立った。

 俺の髷から香る、バニラの匂いを先輩の香りだと言って、嬉しそうに近寄ってきた時。

 俺自身の匂いに、こんなにも愛おしさを感じたことはなかった。

 そして、何よりも、お前の隣にいると、妙に落ち着く自分がいた。

 まるで、今まで俺の人生に欠けていたピースが、そこにはまっているかのような、そんな感覚。


 ああ、俺は、こいつが好きだ。

 強く、深く、どうしようもなく。

 それは、もう「推し」と「推される側」の関係ではなかった。

 先輩と後輩の関係でもなかった。

 純粋な好意が、いつの間にか、男としての、一人の人間としての、切実な「恋」に変わっていた。


 学園祭も終わり、そろそろ卒業後の進路を考え始める時期だ。

 このままでは、ただの「部長」で終わってしまう。

「落語の師弟関係」で終わってしまう。

 それが嫌だった。

 もっと、深く、あいつと繋がりたいと、願ってしまった。


 だから、今、ここで、この言葉を伝えるしかなかった。

 夜風が、冷たく頬を撫でる。

 お前の戸惑う顔を見て、俺は自分の馬鹿さを呪う。

 でも、もう後には引けない。

 俺は、お前が好きだ。

 誰よりも、お前を大切にしたい。

 この想いが、お前に届くかどうか、今はまだ分からない。

 だが、俺は、この気持ちを、もう隠し通すことはできない。


 この告白が、お前を傷つけてしまうかもしれない。

 落語から、遠ざけてしまうかもしれない。

 そんな不安が、胸を締め付ける。

 だが、それでも。


(俺は、お前に、この気持ちを伝えたかったんだ)


 公園の街灯が、ぼんやりと二人を照らしている。

 今、俺の目の前にいる、この、愛おしい存在。

 お前を失うかもしれない恐怖と、それでも伝えたい想いが、俺の心の中で激しくせめぎ合っている。


 十二とうじ


 お前は、俺にとって、何よりも大切な存在だ。

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