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ホール・寄席時そば

 十二とうじ気が付いた時、もうそこはB棟のホールだった。

 手にはチラシが握られており、そこにはホウゲツテイの名もあった。多分、「芳月亭」と書くらしい。

 あの芳月亭の声を聞いてから、十二は何となく夢見心地だった。もっとあの人の声を聞きたくて、おぼつかない足取りでふらふらとここへやって来てしまった。

 通路の向こうから、テンツクトンと三味線の音が聞こえてくる。太鼓や笛の音も入り交じって、何だがお祭りの前のような気持ちにさせられた。

 ふわふわとした気持ちのまま、道を曲がってホールの中を覗き込む。ホールの分厚なカーテンは、すべて閉められていた。薄暗い室内に、スポットライトに照らされた長四角の赤い大きな箱が置いてあった。その前に観客の学生たちが座っている。


「どうぞ!」

「ふえ!」


 声をかけられて、十二は飛び上がった。後ろを見ると、さっき大ホールの前で見た落研部員の一人が立っていた。彼は、細くて吊り上がった狐目の、涙ほくろのついた顔をにまにまさせて、中へ中へと十二を促している。


「ほんな所に突っ立って、きょうてえんか?きょうとうねえぞ!へえりなよ!」


 明るい声で、落研部員が言う。きょうてえ?何弁だろう?と思っている内に背中を押されて、十二はホールの中へ入ってしまった。


「まあ一回聞いていけえ!な!」


 観客席に連行されてみると、そこにはパイプイスがきちんと並んでいた。落語って、正座して聞かなくてもいいんだ……と思うや否や、目の前のイスに座らされる。


「こけえちゃんこしてな!な!」


 部員は、そう言いながら両手で十二の肩をバシバシと叩く。


(ついに座ってしまった……)


 落研にくるなんて引っ込み思案な自分にしては、大胆な態度を取ったものである。十二はちょっと驚いて、自分の行動を顧みながら周りを見つめた。

 観客席はも妙に縦長だった。パイプイスはぎっしりと並べられていて、式典なんかと違って真ん中は開いていない。イスから1,5メートルくらいの所に赤い大きな箱がある。120cmくらいの高さだろうか。箱の上には紫色をしたふかふかの座布団が置いてあって、その手前にマイクが鎮座している。箱の後ろには長い金屏風が置かれていて、背景を隠していた。屏風の端の方に看板があって、白い紙がかかっており、そこに太い詰まった字で「花楽亭パーリィ」と書かれていた。

 あのホウゲツテイの姿がない。

 姿を探していると、後ろの部員が声をかけてきた。


「この空間が気になるか?あの赤い毛氈敷いたんは高座っていうんじゃ」

「へえ!?」


 ホウゲツテイを探してていたのを気取られてはいないようだ。それにしてもなるほど高座か。


(高いからかな)


 などとと思っていると、部員は後から十二の肩を揉んで言った。


「俺、花楽亭パーリィじゃ。開口一番に出るから、よろしくな!」


 そう言うと、パーリィは十二の肩をバンバン叩いて行ってしまった。

 止まっていた三味線と笛太鼓の音がまた鳴りはじめた。

 ざわついた客席がしんと静まり返る。

 着物の女の子が、ゆっくりと金屏風の後ろから出て来て、看板の傍まで来ると、「花楽亭パーリィ」と書かれた紙を捲った。その下には、「時そば」と書かれた紙が控えていた。

 どうやら、「花楽亭パーリィ」は噺家の名前で、次の「時そば」演目を意味するらしい。

 女の子がすっとまたいなくなる。舞台に視線を戻すと、金屏風の後ろから、誰かがひょっこりと顔を覗かせた。花楽亭パーリィだ。

 彼はいそいそと高座へ向かうと、階段を登り座布団の上へ、裾を正して正座した。


「えー下手なお笑いを一席……」


 そう言うと、彼は「時そば」を噺はじめた。

 冬の深夜、男が通りすがりの屋台の二八そば屋を呼び止め、しっぽくそばを注文する。男はそばに手を付けて、看板を褒め、割りばしを褒め、ちくわを褒めた。

 パーリィがそばつゆをすする真似をする。ずずず、と言う音がして、幻のそばが彼の手の中に現れる。


(あ……)


 すごいな、と素直に思った。その手の中には何もないのに、たっぷり汁の入ったそばが本当にあるようだ。

 扇子を箸に見立てて、パーリィはどんぶりを片手に持ち替えた。麺をすする。

 ちゅるちゅると言う音があたりに響く。本当に麺をすすっているようで、十二は生唾をごくりと飲み込んだ。

 今日の夕飯、おそばにしようかな。

 と思っているうちに、話はどんどん進んで、男がそば屋に手を出させた。


「ひい、ふう、みい……なな、やあ、今何時でぃ!」

「へい、九つで」

「十!」


 男は時刻を聞く事によって、勘定をごまかした。ふっと小さく笑いが起こる。続いて、

 主人公はその勘定ごまかしを見ていた男に変わった。

 俺も勘定をごまかしてやると町に出た男だか、彼がつかまえた屋台は昨日見た店とはまったく違っていた。箸は先に誰かが使ったもの、器は欠け、汁は辛過ぎ、そばは伸び切り、ちくわと思ったのは紛い物のちくわぶだ。

 パーリィの嫌そうな顔つきに、わははと笑いが起こる。

 今日のそば屋はほめるところがひとつもない。そばを食い切ることもできないまま、彼は件の勘定に取り掛かった。


「一、二、……八、今何時でい」

「へい、四つでい」

「五、六……」


 ぷっ、と十二は吹きだしてしまった。あはは!と笑いが起こって、パーリィが頭を下げてお辞儀をして、高座を降りた。拍手が、パチパチと飛んだ。

 なるほど、まずいそばを食わされた上に勘定を余計に取られてしまう話だったのか。

 続いて看板がめくられ、清音亭福々と言う名前が見えた。次をめくると「饅頭こわい」と書かれた紙が現れる。

 金屏風の後ろから、その名の通りふくふくしいふくよかな女の子が高座に上がった。


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