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持ちネタ探しと髷ほめ

 七月。

 太陽は容赦なく照り付け、アスファルトの照り返しが目に痛い季節になった。

 梅雨は明けたはずなのに、小鳥の頭の中では、まるで集中豪雨のように落語の演目が降り注いでいた。六月の定期寄席で初めて高座に上がって以来、小鳥は憑りつかれたかのように落語にのめり込んでいた。


「持ちネタを、増やすぞ!」


 寄席を終えた小髷にそう宣言されたのが、その始まりだった。

 一度高座に上がった小鳥は、観客の反応を得る喜びを知った。

 そして何より、落語の世界の奥深さに、完全に魅了されていた。


 授業の合間、レポートの締め切りに追われる日々の中、小鳥は時間を捻出しては落語を漁った。図書館のAVコーナーで落語のCDを借りては耳にイヤホンを差し込み、動画サイトで古典落語の演目を漁った。


 小鳥が選んで、最初に覚えようと取り組んだのは<元犬>だった。

 犬が人間になっていくという変化噺だ。犬の仕草を真似るのが難しかったが、試行錯誤しながら稽古を重ねた。

 次に手を付けたのは<狸の札>。子どもたちからいじめられた子狸を助けた八五郎と言う男の所に子狸が礼に来る噺で、どこか牧歌的な雰囲気が印象的だ。子狸の子供っぽい様子を表現するのが面白かった。


 そして、最も苦戦したのは「金明竹」だった。

 早口言葉のように畳み掛けるような台詞の応酬。登場人物の多さ。それぞれの人物の個性。何度も何度も、台詞が舌を噛みそうになり、途中で挫けそうになった。


 それでも、十二は諦めなかった。授業で疲れて帰ってきても、シャワーを浴びてから落語の稽古をした。レポートの合間に、台詞をぶつぶつと呟いた。まるで、スポンジが水を吸い込むように、十二の頭の中に落語の噺が次々と吸収されていった。


「……信じられないな。凄いスビードだ」


 部室で一人稽古をする小鳥を見つめて、小髷は、小さく呟いた。


 十二は、雨水の言葉に、頬が熱くなるのを感じた。


「あの、ありがとうございます……でも、まだまだです」

「いや、謙遜することはない。お前は、本当に飲み込みが早い。それも、ただ覚えるだけでなく、きちんと自分のものにしている」


 雨水は、いつもの涼やかな笑みを浮かべた。


「『元犬』も『狸の札』も、完璧に仕上がっているだろう?」


 小鳥は、はにかみながら頷いた。


「はい。なんとか……」

「そうか。まさか、一ヶ月足らずでこれだけの持ちネタを仕込んでくるとは思わなかった」


 その言葉に、小鳥の心が温かくなる。


「小髷先輩のおかげです。小髷先輩が教えてくださったおかげで、落語がもっと好きになりました」


 真っ直ぐな瞳で、小鳥が小髷を見つめる。

 彼の目が、わずかに見開かれた。

 そして、すぐにいつもの優しい眼差しに戻る。


「そうかい。それは、嬉しいな」


 小髷は、笑いながら小鳥の頭をくしゃりと撫でた。その手は、少しだけ、前よりも優しく感じられた。バニラのような香りが、小髷の心を満たしていた。


 もっと練習して、もっとたくさんの噺を覚えて、小髷を驚かせたい。そして、いつか、この尊敬して、推しているこの人に、自分の落語で最高の笑顔を届けたい。

 自然と、そう思った。


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