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なんのために生まれて何のためにいきるのか? 老後人生日日草紙

作者: 舜風人

おもえば遠くに来たもんだ

ふるさと離れて

50年以上

いろんなところをさまよって

いろんなことを見分して

気が付けば

70才を超えていた

父母はすでに身罷って久しいし

故郷の家はもうない

50年という歳月はすべてを変えてしまったのだ

帰るべきふるさともないし

今いるここが住むべき家だということだ

あれから50年

おもえばいろんなことがあったよな

東京へ出て大学入学

4年後私は職を求めて見知らぬ他県へ

そこで30年も務めるとは思いもしなかったよなあ

でも気が付けば定年退職で

わたしは老人となっていたっけ

できることもなく

自由な老年を過ごすことになるとは


そして歳月は瞬く間に過ぎて

気が付けば70歳以上になった自分がいるのだった

視力も衰えて

聴力も衰えて

体力もなく

やせすぎの自分がそこにはいるのだった

骨と皮の自分

まさかこんなに痩せるとは

心のほうも不安定で

老人性鬱で安定剤を飲む毎日

これからどうなるんだろう?

不安と憂鬱の日々が続く

気力も衰えて

何もする気が起きない

体も弱って

この猛暑でげんなり

どうしたらいいんだろう

どうにもできないよな


ただ日々を任せて過ぎゆくばかり

こんな老後が待ってるなんて

30代のころには

思いもしなかったよな

日々がむなしい

日々が憂鬱

日々が音もなく過ぎる

そんな70代が待ってたなんて

思いもしなかったよな

でも

いま

それが現実

することもない

したいこともない

できることがない

そんな73才の自分がいるばかり


どうしたらいいんだろう?

どうにもできないよな

ただ日々が過ぎ去るのを見送るだけ

それしかできない無能

無力の私がいるばかり


今後どれほど生きたらいいのだろう

それもまた神のみぞ知る

わたしにわかるはずもない

あと10年

あと20年?


わからない

わたしにはわからない

神のみぞ知る

わたしの余命だから

でも生きてる限りは命を生ききるしかない

意味を見つけて

自分から動いて

学んで

感動して

命愛して

余生を生きるしかない

わたしの

父母がそうしたようにね


父母は動けるうちは

家事農作業に励んでいたっけ

そうしてある日

寝たきりになると

ラジオなんか聞いたりしてたっけ

そうしてある日

心不全で亡くなっていた

わたしもまた今は動けるから動き回り


そうだねえ


いろいろすることはあると思うよ




たとえば


家事をしたり


パソコンしたり


ブログ書いたり


ジョギング


散歩


図書館


美術館


公園


俳句


ストレッチ


ラジオ


テレビ


サイクリング


ボランティア


ネット閲覧


公民館のサークル活動


シルバー人材


ガーデニング


ブログ


家族と会話したり


数え上げれば


こんなにあるんだよね


そうして日々を過ごしていきたいよね


ある日動けなくなる日が来るまではそうするよ。




それが老後人生の有意義な過ごし方だから


それが残された余生の実り多い使い方だから



















































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