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風の里

紅葉の季節がそろそろ終わりを迎える11月初旬、僕は会社側が用意した迎えの車で新設プロジェクトの施設へ向かっていた。


驚いたのは迎えの車が黒塗りだったことだ。


それこそ、マイクロバスか何かで同じ地域からの異動者と同乗していくものだと思っていたから、社宅マンション前に黒塗りの車が待機しているのを見た時は担当部署の原価意識を疑った。


本音を言えば、篠崎さんと一緒に現地入りできるのではないかと淡い期待を抱いていたから見事に裏切られた事に珍しく悪態をつきたくなったのかもしれない。


これまで会社側から新設プロジェクトに関連した事前説明は長野にあること以外、一切なかった。面談時に何度か聞いてはみたけれど、その都度「詳細は現地での説明となる」とだけ回答された。


個々人に迎えが来ることといい、事前説明が一切ないことといい、相当に機密事項を扱うプロジェクトなのだろうと仮定はできるが、実情が分らないことは不気味というか少し恐ろしさを感じる。


出発して一時間ほどすると運転手がおもむろに話しかけてきた。この計ったようなタイミングも最終面談の一環なのだろうと推察する。


ダークグレーのスーツを着た30代半ばと思しき男性は「鏑木(かぶらぎ)史郎(しろう)です」と少し機械的に感じる声音で名前を告げた後、現地までの行程と所要時間、そしてプロジェクト施設の概要を語り始めた。


長野県と山梨県の県境に位置するプロジェクト施設は山手線がすっぽり収まる広大な私有地内にあるらしい。プロジェクト名は『里山プロジェクト』、私有地を指す名称は『風の里』で、僕が所属予定の施設は新設とは言うものの3年前から稼働していて、プロジェクト自体が立ち上がったのは33年前とのことだった。


コンセプトは持続可能な里山を創り上げる。


里山プロジェクトの全てが完成し、完全運用がなされれば、この国が抱える社会問題を解決へと導くことができると鏑木氏は淡々と語った。


僕が一種の理想郷形成を目指した実態実験場なのかと尋ねると、鏑木氏は発する言葉を選んでいるのか少しの間、黙してからバックミラー越しに細めた目を向けてこう言った。


吉祥(きっしょう)の目指す所はいつの時代もその時代の()()に合わせた理想郷の形成ですから」


先ほどまでの機械的な声音ではなく、あまりに柔らく優しい物言いだったから僕は彼の変わり様に一瞬驚き、何となくそれが新設プロジェクトメンバーとなる最終テストに通過したのだと確信をした。



行程通り、それほど大きくないSAサービルエリアで30分ほど休憩を取った。車に乗ると鏑木氏から花の紋様が印刷されたタックシールの様な物を手渡され左側の耳たぶに貼る様指示される。


「これは?」


訝し気に尋ねると微笑みを向けられ、改めて挨拶をと運転席で身体をよじり深々と頭を下げられた。


「風の里施設長直属、統括管理部所属の鏑木史郎です。これまでのご無礼をお許し下さい。里山プロジェクト規約に則り、最終面談をさせて頂きました。山吹悟さん、これより風の里研究・開発員として入所頂きます」


そう言うと鏑木氏は自身の左耳を引っ張り、嬉しそうに説明を始めた。


風の里の人口はおよそ5万人、エリア内に公道がない完全な私有地で、日常全てが実態実験データとして収集されている。企業が所有する自社ビルだと思えばいいと鏑木氏は語った。


風の里内に所属する人員の動向データはこのシールの様なチップによって常時自動収集されデータセンターへ送られる。僕自身は未登録の状態だから手渡されたチップはビジター用。風の里に到着後に人員登録の手続きを行うそうだ。


ビジター用のチップ装着がない者は敷地内に入る事すらできないそうで、僕は話しを聞きながら産学官民が連携した巨大プロジェクトのはずではと疑問を感じた。


鏑木氏は僕が疑問を察した様に後は現地で説明をするので僕なりの里山のイメージを膨らませておいてくれと言うとハンドルを握った。



高速を下りて整備された林道に差掛った所で「少し寒いですが」と一言添えた後、鏑木氏はサンルーフを開けた。天井がサンルーフだと気付かなかった車体構造に技術屋として観察眼のなさに僕は羞恥心を覚える。


そんな僕の感情を察してくれたのか?「そろそろ風の里に入ります」とだけ鏑木氏は言葉を繋いだ。


道路に設置された『風の里』の道標(みちしるべ)が目に入った途端、シートを伝い響いてくる振動が変わった。道路脇には樹脂製と思ぼしき50cm程の高さの円筒が等間隔で並んでいて、それが照明装置であることが見て取れる。


僕は目を閉じ暫し外気に意識を集中した。


木々の間を抜ける風が敷き詰められた落ち葉を撫でる音、上空を旋回する鳶の鳴き声、水の音?近くに沢でもあるのだろうか?開けられたサンルーフから聞こえてくる自然が奏でる様々な音色が何とも心地がいい。


そこは走行する車のエンジン音以外、機械的な音が一切しない空間だった。


ゆっくり目を開けるとバックミラーを覗いた鏑木氏と目が合った。何かを言いたげだったが、直ぐに前方へ視線を戻し僕が先に口を開くのを待っている様だ。彼の期待に応えておこうと思い僕は一番に興味が湧いたことを伝えることにした。


「電柱と電線が見当たりませんが、道路脇に設置されている照明装置は()()()()ですか?交通量の少ない道路での実用方法に興味があります」


実態の伴わないGXグリーントランスフォーメーションの取組アピールをしている施設もあるが、これだけの数の照明装置を見せかけの為だけに設置するとは思えない。


だとすれば補助的な何かを加えた上で点灯しているのだろう。僕はその()()()な物が何であるかに興味があったのだ。


何となく鏑木氏のハンドルを握る手元に目が行く。その手は僕の言葉に反応してか少し力が入った様に見えた。



鏑木氏は僕が投げかけた問いに「専門ではありませんので概要だけ」と前置きした上でエネルギー関連も『風の里』の主要な研究・開発テーマの一つだと言った。


私有地内の供給電力を99%自家発電で賄う取組みが2年後の実用を目指して検証段階にきているそうで、説明しながら車を側道へ寄せ停車すると僕を道路脇に設置された照明装置の傍近くに誘った。


車外に出ると風が一層冷たく感じる。あちらこちらから水音が聞こえはするものの小川すら目視することはできなかった。


照明装置に近づくと僕の膝丈を少し超える高さの円筒は側面3カ所でプロペラが音もなく回転していた。


「風力ですか?」


僕の勤務先、TCS㈱の工場でも施設の出入口付近に設置されている外灯は風力の自家発電で賄っていた。風を利用するなら安定的にその力を確保するために比較的高所に風を取り込む装置を設置する。


こんなに低位置でも確かにプロペラは回転し、足元にも風を感じはするが、通行量の少ない道路の振動発電と合わせても夜通しの点灯は難しいだろう。


僕が人差し指を折り曲げた左手を唇に当て思考を巡らしていると鏑木氏は空を仰ぎ「宇宙線です」と呟く様に言った。次代のエネルギー源として期待されている素粒子の一種ミューオンを利用した発電技術だと付け加えると仰ぎ見ていた空から僕に視線を戻し、また、あの何か言いたげな目を向けた。


僕が知る限りミューオンを利用した発電技術は研究自体は進んでいるもののコスト面が課題で実証実験まで及んではいない。その事を伝えると鏑木氏は「だからこそ、吉祥が手掛ける意義があるのです」と誇らしげに応えた。


理想郷形成の実証実験の話しをした時もそうだった。鏑木氏の言う『きっしょう』とは何なのだろう?このプロジェクトを統括している企業名だろうか?疑問を先送りにしない質の僕は


「『きっしょう』とはプロジェクトの統括会社の名称ですか?」と、尋ねた。


すると鏑木氏は「そうでした。その話がまだでしたね」と微笑みを向けた。彼の表情が徐々に豊かになるものだから、僕がプロジェクトに抱いていた不気味さや恐ろしさは少しづつ解消されていく。鏑木氏は「道々お話ししましょう」と言うとスタスタと先に車に乗り込んだ。


『きっしょう』は毘沙門天(びしゃもんてん)の妻とされている吉祥天の『吉祥』で、家門の起源は飛鳥時代に遡る。吉祥家一門64家門が関東・甲信越と東北の一部に勢力を持つグループ企業の呼称が吉祥グループだそうだ。


吉祥グループが手掛ける『里山プロジェクト』は、現在国内で6拠点、イギリスとドイツにそれぞれ1拠点。『風の里』は国内2番目に試験稼働を始めた拠点となるらしい。


産学官民が連携した巨大プロジェクトだと言われているのは吉祥家が統括するグループ企業、運営する学校法人や研究機関が主体となって、自治体と地域住民を巻き込んだ取り組みだからだと鏑木氏は語った。


話しを聞きながら一つの疑問が生まれる。僕が勤めるTCS㈱は、吉祥グループと何ら関りがない様に思う。そもそも、吉祥グループという組織を僕は聞いたことがない。


僕の疑問を察した様に鏑木氏はバックミラー越しに「ああ、吉祥の名は表には出ませんから吉祥グループである事を知らない従業員の方が多いですね。本家筋の商社は別ですが」と言うのだ。


ということは、TCS㈱は吉祥グループの一員になるのか?それを聞いて驚きよりもここにくるまでの様々な事柄が腑に落ちた気がした。



「そろそろ農業地区に入ります」吉祥グループの話しの所で鏑木氏は少し弾んだ声でそう告げた。林道を抜けると一気に視界が開けた。『風の里ファーム』の道標(みちしるべ)を横目にそのまま東へ車を走らせる。


『風の里』は東西に長い地形で、その中央を大きく蛇行した道路が走っていた。所々で南北に伸びる道が交差している。


窓外を眺める僕に鏑木氏は説明を始めた。


風の里には8つのエリアがあり、日常の細かな基本管理と運営はエリアごとに行っている。8つのエリアを統括管理しているのが、鏑木氏が所属する統括管理部だそうだ。


エリア配置は陰陽五行(おんみょうごぎょう)が採用されていて、それは飛鳥時代から吉祥家が引き継いできた人と自然が共存共栄する秘訣だという。1400年も前から持続可能な世界を創り上げる理想を提唱していたのだと鏑木氏の言葉は熱を帯びていた。


道路配置は人体の血管構造を模していて、中央を蛇行する東西に伸びる大通りを中心に各エリアへ小道が走り、そこから個別施設までの道路が敷かれている。


西側から農業地区。ここだけは中央道路を挟んで南北に分断されていて、北側地区は果樹園、季節に応じた野菜類、ハウス栽培、養蜂等で土耕栽培と水耕栽培のメリットとデメリットを研究する施設がある。南側は小麦等の麦類と米、養鶏等の畜産。風の里の人口約5万人の胃袋を支えている。地産地消を目標に掲げてはいるが周辺自治体との連携を考慮して、その比率を目標の60%に抑えているそうだ。


黄金色の稲穂が風に揺れる収穫時期の光景はそれはそれは美しく、既に稲刈りが終わっているから来年を楽しみにしていて欲しいと本当に残念そうな口ぶりだった。



農業地区を過ぎると突然と交通量が増えた。行き交う車の半数以上がユニバーサルデザインタクシーに近い車体形式をしている。


ふと、対向車の運転席に目がいく。運転手を必要としない完全自動走行型の車だ。TCS㈱の工場敷地内でも研究・開発室と本工場の間で自動走行の試用運転をしてはいるが、安全性を優先させているから15km/h以下に速度調整をしているし、それ以上の速度での無人走行は禁止をしている。


僕の様子を観察しているのだろう鏑木氏は「風の里の外へ出向く車以外は完全自動走行型で、燃料供給も個体が自動で行います」と言うと続くエリアの説明を始めた。


東へ走行する中央道路を境界線に南側が工業地区。風の里内で試用する製品、量産試作製品が60%と市場に出す規格製品の40%を加工製造している。ミューオン発電に必要な増幅装置は地区の南端にあるそうで、また折をみて案内すると僕が興味を抱いた事柄を汲取ってくれた。


中央道路の北側が住宅地区、文化芸術地区、そして山々周辺は自然環境保護区となっていて、更に東に進むと商業地区、医療・学校地区となる。


この5つのエリア内には沢と湧水が点在していて、風の里内の水の供給はもちろん、飲料商品として市場にも出されている。


自然環境保護区には柿田川湧水群に趣が似ている所もあるのだそうで、地域としては南アルプスになるだろうから何となくではあるが、その景色は想像ができた。


個別施設のほとんどが自家発電機能を備えていて、蓄電池の性能と小型化でどこまで自家発電で賄えるかを検証しているのだという。


東へ進むにつれ鏑木氏は饒舌に語り、彼がどれほど風の里に強い思い入れを抱いているのかが窺えた。僕は数時間前の初見で見せた機械的な声音の彼とのギャップに口元が綻び、そして、ふいに篠崎さんの姿が脳裏をよぎった。



風の里内の施設は自然と調和する造りで4階以上の建造物は存在しない低層建築が採用されている。木々の高さを越えない事が重要で自然の邪魔にならない配慮だそうだ。


遮熱方法も外断熱と内断熱の双方利点を取り入れた独自技術で消費電力の抑制、結露防止からカビの発生抑制に劣化予防まで、人体と環境に最大限配慮した新技術が使われている。


蛇行する中央道路をひたすら東へ走行しつつ風の里の説明を熱く語っていた鏑木氏は少し声のトーンを落として「大学構内に入ります」と告げるとハンドルを左に切り北へ向かう小道に入った。


『吉祥大学・大学院 風の里分校』の道標(みちしるべ)が指し示す矢印の方向へ進むと、ここに来て初めて樹脂製のゲートが現れた。


ゲート前まで車を進めると守衛室から2名の守衛が出てきた。鏑木氏が運転席側の窓を開ける。


「お帰りなさいませ。ただ今、ゲートを開きます」と抑揚のない、()()()()音声が耳に入った。


鏑木氏は無言で頷き、ゲートが開くと構内へと車を発進させる。僕は守衛の動作が気になり、後部座席で身をよじって後ろを振り返った。


「お気づきですか?自律型警備ロボットです。山吹さんが開発した人型ロボット、産業用ヒューマノイドロボットの一つの完成形です」


鏑木氏の言葉に僕はゴクリと喉を鳴らした。



ロボットで暮らしをサポートする企業、テクニカル・クリエイション・サポート株式会社。通称TCS㈱。僕が勤める会社だ。吉祥グループなるこの『里山プロジェクト』を統括する企業グループに属している事はほんの数十分前に知った。


僕が所属していたTCS㈱の郊外工場にある研究・開発室では機械、電気、電子、情報の4つの工学分野の技術研究をしている。そして、この4つの分野を融合し新たな手法を生み出すメカトロニクスが僕の専門分野だ。


研究・開発室という部署はどこも莫大な先行投資が必要で、投資に見合うだけの回収ができるかは賭けの部分が大きい。


研究自体は先駆けでも実用化で海外に先を越され、研究者が流出してしまうといった問題も積極的に先行投資をする仕組みがこの国に整備されていない現状がある。


その点、TCS㈱は恵まれていた。産業用ロボット、それも人型となると機械装置や内蔵システムをどれだけ思い通りに制御可能とするかがキモになる。製品化されていない精密機器も多く使うから時間も費用も予算を軽く超えてくる。


当然、予算内に抑える努力はするが、それでもオーバーした場合、現状と今後の見通しを根拠ある数字に落とし込んだ稟議を出せば上乗せ予算をつけてくれた。


今となっては先行投資に糸目を付けない出資ぶりも吉祥グループに属する企業だからと納得がいく。


そうした中で誕生した試作の産業用ヒューマノイドロボットが警備ロボットだった。そう、まだ試作の段階で研究・開発室内部でも一部の者しかその存在を知らされていない。


その後の開発は僕の後任に引き継いできたが、見た目も動きもまだまだ機械的で、一目でロボットだと認識できる代物だった。今、目にした人と見紛う警備ロボットとは雲泥の差がある。


僕は後部座席のヘッドレストを両手で掴み僕らを通した後、守衛室に戻る2体の警備ロボットの人そのものと思える姿から目を離すことができなかった。



木々が両側から迫ってくる様で森の中に迷い込んだのではと錯覚すら覚える。僕はヘッドレストを両手で握ったまま次第に細くなる林道を見つめていた。


「驚きましたか?ご自分の開発された試作が風の里で既に実証実験に入っていることに」ゆったりとした鏑木氏の声音に僕は我に返った。


私有地内での稼働だから実証実験になるのだろうが、鏑木氏は()()()()()()だと表現した。それは実用化したということだ。僕はヘッドレストから手を離し姿勢を元に戻してからバックミラー越しに鏑木氏へ視線を向けた。


僕の視線に嬉々とした表情を向けると「これからは予算云々とお考えにならず研究に没頭してください」と鏑木氏は口にした。


統括管理部という部署はどうやら僕の想像が及ばない程、広範囲の情報を包括的に収集している様だ。


これは僕の想像だが、それぞれの拠点ごとに重点的に取り組む研究テーマを選定し、試作段階から実用化までのプロセスを加速させているに違いない。僕はこの時、風の里の研究テーマが人型ロボットではないかと確信に近い何かを感じた。


考えを巡らせている僕をよそに車は一層深い森の中へと進んでいった。進行方向へ目をやると傾斜に添わせる様に段々と高くなる白色に薄茶色が混ざるまだら模様の建造物が木々の間から顔を覗かせた。


「学部ごとに別棟(べつむね)になっています」説明しながら鏑木氏は行く手のY字を右へ進んだ。



Y字の道をしばらく進むと先ほどと同じような白色に薄茶色のまだら模様をした2階建ての建物が現れた。


「風の里、統括管理部本部棟です」鏑木氏はそう告げると屋内に通じる駐車場へと車を滑らせた。1階部分が駐車場になっている様だが、僕が知る駐車場の構造とは趣きがかなり異なる。


扇状に1台づつ入庫する独立構造で、形状が六角柱型。まるで蜂の巣の巣房(そうぼう)の様だ。そのまま格納庫内に進むと鏑木氏はエンジンを停止させた。


車を乗せたまま音もなく床が左へ反転したから予想していない動きに僕は一瞬めまいを覚え、慌てて目を閉じた。


「このまま建物内に入ります」所々で簡単な説明を入れてはくれるが、何か特別な動きをするのであれば事前に知らせてほしいものだ。いや、これも試されているのか?そんなことを思いながら僕はうっすらと目を開けた。


目を開けると六角柱型の格納庫のシャッターが降りるところだった。風の里の道標を目にした林道からずっと感じていた違和感の正体に僕はここにきてやっと気が付いた。()だ。機械を稼働させる時の音が全くしないのだ。だから余計に予測がつかない。


それに動作の切り替え時に感じる重力抵抗もない。今もシャッターが降りた後、車はエレベーターで下降しているが、その感覚がしない。ライトで浮かんだ車体の影が移動していなければエレベーターに乗っていることすら認識できないだろう。


「まるで近未来的なSF映画の世界だ」僕は無意識にそんなことを口走った。



音も重力抵抗もなく、エレベータが停止すると鏑木氏に車から降りる様に促された。車のドアを閉め、鏑木氏の後に続くと前方の六角柱型の壁が左右に開いた。


奈落の底かと思うような暗闇に無意識に身構える。鏑木氏が一歩前に進むとパッとライトが点灯し、あまりの眩しさに僕は咄嗟に左手をかざした。六角柱型の通路の先にまた扉。ライトはセンサー感知で、僕が通り過ぎた後ろから消灯していく。


2つめの扉が開いた。振返った鏑木氏が「あちらのブースで登録手続きをお願いします」と指し示した先は同じ造りの六角柱型扉だった。


風の里に入る時に左耳たぶに装着するよう言われたタックシール式のチップを外し、差し出された鏑木氏の左掌に乗せると「私はこちらで待機しています」と告げられる。僕は鏑木氏に不安を悟られない様に努めながらも内心恐る恐る扉の前まで進んだ。


無音で開いた扉の先は通路と同じ造りだが、天井が若干低い。2m強といったところか。内側に入ると扉が閉まり、照明が2段階ほど落とされた。


『書き込みを開始します』頭の中にダイレクトに響いてくるアナウンス。音声でないことだけは解る。書き込みを開始?スキャンじゃないのか?MRIの様に僕の全身を読み取るものだと想像していたから無音の密室が息苦しく感じる。


『完了しました』頭の中に終了を知らせるアナウンスが響くまでおよそ3秒、扉が開いた目の前に鏑木氏の姿があった。


「あれ?」


入室してから身体の向きを変えてはいないのに鏑木氏が目の前にいるということはブース内で身体が反転したということだ。それも感覚を全く与えずにだ。僕は扉の先で「こちらへ」と左手を差し出す鏑木氏の顔をまじまじと見つめ、風の里の計り知れない技術力に空恐ろしさを感じた。

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