運命だと思う
3時間の講座が終わり、お決まりのアンケートを記入していると視線を感じた。
隣に座る彼女が僕の手元を見ていたが、気にせずそのまま記入を続ける。記入をし終え、僕が帰り支度を始めると見計らうかの様に彼女の方から話し掛けてきた。
「あのっ、今日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。これ、頂いたお茶の代金です」
座ったまま僕の方へ身体を向けて頭を下げている。差し出された手に無地のポチ袋が握られていた。
「あっ、いいのに。こちらこそ、突然に声を掛けてすみませんでした。講座は何か一つでも吸収できましたか?」
折角用意してくれたのだから受け取らないのも気が引ける。僕は彼女が差し出したポチ袋を受け取りながら彼女の状態確認をした。
「はい、前回のNLPで今回のロジカルシンキング、私の中で構成の落し込みができました。この順番で受けたかったので・・・・頂いたジャスミン茶で平常心を取り戻しました。ありがとうございました」
「それならよかったです」
言いながらふと、またどこかで会える様な気がした。
「また、何かの講座でお見かけしたら今度は正面から声を掛けますね」
(えっ!何を言っているんだ。何だそれ?怪しいだろ!)
考えなしに出た言葉に僕自身が驚いた。
「はい、またお会いできるのを楽しみにしています」
彼女がにこやかに微笑み社交辞令そのままの返答をしてくれたのでほっと胸をなで下ろす。
「では、これで失礼します」
そう言うと彼女は颯爽と会場を後にした。僕はなぜかその場から動けず彼女の後姿が会場の出入口から消えるまで見送って
「さてと、僕も帰ろうかな」
誰に言うでもなく呟き会場を後にした。
―― 商工会議所が主催する講座や講習では参加者同士の裁量で名刺交換等の個人情報を公開する事はない。そういった場は、異業種交流会も兼ねた講座で予めその様に告知がされている。
禁止されている訳ではないが、暗黙の了解で通常講座や講習ではお互いの素性を明かさないルールとなっているから僕の様な研究・技術職には何ともあり難いことで余計な会話やふとした拍子に内部情報が漏れる心配がない。
ただ、今回はその暗黙のルールが残念だと思った。僕は彼女の名前すら聞く事ができなかったのだから。
(名前だけでも聞きたかったな。また、どこかの講座で会えた時に名前で呼びたかった・・・・えっ!?)
自分の思考に驚いた。今までこんな風に偶然出会った人に対して興味を持った事がなかったからだ。
彼女のどこにそんなに惹かれたのか?確かに瞳の輝きに目が離せなかったし、同じ様な考え方の部分もあった。あいさつ程度の話しかしていないのに昔からの知り合いの様にも感じた。
電車に乗ると頭の中で分析が始まる。
仕事柄、無意識に始まる対象分析。しかし、今回はいつもの分析とは少し違っていた。彼女の姿を思い浮かべると胸の辺りが暖かく感じたのだ。そして、心臓がキュッと収縮する。
(健診、心電図異常なかったよな。異動になる前に体調不良にでもなったら大変だ)
僕は彼女への興味に対する分析をやめ、異動のため引越する荷物の整理に頭を切り替えた。
―― 翌週は問題解決の1日講座だった。
流石に連続で会う事はないだろうと思い会場へ入る。2人掛けが4列用意された最前列の席はいつものように空いていた。
(考え方と講座の選択を構成立てしているのなら、もしかしたらと思ったけれど・・・・)
何となく同じ考え方で講座を選択しているのではと思っていたが、企業に勤めているのなら僕の様に毎週講座に参加できる方が稀だ。
それでも残念な気持ちがふつふつと湧き上がり、何とも言えない虚無感に襲われた。もし、今日会えたら名刺交換だけでもできないかと考えていたから。
(・・・・仕方ないな。縁があればまたどこかで・・・・)
と、思いながらも胸の辺りが重く感じる。気を取り直して予め机上に配布されている講座のプログラムと関連資料に目を通すことにした。
ガサッガサッと封筒からA4サイズの資料を取り出し、内容確認をしているとコトンッと机の左側にジャスミン茶のペットボトルが置かれた。
1日の講座だからお茶が配られるのかと思い顔を上げ御礼を言う。
「ありがとうございます・・・・あっ!!」
「おはようございます!また、お会いできましたね!先日はありがとうございました。会場に入ろうとしたらお姿が見えたので、前回の御礼です」
彼女だった。
ニコニコと嬉しそうに微笑み机の前を横切ると僕の右側の席に座った。
「・・・・」
彼女の動きに視線が張りつく。僕はあまりに驚き唖然としていた。
彼女は僕の右側の席に腰を下すと前回までの2回と同じ様に無地のA4用紙とボールペンを鞄から出した。そして、そっと名刺入れから名刺を取り出すと小声で「改めまして」と挨拶をしてきた。
「交流会ではないので憚られていたのですが、3回も同じ講座になるなんて何だか運命を感じてしまいました。改めてご挨拶させて下さい。私、篠崎楓と申します」
「・・・・」
僕は彼女の顔を見ながら無言で名刺を受け取った。
僕が考えていたことと同じことを彼女も考えていたのだ。ここまで偶然が重なると本当に運命ではないかと思ってしまう。
「・・・・」
心臓がキュッと収縮し鼓動の速度が増していた。受け取った名刺に目を落とすことなく彼女の顔から目が離せない。
「・・・・あのっ、ごめんなさい。私、また・・・・ルール違反かと思ったのですが、お名前だけでもお聞きしたくて、ごっ、ごめんなさいっ!」
無言で硬直した僕の姿に迷惑だと思わせてしまった様だ。
「あっ、いいえ、こちらこそすみません・・・・いや、また・・・・う~ん、何と言えばいいのかな、また、同じ事を考えていて、今日お会いできたら名刺交換だけでもと思っていたものですから、少し驚いてしまって・・・・固まってしまいすみません」
ぼんやりと受け取った名刺に目を落とした。やけに見覚えのある名刺だ。
(あれっ?この名刺デザイン、見たことが・・・・あっあれっ!!!)
社名を見るとロゴデザインに『TCS』のアルファベットが入った『テクニカル・クリエイション・サポート株式会社』と記されていた。
僕は驚きのあまり二度見した。
僕は彼女の名刺を机上に置くとカバンから名刺入れを取り出し彼女に渡した。
「山吹悟です。篠崎さん、僕たち同じ会社ですっ!」
「えーーーー!!」
彼女は大声を上げた。慌てて肩をすぼめると口元を覆う。
僕たちがお互いに運命だと感じた出逢いはもっと深い所で繋がっていた様で、速度を上げた鼓動の音がやけにうるさく感じた。