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偶然か?それとも・・・・

技術職の僕は自分の専門分野になると寝食忘れて没頭する傾向が強い。相当に意識して気を付けていないと周りが見えなくなるタイプだといえる。それは個人のスキルでいえば強みになるが、企業という組織単位で考えた場合は弱みにもなる。


特にうちの様な技術を製品に落し込む企業は技術職が5割を超えているから持続可能な組織の在り方として強みと弱みのバランスを取ることが課題の一つだ。だから会社は社内規程で定めるまでして、課題解決のために試行錯誤しているのだと思う。


それに生成AIの登場でこれまでの仕事のやり方が大きく変わることは目に見えている。選択できる外部講座や講習にコニュニケーションスキルを向上する内容が多いのもそう言った理由からだろう。


そんな会社の現状と今後の事をあれこれ考えながら一週間に一度のペースで講座受講の予定を組み入れた。今秋から新しく立ち上がるプロジェクトチームに異動になる事が既に決まっていたからだ。


技術屋としては新規プロジェクトに携われることは専門性を評価されたことになるから非常に喜ばしいことで、何より寝食忘れて没頭することを咎められることはないはずだ。


誰にも邪魔されない環境に身を置ける事に思いを馳せつつ、忙しくなる前に最低8回の外部講座は全て受けてしまおうと思っていた。


今日はロジカルシンキング。商工会議所が主催する外部講習なので参加者は僕と同じ様にそれぞれの会社の決まりで参加している人がほとんどだ。参加者が少ない講座はあっても人数が集まらず講座が中止になることはまずない。


今回もいつもの様に最前列に座った。50人程入る会場の席は開始30分前なのに既に半数ほど埋まっていた。人気のある講座なのだろうと思いながら最前列の席に鞄を置いて飲み物を買いに会場の外に出た。


廊下に設置された自販機の前には営業職と思われる数人が列をつくっている。本業で即必要なスキルだから受講者の顔ぶれも頷ける。


僕は列の最後尾に並びペットボトルのジャスミン茶を買った。飲み物を取り出し顔を上げると会場へ向かう長い黒髪の女性の後ろ姿が目に入った。もしや今のはこの間、隣に座った彼女だろうか?そんな偶然があるのだろうか?


同一項目が数回ある商工会議所の講座は受講者の顔ぶれが重なる事は稀だ。何年も通っているが今まで2度も会うなんてことはなかった。いや、僕が気に留めていなかっただけかもしれないのだが。それでももしやと思い飲み物を手に取り急いで会場の最前列へ向かった。


僕が鞄を置いた隣の席に長い黒髪の女性が椅子を引き、座ろうとしていた所だった。


チラリと横顔が見える。


やっぱり、この間の講座で隣に座った子だ。凄い偶然もあるものだと思い、まるで昔からの知り合いに再会したような高揚感が湧いた。彼女が座った席の右後ろに近づき声を掛ける。


「あのっ!こんにちは。また会いましたね・・・・」


ババッバッ!!

シュッ!

ガタンッ!!

ドサッ!!


「・・・・えっ!?・・・・」


僕は首元を掴まれ、そのまま後ろの机に仰向けに押えこまれて半数ほど埋まっている会場の中がザワめいた。


「・・・・えっ!?・・・・あのっ・・・・」


彼女の黒髪が僕の顔の前で小刻みに揺れ、睨み付ける様な鋭い目つきで僕を見下(みおろ)している。「はぁはぁ」と乱れた呼吸を整えている様だが、あのやけに輝く瞳には僕が映っていない様に思えた。


「・・・・あのっ・・・・僕・・・・この間、NLP講座で隣の席だった者です。また、隣の席になった様だったから・・・・」


「はぁ・・・・はぁ・・・・」


「・・・・あっ、だから怪しい者ではないつもりです。一応・・・・あの・・・・大丈夫ですか?」


僕を見下す彼女の顔の前で両手をフリフリと振って見せたるが、視線が動く様子が窺えない。仕方なく僕は振った手を下し僕の首元を掴んでいる彼女の左手首に触れた。その手はとても冷たく感じた。


ビクリッ!!


僕が左手首に触れたと認識したのか彼女は身体を強張らせた。


「大丈夫ですか?起き上がりますね?」


静かに起き上がり、彼女をゆっくりと椅子に腰かけさせる。


「大丈夫ですか?すみません。僕が突然に声を掛けたから驚かれたのですよね?すみません・・・・」


彼女の顔をそっと覗きこむと彼女は小刻みに震え、膝の上に置いた手を握りしめていた。


「あのっ、大丈夫ですか?よかったらこれ飲んで下さい」


僕は自販機で買ったペットボトルのジャスミン茶の蓋を開け膝の上で握りしめている彼女の手を取り渡した。


彼女はここでやっと僕へ視線を向けた。


「・・・・ごっ・・・・ごめんなさいっ!」


彼女は深々と頭を下げた。


「私っ・・・・後ろから声を掛けられると・・・・身体が勝手に動いて・・・・本当にごめんなさいっ!」


どうやら正気に戻った様だ。



ドカッドカッと商工会議所の職員が慌てた様子で会場に入ってきた。


「どうしましたっ?何か問題がありましたかっ?」


会場にいた誰かが喧嘩とでも思ったのか職員を呼びにいったようだ。


(あちゃぁ・・・・これは完全に僕が怪しまれているよな・・・・まいったな・・・・)


どう対処したものかと思案していると彼女が椅子から立ち上があり頭を下げた。


「お騒がせして申し訳ありませんっ!私が取り乱しましたっ!こちらの方は私を助けて下さっただけです。申し訳ありませんっ!」


大きな声で状況説明をし、深々と頭を下げている彼女に会場の皆の視線が注がれた。


「・・・・何も問題がなければ。喧嘩などではないのですね?」


商工会議所の職員が元凶はお前かと言わんばかりに僕の顔を見るが彼女は視線を自分へ戻す様に大声を上げた。


「はい、違いますっ!私が取り乱しただけですっ!お騒がせしました」


頭を下げる彼女に職員は「わかりました」とだけ言うと会場から出て行った。


「皆さんもごめんなさい。講座が始まる前にお騒がせしました」


彼女は会場にいる受講者へも深々と頭を下げると僕の手を取った。


「本当にごめんなさいっ!怪我はしていませんか?どこか、痛い所はありませんか?」


心配そうに掴んだ僕の首元を傷をつけてはいないかと確認するようにじっと見ている。


「僕は大丈夫です。痛い所もありませんから安心して下さい。お茶でも飲んで・・・・ねっ・・・・」


僕は立ち上がったままの彼女を座らせ、ジャスミン茶を薦めた。


「・・・・はい、ありがとうございます。本当にごめんなさい」


申し訳なさそうにジャスミン茶を口にすると驚いた様に彼女は慌てて立ち上がった。


「!!!あっ!このお茶っ!ごめんなさいっ!直ぐに買ってきます」


どうやら状況が掴めるほど落ち着きを取り戻した様だ。


「大丈夫ですよ。どうぞ、座って落ちついて下さい。僕が買ってきますから。ねっ、そろそろ講座も始まりますし、()()()()()()()()()()()()()?」


僕は彼女が少しでも平常心を取り戻せればと思い前回、隣に座った時に彼女が口にした言葉を告げた。


「・・・・あっ!!この間のっ!NLP講座で隣の席だった方ですね!」


ここまできてやっと僕の事を見てくれた様だ。言葉すらも耳に入っていなかったのだろう。


「覚えていて下さいましたか。そうです。それで、今回もお隣だったので、お声かけして・・・・すみません。僕が話し掛けなければ・・・・」


改めて責任を感じた。僕が妙な高揚感で声を掛けさえしなければこの事態は起きなかったはずだ。


「いいえ、私が一方的に悪いです。普通、後ろから声掛けられてもこんな反応しないでしょう?本当にごめんなさい」


このまま話していてもきっと押し問答だろうと思い、僕はここで話を切り上げることにした。


「それじぁ、お互い様と言う事にしましょう」


小さく微笑み僕は再び飲み物を買いに自販機がある廊下へ向かった。

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