告白の行方
サァと吹いた水面からの冷たい風に僕は我に返った。
「ごっ、ごめんっ!」
両肩へ手を置いて抱き寄せた篠崎さんの身体を離し頭を下げて
「ごめんっ!」
詫びの言葉しか出てこない。それでなくても篠崎さんを驚かせたばかりなのに。何をやっているんだ僕は。
「ごめんっ、今の忘れて・・・・」と言いながら立ち上がろうとした所で篠崎さんに左手を掴まれ視線が絡み合った。
挑む様な見覚えのある目つきに鏑木氏の顔が過り一層罪悪感を覚える。篠崎さんは鏑木氏にとって『かけがえのない存在』だと諏訪さんから聞かされていたのに僕は彼女が困る様な言葉を告げてしまった。
「なぜですか?」
握った左手の力を強め僕を見上げる篠崎さんの目つきは怒りを孕んでいる様で、鏑木氏から向けられた、あの冷たい憎悪の色が浮かんだ視線と重なる。
目つきというか、目元が何となく似ているのかもしれない。鏑木氏に案内された時に何度となく篠崎さんの姿が浮かんだ理由が解った気がした。
「なぜですか?」
「えっ?」
何に対しての問いかけなのかが解らず聞き返した僕の左手を篠崎さんは強く引き、目の前で立ち上がった。
「なぜ?謝る必要があるのですか?忘れてって?なぜですか?」
僕を見上げる篠崎さんの目は潤んで見えて、声が微かに震えている様に感じた。
僕の返答を待っているのだろうが、なぜ?と聞かれた問いに明確に返す言葉が見当たらない。篠崎さんを大切に想っている人がいるだろう?だから、感情を抑えきれず告げた想いは忘れて欲しいと思ったのが本音だ。
君への想いを制御しきれなかったのだから・・・・
制御?感情を制御?待て、『シズカ』の動作が一時停止した時、本体の風見さんはどんな状態だったんだ?
あの時はリアルタイムの受信データを使ってシズカに信号を送っていた。仮に風見さんが今の僕と同じ状態だったら?無意識に思考より感情優位になっていたら?
本体の確認はしたか?いや、思考優位が崩れるはずはないが前提じゃなかったか?だったらシステムの不具合じゃないし制御不全でもない。だとしたら!
「篠崎さんっ!」
篠崎さんの問いに対する返答をよそに僕は、ここ二三日で発生していた介護用初号機『シズカ』の課題だった一瞬ピタリと動きが止まる現象を解決する糸口が見つかった気がして、篠崎さんの両肩を強く握った。
「何をしているんですか!!」
突然、僕ら以外の声で、僕らの行動を咎める様な怒声に近い声が辺りに響いた。声がした方に目を向けると鏑木氏が僕に飛び掛かる勢いで近づいてくる。
僕は篠崎さんの両肩に置いた手を咄嗟に引っ込めた。鏑木氏はズカズカと近寄ると篠崎さんを守る様に肩を抱いて引き寄せ、僕に睨みをきかせている。
私服でしかもブランケットを手にしていたから、ここで篠崎さんと待ち合わせをしていたのだろうか?尚更、僕が篠崎さんに伝えた想いは忘れて欲しい。いやいや、今はそれどころじゃない。一刻も早く思いついたシズカの解決策を試す方が先だ。
フワリと篠崎さんの肩にブランケットを羽織らせ僕から遠ざけるように鏑木氏は二三歩後退った。
「山吹さん!ここで何を?」
怒りが全身から滲み出ているのを隠そうともせず、あからさまに僕に敵意を向けている。こんな状態で何と返答するのが妥当だろうか?無言で退散した方がいいか?鏑木氏の顔を見つめ、僕は早くこの状態から抜け出す手立てを考えていると
「なんで?」
肩を抱く鏑木氏に篠崎さんは不思議そうな目を向けていた。
「なんで?ここにいるの?」
不思議そうに鏑木氏を見上げる篠崎さんからは僕の時の様な身構える様子は感じられない。肩に掛けられたブランケットの端を掴み、暖を取る仕草をしているから微かな震えは寒さだと納得した。
「今夜は満月だろう?だからだ」
2人が見つめ合い並んでいる所を初めて目にしたが、何というか、お似合いの2人だと思う。残念ながら僕の入り込む余地はなさそうだ。
「楓のお気に入りを忘れるはずがないだろう?」
鏑木氏はとても優しい微笑みを浮かべ、篠崎さんの額に自分の額を押し当てた。
「氷みたいに冷たいじゃないか」
こんな2人の姿を見ても僕は穏やかな状態を保てていて、それどころか2人の様子に見惚れていた。なぜだろう?溢れ出す想いを篠崎さんに伝えられたからだろうか?それとも最初から結果が解っていたからだろうか?
冷えた身体を温める様に篠崎さんを抱き寄せる鏑木氏からは、労わりというか深い愛情を感じる。
「子どもじゃないんだから、大丈夫よ!」
そこには僕に向けられる敵意や嫉妬などではない、何よりも彼女を大切に想う気持ちだけ。こんな姿を見せられたんじゃ僕もけじめをつける必要がある。
「鏑木さん!私は篠崎さんへ自分の想いを告白しました!」
僕は鏑木氏に篠崎さんへ想いを伝えたことを、感情を制御できずに告げたことを、そして、その事が『シズカ』の動作現象の原因を特定する糸口に繋がることを真直ぐに鏑木氏を見据え告げた。
「それで?山吹さんは、これからどうすると?」
もっと激昂されるだろうと予想をしていたが見事に外れた。それどころか僕がこれからどう動くのかを見定める様な口調で敵意は感じられない。
本当に人間の感情というものは厄介だ。傾向値は測れても個々人での差が計り知れないことがある。そこが分身開発のネックだ。
「これからブースに戻って設定だけでも確認を・・・・・」
「こんな状態の楓を放ってですか?」
途中で言葉を被せられた。いや、そこは鏑木氏がいるから大丈夫だろう?僕は彼の言葉に首を傾げて「鏑木さんがいらっしゃるから」だけに留め、大丈夫でしょう?の言葉は飲み込んだ。何となく『後はよろしく』と面倒事を任せる様な言葉尻になる気がしたから。
「あっ、篠崎さんを連れて行こうとは思っていませんので安心してください」
そうなんだ。まだ、不確かなことだから何も2人してブースに戻る必要はない。
「そうですか。ではあなただけでブースに戻るのですね?その後は?」
うん?鏑木氏は何が言いたいんだ?
「その後ですか?状況によっては所長とブース長に報告します」
僕の返答に鏑木氏は「はぁ」と呆れた様な吐息を漏らした。
「ここへは戻ってこないのですか?」
益々、理解できない。どんな返答を期待しているのだろう?普通、恋人同士が2人きりでいる場所と知って戻ってはこないだろう?
しかもだ。僕は篠崎さんに想いを寄せていて、その想いを告白したと伝えたんだぞ?戻ってくるなと言うならまだしも、戻ってこないのか?にはならないだろう?
まるで戻ってきて欲しい様な口ぶりじゃないか?それとも2人の仲睦まじい姿を見せつけたいのか?
鏑木氏の言葉の真意が計り兼ねて僕はそのままを伝えることにした。
「鏑木さんの仰っている意図が解りません!」
今は一刻も早くブースに戻りたい。僕は思いついた解決策の糸口を早急に確かめたい思いが先行して、篠崎さんからの問いに返答することをすっかり忘れていた。
―――話しの意図が掴めず、そのままの言葉で問うた僕に鏑木氏は呆れたと言わんばかりの視線を向けた。
「あなたは本当に・・・・」
何なんだ?篠崎さんへの想いを告げたことの報告だけでは済まされないとでもいいたいのか?
それとも篠崎さんと2人でここにいた理由が知りたいのか?それは僕が満月の光に引き寄せられたからで、2人の邪魔をするつもりは毛頭なかったと弁明を求めているのか?
何にしても、これ以上ここに留まると思いついた解決策を忘れてしまいそうだ。
「山吹さん、行って下さい」
落ち着きのない僕の様子を察したのだろうか?少し寂し気な目をした篠崎さんが、この立ち去れない状況から僕を開放してくれた。
「楓、彼との話はまだ終わって・・・・」
「ありがとう。いや、ごめんっ!」
鏑木氏が篠崎さんの言葉を制そうするが、僕は構わず2人に軽く頭を下げてから踵を返し、研究所直通の回廊出入口に駆け出した。
「山吹さんっ!あなたとは決着を付けねばなりませんっ!」
鏑木氏の声が耳に入るが僕は振り返ることなく回廊出入口の扉から急いで研究所へ向かった。
『洗浄、雑菌除去を開始します』ダイレクトに頭に響くショウのアナウンスにもこの2週間で随分なれた。研究所へと続く扉を一つづつ通り抜ける。
『保護膜の装着を完了しました』そう言えばショウの声音が頭に響く度にかき乱されていた胸のざわつきが治まっていった様に思う。これも保護膜の効果なのか?
4つ目の扉から研究所に入ると核に諏訪さんの姿が見えた。
シズカの設定確認をした後で諏訪さんには今夜のことを伝えておくべきだろうな。僕の中に潜んでいた凄まじい感情を気づかせてくれたのだから。
確かにあの時の禅問答がなければ、今夜の告白もシズカの解決策を思いつくこともなかっただろう。
僕は核で分身の肉体製造を担当している龍崎さんとモニターを見ている諏訪さんに後で時間をもらえる様、伝えてから担当ブースに戻った。
担当ブースを最後に出たのは僕だったから灯りは他のブースから漏れる光だけで常時データを取り込んでいる2体のシズカが存在を主張していた。
呼吸音が聞こえてくるのでは?と思える程の人間らしい姿は、関係者以外が目にしたら状況によってはホラーに感じるだろうと思う。
骨格、肉付き、肌質含めて全てが人工物とは思えない質感。だが本体から採取した細胞を培養したモノではない。
細胞は分子の集合体として機能しているから、それぞれの素材を分子レベルで繋ぎ合わせて分身の肉体は形成されている。簡単に言うとパーツごとの素材を3Dプリンターで模ったモノだ。
核で諏訪さんと話をしていた龍崎さんが肉体製造のブース長。現段階では量産ができないことと、表面の耐久性が課題だそうだ。
モニターでシズカの受信と送信データを確認すると色別された思考と感情の波長がわずかに途切れている部分を見つけた。
これだ!
双方が途切れているからAIに解析させても不具合とは認識しない。なぜ、この途切れる現象が起きたのかは本体である風見さんに確認する必要があるが・・・・何か変だ。
当りを付けていたとは言え、僕でも思いの外簡単に見つけられた現象を篠崎さんが気付かないなんてことがあるのか?
しかも「通常動作での問題は発生しない」と篠崎さんは言っていた。どんな意味での通常動作だったんだ?
篠崎さんの意図する所をブース内で相互理解できていなかったのではないかと思い至り愕然とする。意思の疎通どころか認識共有ができていないじゃないか。
「悟、思いつきの検証はできたかい?」
後ろから僕の肩越しにモニターを覗き込む人影に一瞬身体がピクリと反応した。
「諏訪さん!」
「悪かった。驚かせたな」
振返ると諏訪さんと龍崎さんの期待に満ちた視線が僕に向けられていた。
そんな目を向けられても、2人の期待に応えられる様なことではないのだが。
データを見せつつ、僕が感じたブース内の状況と篠崎さんへの違和感を率直に伝えると、2人は顔を見合わせ
「我々が想像した以上の成果を見せてくれるな、悟は」
諏訪さんは満足そうな顔で呟いた。
うん?またしても禅問答が始まるのか?僕が身構えたのを察した様に「安心しろ、これから説明をする」と付け加えて諏訪さんはシズカのデータを2ヵ月前まで遡った。
シズカのモデルは介護福祉士歴20年のベテラン風見静さんだ。元々穏やかで人当りがよく、面倒見もよいから入所者は勿論のこと、施設職員や医療・学校エリア内でも認知度が高い存在だ。
2ヵ月前に遡ったデータを現在まで辿ってくると思考と感情の波長が一瞬乱れる個所が2週間に1度のペースで出現していた。
「これは?」さっき、確認した状態とよく似てはいるが途切れてはいない。辛うじて繋がっていると言った方がいいか?
「感情を抑え込んでいたそうだ」諏訪さんは続けた。入所者の1人に2週に1度里外から息子夫婦が面会にくるそうだ。
元々里内に居住する娘夫婦が面倒をみていたが本人の希望で施設に入所した。
入所してからも娘夫婦は朝晩必ずどちらかが面会にきてはお互いに楽しそうに話をしている様子から入所者をどれだけ大切に想っているかが窺えると風見さんは微笑ましく思っていたそうだ。
2ヵ月前から始まった風見さんの思考と感情の波長の乱れは息子夫婦の来所からだった。
息子夫婦は入所者が施設に入所したのは認知症を患ったからだと思い込んだらしい。目当ては入所者の遺産。
それまで全く音沙汰なく妹夫婦に任せきりだったにも関わらず権利だけを主張して、しかも入所者にはぞんざいな態度。入所者自身も怯えているように見えるのだと言う。
家族間のことには口出しできないと知りつつも風見さんは湧き上がる嫌悪の感情を抑えていると話していたそうだ。
「だがな、悟」
諏訪さんは乱れた波長の感情部分を指し示した。
「この色調は嫌悪ではないぞ。これは脅威だ。解るだろう?」
諏訪さんは僕の胸に指を押し当てた。
「己の中に潜む底知れぬ感情に対するな」
僕はあの禅問答を思い出した。潜在的に抱いている己の感情を認知するのは恐ろしい。つい2週間前に体験したばかりだから、その恐ろしさはよく解る。
「楓は解っているんだよ。そして、脅威を克服したいと願っている」
ああ、そうか。篠崎さんに2度、組み敷かれたのは背後から近づいた時だ。
「だから、楓はこの現象をイレギュラーだと捉えている」
篠崎さんは風見さんの脅威と自分自身の脅威を重ねているんだ。篠崎さんが僕の胸の上で流した涙の意味が少しだけ解った気がした。
―――「悟、焦ることはないんだ」
諏訪さんはそう言うと「任務に就いて、まだ3日目だぞ」と僕の肩をポンポンと子気味よく叩いた。
それもそうだ。分身開発の全体像が掴めていないばかりか、ブース内の進捗状況も掴んでいないということだ。
解決策を思いついたと篠崎さんと鏑木氏を振り切ってきたものの、思考と感情の波長が途切れている部分は既に周知されていたことであったし。
うん?そうなると諏訪さんが言っていた『想像以上の成果』とは何のことだ?
「楓のことだよ」
言葉にしていない僕の思考を読み取る様に諏訪さんが呼応しながら自身の頭をコンコンと指で叩いた。
そうだった。研究所内では思考の伝達をショウが代替してくれる。僕はどうもショウと相性がよいようで、意識的に伝達の指示を出さずとも必要に応じてショウが機能してくれる。
諏訪さんが言うには「それだけ思考が明瞭なんだ」だそうだが、伝えて欲しくないことまで伝達されるのではないかと内心ヒヤヒヤだ。
「篠崎さんのこと・・・・ですか?」
もう一つの報告事項『篠崎さんへの想いの告白』まで、諏訪さんは既に察しているのではないか?と思い龍崎さんへ視線を向けた。
「私は席を外そうか?」
龍崎さんが僕の視線を気づかい申し出てくれたことに
「うん?なぜだい?一颯にも関係あるだろう?」
と、諏訪さんは不思議な言葉を口にした。龍崎さんにもとはどういうことだ?ああ、そうだ。諏訪さんの言う通りだ。僕は研究所内のメンバーのことを何も知らない。
『焦ることはない』と言った諏訪さんの言葉が身に染みる。まずは風の里に着任してからの僕自身を知ることが先決だとこの時やっと悟った。
「それで?楓はどんな返事をしたんだい?」
この人に隠し事も取り繕う事も無理なのは重々承知しているが、ここまでくると僕の存在は風の里に害成す監視対象者なのでは?と疑いたくなる。
「返事は・・・・」
あれ?返事?諏訪さんの質問に僕は篠崎さんから投げ掛けれた質問の返答をしていないことに気が付いた。
「あっ・・・・感極まって、僕の想いを伝えただけで・・・・」
そうだ。しかも僕は伝えた想いを『忘れてくれ』と言った。篠崎さんから理由を聞かれたのに、僕はシズカの解決策を優先させた。
「鏑木さんがいらっしゃって・・・・後はシズカの解決先を確認することを優先させました・・・・」
何て一方通行の押し付けだけの告白だったんだ!僕は自分の行いがあまりにも不誠実であったと今更ながら後悔した。
それでも、鏑木氏との関係を知った上での告白だ。一方通行であって然るべきだとも思う。
「それで?史郎がいたから楓の返事は聞けなかったということかい?」
「それは・・・・」違うと言いたいところだが、シズカの状態確認を優先させたことは事実だし、仮に鏑木氏がいなかったとしても僕の行動は変わらなかったと思う。なぜなら
「篠崎さんに返事をもらおうとは思いませんでした」
そうなんだ。伝えたい想いが溢れてはいたが、その先の事までは全く考えが及ばなかった。本当にただ篠崎さんがあまりにも愛おしく感じて起こした無意識に近い告白。
「史郎はなんと?」
「鏑木さんですか?」
彼の言動の意図は全く読めなかった。僕の告白に対してはほとんどスルーで、それよりも篠崎さんを放置して研究所に戻るのかと半ば呆れられた。そこに違和感を覚えたし戸惑いもした。
「ここへは戻ってこないのか?と問われました」
「ほう?」
そう言えば去り際に
「僕と決着を付けなければならないと」
「決着?悟とか?」
諏訪さんは何だか嬉しそうな顔をして続けた。
「史郎は相当に悟を意識しているな。そうだろう?一颯?」
諏訪さんに同意を求められた龍崎さんはコクンと頷いて
「決着をつけるとまで言ったのだろう?意識以上だと思うぞ」
「そうだな。悟を認めたいと思っているのだろうな」
2人の会話の意図が理解できない。ボタンが掛け違えている様なモヤモヤした感覚だが、諏訪さんの言葉に淡い期待が脳裏をかすめる。
篠崎さんと鏑木氏は恋人ではないのか?諏訪さんと龍崎さんの話しからは僕にも可能性がある様に聞こえる。
「悟、史郎の言う、決着をつけてみたらどうだ?楓の返事はその後で聞いた方がいいかもしれないぞ」
諏訪さんは「お膳立ては私と一颯で請け負おう」と言ってくれた。
僕の告白の行方は周りを巻き込んだ、何かのイベントの様な体を成してきていた。