分身(アンドロイド)
僕が風の里に着任してから二週間が経っていた。あっという間の言葉通りで、目まぐるしく日々が過ぎていく。そうなんだ。時間が目の前を素通りしていく様な二週間だった。
着任早々の歓迎セレモニー?いや、あの説明と案内と証した禅問答はチーム長である諏訪さんの最終面談の一環だったのだと今は思っている。
初めて触れた自分自身のとてつもなく熱く、それでいて黒々としたドロドロの感情『愛憎』。あの体験以来、僕は胸のつかえが取れた様に感じていた。解放されたと言った方がしっくりくるかもしれない。
今までは視界に入ることすらなかったモノ、気付くことのなかったコト、それらが意識することなく目に留まるし気がつける。技術屋としては視野が広がり、人としては度量が大きく?厚みが増した。
だから、『分身に必要な愛憎という感情だ』と呟いた諏訪さんの意図するところは理解できたのではないか?と思っている。
着任翌日から最初の一週間は風の里の8つのエリアをくまなく案内してもらった。当初は鏑木氏が案内役だったようだが、里外での業務が入ったそうで諏訪さん直々の案内だった。それが、僕の状態を気遣っての措置だと思うと申し訳なく感じる。
あの時、諏訪さんは最後にこう言った。『史郎は楓をかけがえのない存在だと思っている』と。
『かけがえのない存在』か。2人の関係がどうあれ、そう想う相手に好意を抱いている男が着任初日にあの状態。僕でも憎悪を孕んだ敵意の視線を向けたくなる。
その言葉を聞いて僕は妙に納得できた。僕にはまだ、篠崎さんをそこまで想う覚悟は生まれていない。
なんにしても、あの状態からよく復活できたものだと思うし、自分自身の変化も感じている。僕はここでも諏訪さんから多大なる恩を受けることになった。
僕を風の里に引っ張ってくれた諏訪さんに報いるためにも何としても分身を完成させたい。僕はこれまでの熱量以上に技術研究にかける情熱を感じていた。
―――僕の担当ブースは駆動制御で、分身が想定した通りに動作するかを調整するいわば試用実験前の最終段階を担当している。
人型ロボットの定義は定まっていない部分もあるが、風の里では『人の形を模して造られたロボットをアンドロイド』と定義していて、骨や肉体を含む全てが人工物、機械であることとしていた。
初日の案内の最中に鏑木氏が口にしていた『山吹さんがご心配されるような実験は吉祥では行いません』の言葉通りに、人間の身体機能の一部を人工物に代替させたサイボーグや人の形とそっくりなロボットや生き物のヒューマノイドの開発ではないということだ。
僕がTCS㈱で手掛けていた警備ロボットは産業用ヒューマノイドロボットだったが、分身は全くの別物ということになる。
今、目の前にいる2体の分身は介護用の初号機で、介護職の職場環境を改善する一助として1年後の実用を目指していた。
分身というからには当然モデルがいる。モデルは風の里内の病院に併設されている介護施設のスタッフで、風見静さん。里内を諏訪さんに案内してもらった時に紹介された。
風の里の全住人には左耳たぶにチップが装着されているから、そのチップが常時収集しているデータをAIに学習させ、視覚、聴覚などの五感と思考と行動のパターンを解析、頭脳となるチップに読み込ませてから分身に信号を送るテストが行われていた。
「通常動作での問題は発生しないのだけれど・・・・」
モデルの風見さんの名から命名された介護用初号機『シズカ』をブース内の8名が囲み、篠崎さんがシズカに送る信号の動作確認をしていた。
ここ二三日で発生した課題で、一瞬ピタリと動作が止まる時がある。当初はデータ取り込み時に何らかの支障があると考えていたが、生成AIで原因を探っても、どこにも異常はみられなかった。
僕はモニターを凝視する篠崎さんの横顔を見つめた。二週間前にあんなにかき乱された感情は湧き上がってはこない。僕は平常心でいられる自分自身にどこかほっとしていた。