想定外の事実
「それじゃあ、メンバーに紹介しようか」諏訪さんの声に連動するように8面のエアモニターが目の前で展開した。
現時点でこの研究所にいるのは分身チームのおよそ3分の2、100名程が8つの個別ブース内でそれぞれの任務にあたっていると説明してから、諏訪さんはモニターの前に僕を立たせた。
新メンバーだと僕を紹介すると警備ロボットのプロトタイプを開発した同志で、ここでは駆動制御の担当だと右から2番目のモニターを指し示した。
そのモニターに映る10人程の人員が口々に「よろしく」と反応する中でひと際大きく僕に向けて両手を振る人物が目に留まった。
篠崎さんだ!見間違えじゃなかったんだ!しかも同じ担当?こんなことあるのか?「魂の片割れ」と表現した篠崎さんの言葉が蘇る。
僕は嬉しさのあまり即座に反応するどころか時が止まった様に身体が硬直し、その場に立ち尽くした。
『緊張状態が継続。深呼吸を推奨。4秒で吸入、その後8秒で吐出を3度繰り返してください』脳内アナウンスに我に返る。
僕はここへきて何度同じことを繰り返しているんだ?自戒を込めて深呼吸を3回実行してから手を振り続けている篠崎さんへペコリと頭を下げた。
篠崎さんの大仰な様子に諏訪さんが「ああ、そうだったな」と呟いてから鏑木氏へ視線を送った。
「だからか、史郎がいつも以上に慎重だったのは。楓が原因か?」
その意味深な言葉が気になり鏑木氏へ目を向けると初見で見せたあの冷たい視線が僕に注がれていた。
「ええ、私は楓を幸せにする義務がありますから」冷たい視線に憎悪の色が浮かんだ気がして、僕は篠崎さんを楓と呼んだ鏑木氏から敵意の様なものを感じた。
どういうことだ?ふぃっと僕から目を逸らした鏑木氏の視線がやけに気になり、諏訪さんがエアモニター越しに紹介してくれるメンバーへは半ば上の空で挨拶を返した。
確かに彼の視線から敵意を感じた。と、思う。だが、思い過ごしだったのか?あの時、篠崎さんが手を振った相手は僕だと思い頭を下げたが、もしや?鏑木氏に向けてだったのか?篠崎さんを幸せにする義務がある?彼と篠崎さんはどんな関係なんだ?
ダメだ!しっかりしろ!目の前のコトに集中しろ!僕がここにいる理由だけを考えろ!鏑木氏と篠崎さんの顔が交互に浮かび、僕はまた警告アナウンスが頭の中に響くのではないかと気が気でなかった。
「・・・・悟、宿舎の自室へは案内してもらったのかい?」
「へっ?・・・・いえ、まだです」
耳から入ってきた諏訪さんの声に反射的に反応して妙な間が開いた返答になってしまった。
いつの間にか終わっていたメンバー紹介、目の前のエアモニターは消え、諏訪さんが心配そうな目で僕を見ていた。以前からそうだ。この人に隠し事はできない。
「あぁ、すみません。僕の想像を遥かに超えた、いえ、及びもつかない風の里の現状にあてられてしまった様です」
取り繕った所で諏訪さんにはお見通しだとは思うが嘘ではない。まして、篠崎さんと彼の関係が気になり上の空だったなどと鏑木氏に勘繰られては、この先何かとやりにくそうだ。僕はこの時、平静を装うことに必死だった。
目の前のコトに意識を集中させようとしても鏑木氏の視線の残像と言葉が脳内で繰り返されている。
「うっ・・・・」
僕は突然に吐き気を覚えた。身体を屈めるより早く脳内に警告アナウンスが響いた。『自律神経に異常を確認。至急、研究所から退所して下さい』と、同時に鏑木氏に身体を支えられた。
「諏訪さん!退所指示です!」
「あぁ、その様だな」
2人の声が遠くで聞こえる。薄れゆく意識の中、鏑木氏に支えられた身体がそっと床に横たわらされた感覚があった。
「・・・・床が・・・・冷たくない・・・・」
弾力はないが固く冷たい床の感触とも違う。素材はなんだろう?吐き気に襲われているのに妙に心地が良い床の感触を最後に僕は完全に意識を失った。
「・・・・君に楓は渡さない・・・・」
耳元で冷たく放たれた鏑木氏の言葉を知らずに。
―――「悟は史郎のお眼鏡に適わなかった。と、いうことかい?」
遠くで聞こえる話し声に薄っすらと意識が戻り、僕は耳に入る声の主を無意識に確認していた。なんだ?誰の声だ?ああ、諏訪さんか?
「当たり前です。ひ弱にも程がある」
誰と話しているんだ?どこか聞き覚えのあるその声に意識が徐々に鮮明になってくる。
「そうでもないぞ。こう見えて悟は合気を嗜む強者だ。史郎も知っているだろう?」
しろう?シロウ、史郎・・・・ぼんやりと脳内で名前を反芻していると怒気を帯びた声が僕を覚醒させた。
「知っていますとも!全て!彼の過去も、現在の動向も、隈なく知り尽くした結果だ!俺は楓を渡さない!こんなヤツにかっ攫わられてたまるか!」
「おいおい、史郎がそこまで感情を露わにするのはいつぶりだ?一人称が俺になっているぞ?」
ガツン!と頭を殴られた様な痛みが走った。今の言葉で確定じゃないか?鏑木氏と篠崎さんは・・・・僕は無意識に左手を額にあてていた。
「2人共、その辺にしないか。患者が目を覚ましたぞ」
3人目の知らない声に呼応するように僕が目を開けると明るい髪色の白衣を着た中性的な人物と目が合った。
「気分はどうだい?」
そう言うと僕が額に乗せた左手をそっと外し、代わりに自分の左掌を頭頂から顎にかけてはわせた。
「うん、良さそうだね?ショウの声は聞こえないね?ああ、ショウは脳内ガイドの名だ。君、無意識にショウを使ったそうじゃないか。吐き気の後の失神はそのせいだから安心していいよ」
柔らかい声音で説明してくれてはいるが全く頭に入らない。僕は未だかつて感じたことのないこの頭が爆発しそうな感覚にどう向き合い、どう治めればいいのか?戸惑い再び目を閉じだ。
「ふむ、史郎、後は私が悟を案内するから君は持ち場に戻りなさい」
「なっ!しかしっ!」諏訪さんの言葉に激しく動揺する鏑木氏の声が耳障りで仕方がない。今、彼と行動を共にして平常心を保つことなど僕には到底、無理な話しだ。
「そうだな。望に同感だ。これからのこともある。史郎は持ち場に戻りなさい。なに、心配はいらない。里長には私から報告したから安心していいよ」
「ぐっ!」鏑木氏は悔しそうに言葉を詰まらせた後、高ぶった感情を抑える様に「所長、後をお願いします」と、言うとベッドに横たわる僕の傍にツカツカと歩み寄り
「山吹さん、失礼な言動お許し下さい。後日、様子を伺いにまいります」
初見と同じ冷たい口調だった。
僕は目を開けることも返事をする気力さえもなく、彼の言葉に何の反応もできないでいた。暫く、僕を見下ろしていたようだが、ふっと彼の気配が消えた気がして僕は目を開けた。
そこには鏑木氏が部屋から出ていく背中を見送る諏訪さんと白衣の人物の心配そうな姿があった。
――――「さて、どうしたものかな?一颯?」
「そうだな、史郎のことは里長に任せておけばいいだろう。今、早急に解決が必要なのはむしろ君の方だね、悟?」
諏訪さんと話す白衣の人物から向けられた視線と目を合わせ、僕はゆっくりとベッドから身体を起こした。
「着任早々、申し訳ありません」
詫びの言葉しか出てこない自分に嫌気がさす。僕は大きく息を吐きながら額に左手をあてた。
「変わっていないな、悟は」
そう言うと諏訪さんはベッド脇に置かれていた半透明の椅子に腰かけた。
「思考を巡らす時も、思い悩む時も、左手が顔のどこかに触れる仕草は3年前と変わらない」
懐かしむ様な目を向けている諏訪さんこそ変わらない。この人の視界に入ると全てが許される様な安心感が湧いてくる。失敗が重なった時の技術者の多くがその罪悪感から救われたものだ。
諏訪さんは「紹介がまだだったな」と言うと同じように隣に腰かけた白衣の人物に視線を移した。
彼は龍崎一颯、分身チームの一員で分身の肉体製造の担当であり、ここ医務室の管理者でもあると言う。
諏訪さんの紹介の最中にここは医務室なのだと認識して、僕は強張っていた身体が緩んだ様に感じた。
「一颯の専門は細胞病理学でね、悟をここまで運んだアメーバ細胞型のエレベータ、研究所の核、箱庭の防壁も一颯の考案なんだ。おっと、この椅子もそうだったな」
体形に合わせて形を変え、血行障害を起きにくくする仕組みが組み込まれているから長時間座っていても血流の滞留が起きない。航空機の移動などで発症するエコノミー症候群を抑制できるという。
諏訪さんの説明を聞きながら僕は2人が腰かける椅子をまじまじと見つめた。
理屈では理解できるが。素材は一体何なんだ?細胞の培養だけではここまでの硬さにはならない。あの床の感触もそうだった。信じられない程の技術がここ風の里に集結しているんだ。
その時、僕の頭から篠崎さんと鏑木氏の事はスッポリと抜け落ちていた。
何年も先の未来にいるような風の里の発想と、それを製品化できる開発力と技術力に未知の領域に一歩踏み出したような気さえして、技術者としての興奮が僕を包みこんだ。
僕の様子を見ていた2人は顔を見合わせ小さく頷いていた。
「悟、これからよろしく」
龍崎さんが差し出した右手を僕は強く握り返した。
―――僕の状態を確認しつつ、そこからは諏訪さんが案内をしてくれた。どうやら研究者や技術者には、まず風の里を体感してもらう為に事前説明は極力控えているらしい。
しかし脳内アナウンス、ショウと名付けれた脳内ガイドは未だ試用段階だから注意事項だけは伝える様、取り決めがなされているそうだ。
「史郎の対応は悟を買っているからこそだと思うが、すまないことをした」
申し訳なさそうに諏訪さんは言ってくれるが、鏑木氏はもしかしたら僕の異動を取り消ししたかったのではないか?篠崎さんから遠ざけるために?と、勘ぐってしまう。
僕は外部研修で出会った後のことを思い返していた。交換した個人の連絡先で挨拶程度のやり取りをしたのは一度だけだ。そう、一度だけ。
僕は最終面談で篠崎さんへの想いを自覚したにも関わらず、何のアクションも取らなかった。取る気さえなかった。
異動先が同じなら次に会った時に何と伝えようか?伝えずにいた方がいいか?などと行動を起こす理由付けとキッカケの仮説立てに留めた。
篠崎さんの事を知ろうとすらしなかった。まして、現在進行形での彼氏がいるなどと思いもしなかった。あの『魂の片割れかも』の言葉から篠崎さんが僕に好意を持っていると勝手な推測をしたまでだ。
結局、僕は今までと何ら変わらない。技術研究以上に心躍らされることのない人間味が薄く、どこか偏った存在なんだ。忘れていた。あまりにも異動が楽しみで、どこかで会えるかもしれないと思わずにいられなかった篠崎さんとの再会を願っていたから。
「どうだ?池が見える部屋にしたんだ。悟は行き詰まると工場の噴水を何時間でも眺めていただろう?それを思い出してね」
案内された部屋は他と同じ造りで外側からは見えないが、内側からはガラス張りの様で全てが見渡せた。専用スペースは瞬間調光ガラスの要領で透明、不透明の切替が可能だと左耳たぶに装着されたチップを諏訪さんは触ってみせた。
鏑木氏が案内してくれた池が見える。間近で目にした時より黒く見える水面に僕は今の自分の胸の内が映し出されているようで咄嗟に目を逸らした。
このドロドロとしたどす黒く醜い胸の内を諏訪さんに悟られたくないと思った瞬間、胸が締め付けられる様に苦しく、思わず胸の真ん中に左拳をあてた。
「悟、君は自分自身の変化に驚いている様だが、それは分身を造る上でなくてはならない感情というものだ」
諏訪さんは「待った甲斐があったよ」と言うと何とも言えない誇らしげな顔を僕へ向けていた。