伝説のマスタードソース
「宇津木さん! 大変です! こっちに来てください!」
プログラマーの山田が、俺を呼びに来た。真っ青な顔をしている。よほど何か大変なことが起きたに違いない。
俺の名前は、宇津木タカシ。ゲーム会社に勤めている。ゲームアプリで国内第3位のシェアを誇る『ワイルド・ダーク・ソード』のエクゼクティブプロデューサーになっていた。
今日は、そのゲームのイベント開始日でもあった。5周年記念イベントとして、伝説の武器ガチャが解放される。目玉の武器はSSR『マスターソード』。最強の攻撃力を誇る剣だった。
「宇津木さん! これです! 見てください! デバッグ用のデータなんですけど…… いいですか?」
プログラマーの山田は、俺にパソコンの画面を見せた。今日開始されたイベントの伝説の武器ガチャの画面だ。
「このガチャの画面がどうかしたのか?」
俺が尋ねると、山田は真剣な顔で頷いた。
「はい。この画面は現在、デバッグ用にSSRの武器が当たるように設定してあります。いいですか? ガチャを回しますよ」
山田は、そう言うとマウスをクリックした。すると画面の中に稲妻が落ちる。そして、虹色に輝く宝箱が出現した。これはSSRが確定した時の演出だ。
虹色の宝箱が開き、中から現れたのは……
焼いた鶏肉にトローリと黄色いソースがかけられる。ピリッと辛いそのソース。そして、画面の中に文字が浮かび上がった!
『SSR 伝説のマスタードソース』
それを見て俺は唖然とする。慌てて山田に声をかけた。
「何だこれは? どういうことだ? 今回のイベントのSSR武器は『伝説のマスターソード』が当たるはずだろう?」
「はい。それが、実際のデータでは、『伝説のマスターソード』ではなく『伝説のマスタードソース』が当たるようになっているんです!」
何ということだろう。伝説の剣が、調味料になってしまった。
ようやく事態が飲み込めた俺は、山田に尋ねる。
「今回のイベントのデータを作ったのは誰だ?」
「チーフプログラマーの剣崎さんです!」
「剣崎は今どこにいる? すぐに呼んで来てくれ!」
そう言うと、山田は口を閉じて首を横に振った。それから口を開く。
「それが…… 剣崎さんは昨日、イベントの成功を祈願しに登山に行ってくると言って出掛けたまま。今も連絡が取れず行方不明なんです」
「何だって!?」
伝説の武器マスターソードが、ピリッと辛い調味料マスタードソースに変わっているだけでなく。そのデータを作った担当者が行方不明になっているという。前代未聞の事態である。
「どうしましょう? 宇津木さん……」
山田がオロオロとした表情で俺の顔を覗き込む。俺は、歯を食いしばって言った。
「連絡の取れない剣崎のことは、ひとまず置いておこう。まずは、今回のイベントのデータだ。これは既に配信されてしまっているんだな?」
「はい。伝説の武器ガチャは、かなり注目されていましたから。既に大多数のユーザーが『伝説のマスタードソース』を入手していると思われます。どうします? 緊急メンテナンスにしてゲームを止めますか?」
俺は、顎に手を当ててしばらく考え込んだ。目を瞑って思考を頭の中に巡らした。やがて、目を開けて答える。
「いや、こうなった以上。ゲームを止めてイベントを中止するのは得策ではない。とりあえず、このまま経過を見守ろう……」
それから、3時間が経過した――――
多くのユーザーから会社に苦情が寄せられた。
「伝説の武器ガチャ。楽しみにしていたのに、SSRがマスタードソースってどういうことですか? 運営は何を考えているんですか!? 課金した金を返してください!」
主に、そういう内容のコメントが投稿されている。我が社のSNSは既に炎上していた。
しかし、その炎上は徐々に鎮火していった。
渦中の『伝説のマスタードソース』だが。実は、調味料としてではなく武器として使えることが判明したのだ。モンスターにソースを投げかけてダメージを与えることができた。
その攻撃力は、どの武器にも劣る最低のものだったが。そこに目をつけたユーザもいたのだ。
「マスタードソースでドラゴンを討伐する縛りプレイを実況配信します!」
人気のゲーム配信者が、マスタードソースを使って縛りプレイをする実況配信が注目を集めた。すると、手のひらを返したようにマスタードソースについて肯定的な意見が出始める。
「SSR武器にマスタードソースを出すなんて、運営スタッフのセンスの良さを感じる。今までの『ワイルド・ダーク・ソード』に無い新境地を開拓したと思う。これからが楽しみ」
次第に好意的な意見が多く寄せられるようになった。
それから一週間後――――
「よかったですね。宇津木さん! 一時はどうなることかと思いましたが…… 何とかなりましたねえ」
プログラマーの山田がホッとした顔をしている。今回のイベントは無事に終了した。俺は腕を組んで頷いた。
「うむ。マスターソードが、マスタードソースに変わっていた時はどうしようかと思ったが…… 無事にイベントを終えられてホッとしているよ。それにしても、剣崎のやつは一体なにを考えてこんなことを…… ああッ!!」
言っている途中で俺は重大なことを忘れていたのに気づいた。
「山田ッ! そういえば、剣崎から連絡はあったのか?」
「いえ、まだありません! 行方不明のままです!」
結局、チーフプログラマーの剣崎が会社に戻って来ることはなかった。山で遭難して死んでしまったのか、それともどこか別の場所で暮らしているのか。
彼は何故、伝説の武器マスターソードをマスタードソースに変えて世にリリースしたのか?
もはや、その真意を俺たちが知ることはなかった。
~Fin~