8:魔術犯罪対策課課長、とすごろく
「なんと! ドアがない!」
また一階の玄関で、叫び声が上がった。今度は男性の声だ。
三人は顔を見合わせる。
「今日は千客万来みたいだね」
「間が悪いことに、そのようですね」
困った笑顔のノアに、立ち上がりながらユージンが同意。キリエもその動きに続きながら、腕を組む。
「ほんと間が悪いっすよね。昨日まではドア、あったのに」
「いや、ドアっていうのは基本的に、いつもあるもんだ」
至極もっともな指摘をしながら、ユージンは足早に階下へ向かう。その背中を、キリエが小走りで追った。
「いやいや、駄目っすよ、先輩。絶対なんてないんすよ、それこそ絶対に」
したり顔でそう言う彼女を、ユージンは冷ややかに見下ろす。その間も階段を、リズミカルに降りる。
「ヤンキーのくせに、含蓄のあることを言うな」
「あーっ、ヤンキー差別だ! ヤンキーは名言残しちゃダメなんすか! 誰にだって、名言を残す権利は平等にあるんすよ!」
「あーはいはい。そうだな。お前の言う通りだよ。悪かった、悪かった」
「なんすかその、とりあえず謝っとこう感は!」
指差して吠える彼女を適当にあしらい、ユージンは玄関に到着した。
立っていたのは茶髪を短く切りそろえた、いかにも有能そうなスーツ姿の男性だった。
がっしり体型のその男性は、魔術管理局内の有名人だった。いや、ユージンたちもある意味では有名人、なのだが。
ともかくユージンは姿勢を正し、頭を下げる。彼の隣に並んだキリエも大慌てで、ややぎこちなく、その動きに続く。
「お疲れ様です、黒須課長」
「お、お疲れ様……っす」
「ああ、どうも、お疲れ様です」
黒須と呼ばれた魔術犯罪対策課課長の男性も、折り目正しく礼をしてはにかんだ。
「どうか、楽になさってください。今日は仕事の依頼に伺ったので」
「かしこまりました」
頭を持ち上げたユージンは、途中で黒須が小脇に抱えるものに目を留めた。
一抱え程ある紙製の、細長く平たい箱のようなものであった。
もっとも呪具は耐久力そのものが魔術で底上げされているため、材質が何であろうと「妙に頑丈」なのだが。
「そちらが、ご依頼の品でしょうか?」
首をかしげるユージンへ、黒須が首肯。
「ええ、そうです。先ほどうちの課に持ち込まれた、呪具でして」
素手で触っても問題ない部類らしい。黒須はそれを、両手で抱えなおす。
細長く平たい箱は薄汚れ、そこに何が描かれていたのか判別がつかない。ただ辛うじて、その表面に『すごろく』という文字があることだけは、見て取れた。
青い猫目を細め、キリエもしげしげと箱を眺める。
「呪いのすごろく、っすか?」
「ええ、そうです。すごろくを行うと、止まったマスに書かれていることが現実になってしまうという、実に恐ろしい呪具でして」
陰鬱な声と表情の黒須。たしかに彼の背負う空気の通り、空恐ろしい魔術を秘めた呪具ではある。
あるのだが。
「それなんて、『ジュマン――」
「おい、それ以上は言ってやるな」
思いついたら口にせずにはいられないキリエが、ぽつり、ととある有名映画のタイトルを口走ろうとしたので、怖い顔のユージンが制した。
「言いたくなる気持ちは分かりますけどね」
品よく微笑んだ黒須が、すごろくの箱を撫でる。
「しかし、何も知らない子供たちがこれで遊び、大けがを負ったことも事実です」
「げっ。めちゃくちゃヤバイじゃないっすか」
口元をひくつかせ、大きくのけぞったキリエへ、生真面目顔の黒須がうなずき返す。
「ええ、そうです。かなりヤバイのです。ですので封印と保管を、何卒よろしくお願いします」
はみ出し者ばかりの編纂室室員にも、決して偉ぶらない彼へ、ユージンも再度丁寧なお辞儀をした。
「かしこまりました。我々が責任をもって、お預かりいたします」
「任せてください!」
「ありがとうございます。いつもご無理を言って申し訳ありませんが、よろしくお願いしますね」
躊躇なくサムズアップをかますキリエを怒るでもなく、再度笑みに戻った黒須は低姿勢のまま、編纂室を後にした。
ドアのない玄関からそれを見送ったキリエが、傍らのユージンを見上げる。彼の両手にある、呪われたすごろくもちらり、と見つつ。
「先輩って、課長さんのことが好きなんすか?」
「うん? まあ、尊敬はしているな」
好きかと訊かれれば微妙なところであるため、そう返す。そもそも、好悪が判別するほど接点もない。
ただ、言葉の通り尊敬はしていた。
「エリートなのに、俺らみたいなはみ出し者に対しても偉ぶらない。いい人なんだろうな、とは思うな」
「そうっすね。めっちゃ腰低いっすもんね」
軽く伸びをしながら、キリエが同意。しゃっちょこばっていたので、肩が凝ったらしい。こきこきと、関節を鳴らしている。
次いで彼女は、ユージンへニッと笑いかける。
「でもあたしは、先輩も好きっすよ」
「ほう。嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
二階へ戻る道すがら、ユージンは言葉通り嬉しそうに、声音を明るいものにする。口元も珍しく緩んでいた。
そんな彼へ、キリエももう一度にっこり。
「うっす。だって耳が可愛いし」
たちまち、ユージンはいつもの無愛想に戻った。
「悪趣味か、お前は!」
「だって猫のお耳っすよ? 生えてるのがクソガキでもオッサンでもジジイでも、可愛いもんは可愛いっす」
「お耳」と表現する辺りに、育ちの良さが見え隠れしている。
趣味は悪いが、悪意はないらしい。ユージンも肩をすくめた。
「……まあ、俺も、なんだかんだで、お前のことは嫌いじゃないよ。一応な」
「なんでそんな予防線張るんすか! もっと素直に、可愛い後輩って言ってくださいよ!」
「可愛いとは言いづらい、なめくさった素行だからこその予防線だろうが。察しろ」
そうぼやいて、連続でキリエの額をつつく。
「あてっ、あたたっ、あたぁっ! ちょっ、やめっ、なにするんすか!」
ビートを刻む彼女の悲鳴に、プッとユージンは噴き出した。