6:オッサンと猫耳の秘密
「訊きたいこと、もう一つあったんすよね」
紅茶の入ったマグカップを両手で包み込み、キリエがぽつり。
なお、彼女のマグカップは黒地にドクロ柄だ。その辺りの趣味は、なんともヤンキー臭い。
猫のシルエット柄のマグカップを持つ、猫耳のユージンが首を傾けた。
「なんだ。また下ネタじゃないだろうな」
「下ネタなんて言いました、あたし?」
純真無垢な表情が持ち上げられたので、ユージンは不景気な面でそれを見返した。
「無自覚かよ、怖いなお前……で、訊きたいことって何なんだよ」
キリエの青い瞳がちらり、と猫のマグカップを見つめる。
「先輩って、なんで猫耳なんすか? 趣味?」
ユージンが一層苦々しい顔になる。うんざりと、首も振った。
「今さらだな。というか、趣味なワケあるかよ」
「いやだって、訊きづらいっすよ。いい年したオッサンが猫耳って。――ぃてぇっ!」
額に、超高速のデコピンが繰り出された。
マグカップをテーブルに置き、額をおさえ、キリエはうめく。
「先輩の指かっってぇ! ひょっとして骨、アダマンチウム製っすか?」
「誰がウルヴァリンだ」
仏頂面でブラックコーヒーをすするユージン。
「この耳は、やむにやまれぬ事情でこうなったんだよ」
「それは一体?」
「スパイだったんだよ、俺」
さらりと教えられた爆弾発言に、キリエは目をむいた。
「ミュータントじゃなくて、ジェームズ・ボンドだった……?」
次いでキラキラと、尊敬のまなざしが向けられる。
「先輩かっけぇっす!」
ユージンはそれに、困ったように笑い返した。
「あんな格好いいもんじゃない。実態はもっと地味だ」
「地味なうえに過酷だったのよ」
ノアも訳知り顔で、しみじみうなずく。
戦争のない平和な御世だが、争いの火種自体がなくなったわけではない。
経済活動において競争相手となる国や、利害関係が合致しない国へ、お互いにスパイを送り合うのは暗黙の了解となっている。
ユージンもそうやって、海を越えた隣国へ送り出された一人だった。
しかし運悪く、そこで内戦が起こった。帰国することもできず右往左往している内に、異国人はもれなく全員、捕縛される事態となってしまった。
スパイが捕まろうものなら、諸々詰んでしまう。
そこで彼は自身の先天的魔術である、変身魔術を使い、猫に転じた。
その姿のまま約一年間、内戦の終結または救援を待った。
泥水をすすり、ネズミや野鳥を食らう日々に耐え続けた彼に、ようやく救済が訪れた。
連合国軍による内戦への介入である。
どうにか帰国することが叶った彼であったが、受難は続いた。
元の姿に戻ろうとするも、耳だけは猫のままなのだ。
一年間猫の姿でいたため、自身の耳の形を忘れてしまったのである。おまけに思い出そうにも、耳がしっかり写っている写真などそうそうない。
そもそも写真嫌いだったため、真正面から取った証明写真程度しか残っていなかったのだ。
こうして猫耳のままとなってしまい、その姿では諜報活動どころか日常生活を送ることすら困難になった彼は、攻性魔術を持っているわけでもないのに編纂室付きとなってしまった。
それは、苦境に耐えた彼への恩情でもありつつ、国家の秘密を保持する彼を監視するための処置でもあった。
可愛らしい――生えている人間の愛らしさは、この際関係ない――猫耳に不似合な、ディープ過ぎる過去を紐解かれ、キリエは顔を硬直させていた。
ごくり、とつばも飲み込む。
「生のまま……ネズミ食ったんすか?」
「そこかよ気になるのは!」
しかし彼女は、目の付け所が鋭敏過ぎる。
「だって、猫耳も大変っすけど、個人的には生のネズミが一番キツいなぁって」
キリエとしては、彼を労っての言葉であったらしい。
思わず怒鳴ったユージンも、肩をすくめる。
「……まあ、キツかったな。たしかに。二度と食いたくない」
「そうっすよね。お疲れ様です」
「ああ、どうも」
しみじみと頭を下げる彼女につられ、ユージンもお辞儀を返す。
ペコペコする部下二人を眺めていたノアが、あ、と声をもらした。そして人差し指を、ピンと立てる。
「僕気づいちゃったんだけど。他の人の耳を真似して変身すれば、解決するんじゃ?」
「残念ながら、それも失敗に終わりました」
コーヒーの入ったマグカップをテーブルに置き、ユージンは自身の三角耳をくい、と引っ張る。
「他の人の耳に変身しても、一晩経つと猫耳に戻るんですよ。どういう手違いか、俺の中ではこれが俺の耳ということで、定着しているみたいなんです」
「あらまあ……色々と複雑なんだね」
頬に手を添え、ノアがため息。
への字になったユージンも、同じく息を吐く。
「戦争の後遺症で、脳がちょっといかれてるんじゃないか、とは言われました」
栗まんじゅうの残りを口に放り込み、キリエが腕を組む。
「PTSDで猫耳っすか。なんか、割に合わないっすね」
「ほう、PTSDなんてよく知ってたな」
「偉いね、キリエ君」
男二人がわざとらしく目を見開いて、彼女をほめそやす。
しかし露骨すぎたため、キリエはむくれた。口を尖らせる。
「馬鹿にしてますよね? それぐらい、あたしだって知ってるっす」
ニヤリと笑って、ユージンが彼女へ身を乗り出す。
「それじゃあ、PTSDは何の略称だ? 言ってみろ」
ぱちくり、と大きくまばたきをして、キリエは固まった。
しばしの後、視線を宙に泳がせながら彼女は口を開く。
「パ……パーフェクト・タイタン・ストロング・デストロイ……?」
うん、と静かにユージンがうなずく。
「意味は全然分からんが、ヤバい感だけはひしひしと伝わって来るな」
なお本来の意味は「ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー」――心的外傷後ストレス障害、である。