4:バスタオル巻きの妖刀
「さる家で、決して触れぬよう代々言い伝えられて来た、いわく付きの呪具だそうです。その伝聞によりますと、鞘に直接触れると呪われるそうです」
魔術犯罪対策課の女性が、そう伝言を残して置いて行ったものは、一振りの妖刀だった。
普段は大した仕事もなく、ただのんべんだらりと日々を過ごしている魔術史編纂室だが。
その本来の業務は、危険な魔術が施された通称「呪具」の封印と、それらの地下倉庫への保管である。
汎用性魔術の取り扱いが、法規制を受ける前に造られた代物が大半であり、いずれも「呪い」としか表現しようのない魔術を備え持っている。
だからこそ、どうあがいても武力にしかなりえない、攻性魔術持ちが対処に当たっているのだ。
「なんか、売ったら高そうな刀っすね」
バスタオルを外された妖刀を見下ろし、キリエが平和的かつ即物的な意見を口にした。
のんきな彼女を、冷え冷えとユージンが見下ろす。
「それなら売って来るか? 触った途端、呪われるらしいが」
「いやっすよ! 冗談っす!」
ぶるぶると首が振られた。
鼻っ柱の頑丈なヤンキー娘であるが、この一年で様々な呪具を扱ってきたのだ。本気で売ろうなどという気は、さらさらなかった。
自身の机から立ち上がったノアも、妖刀が置かれているキリエの机に集まる。
「直接触っちゃ駄目なのかい? それじゃあ、魔術の封印も行えないね……」
困った、と茶髪をこねくり回す彼へ、ユージンが首を振った。そして、妖刀の柄の部分を指で示す。
「いえ。触って呪われるのは鞘の部分だそうです。柄なら問題ないでしょう」
「あら、本当?」
顔を輝かせるノア。しかし、その両手は動かない。
代わって期待に満ち満ちた目を、じいっとユージンへ注ぐ。
苦虫を噛みつぶしたような顔つきになったユージンが、こめかみに青筋を浮き立たせつつ、彼をにらみ返す。
「こういう時に率先して動くのが、上長の役割では」
「だめだめ、僕は実戦に出ることも減ってるから。万が一失敗しちゃうよりも、ユージン先生に任せた方が安心安全でしょう」
「先輩、修羅場慣れしてますからね」
キリエもそれに同調。それにしても酷い言い草だ。
「……いいけどな、別に」
ややあって、彼は仏頂面でそうぼやいた。
まだまだ下っ端のキリエと、管理職ゆえ直接封印には携わらないノア。
そして、なんでも自分で解決しがちなユージン。
こういう流れになるのは、必定と言えた。
彼はうんざりしつつも、鞘をバスタオル越しに持ち上げ、もう片方の手で直接柄に触れる。
しかしこの瞬間、妖刀が鈍く光り、魔術を奔流させた。全員の目が、丸くなった。
伝聞は、間違っていたのだ。
「げっ」
ユージンがうめいて障壁魔術を構築しつつ、妖刀から手を放そうとするも、一足遅かった。妖刀の魔術にからめとられる。肉体の支配権も、奪われた。
強張るキリエとノアの前で、妖刀が抜き放たれる。
「せっ、先輩! 何してんっすか! 銃刀法違反ー!」
「うるせえ! 勝手に動くんだよ!」
ユージンも青ざめてがなる。
踏ん張ろうとする彼の努力もむなしく、両腕は妖刀をギュッと握りしめて、高々と掲げる。
そして、キリエ目がけてそれが振り下ろされた。
「うわあ!」
横っ飛びで逃げる彼女を、木床に打ち当てられる寸前で、横薙ぎになった刀身が追いすがる。
キリエはのけぞり、更にそれを回避した。喧嘩で鍛え上げた、動体視力と身体能力があるからこそ、出来る芸当である。
一方、妖刀を握るユージン自身も場数を踏んでいる。それもあってか、妖刀の動きは冴え渡っていた。
キリエも、紙一重でかわすのが精いっぱいである。
強制支配に抗えないか、と歯を食いしばるユージンが叫んだ。
「キリエ! もういい、こいつを破壊しろ!」
後転で凶刃を避けながら、ギョッと彼女は目をむく。
「え、でも、それじゃあ封印が……」
「殺されたら、元も子もないだろ!」
「室長の魔術じゃ駄目なんすか!」
あわあわと、脂汗をたらして二人を見つめるノアを、キリエは見た。
彼の生まれ持った魔術は、時間停止の魔術だった。それならば、容易に妖刀を制圧し、そして封印することが可能だ。
しかしノアも、ユージンに加勢。
「僕が魔術を使ってる時に、もし妖刀に取り憑かれたらどうするの! 管理局全員が皆殺しになっちゃうよ!」
そう。言い伝えは誤っていたのだ。鞘を触って安全という保証もない。
くわえて時間停止の魔術は、それぐらい恐ろしい。誰もが抵抗できずにバッサリ、である。
その様を想像したのか、キリエはますます青ざめる。
「ひええ、ジェノサイドじゃないっすか!」
「そうよ! だからキリエ君、やっておしまい!」
「ああ、もう、分かりましたぁ!」
覚悟を決めた彼女が一声叫び、その場で立ち止まる。
振り上げられた妖刀が、彼女の脳天を狙い、勢いよく落とされる。
「うおりゃっ!」
一声叫んだ彼女の両手が凶刃を挟み、それを阻んだ。真剣白刃取りである。
キリエの両手が刃に触れた途端、小さな破裂音と金属の割れる音がした。
同時に刀身が、砂塵に変わる。爆破魔術は成功した。
刃を失ったためか、鈍く光っていた柄が輝きを失う。そして自由を得たユージンが、叩きつけるようにそれを床へ放った。
「あーあ、もったいない」
刀としての価値も、呪具としての力も失った妖刀だったものを、キリエは惜しむようにつついた。
元令嬢らしからぬ発言に、額ににじんでいた冷や汗を拭ったユージンが毒づく。
「命を狙われてたのに、よく言えるな。馬鹿かお前は」
「だって、物は良さそうだったんで」
元令嬢らしい、審美眼に基づいての発言だったらしい。
とはいえ、馬鹿は馬鹿である。
バスタオルを手にしたユージンも、キリエの隣にしゃがみこむ。そして彼女のように妖刀を指でつつき、魔力の残滓がないことを確認する。
次いで、唯一残された柄をバスタオルにくるんだ。
辺りに残るものは、粉砕された刃のくず。
ユージンはのぞきこむようにして、キリエを見る。
「掃除と、封印不可の報告書を書くのと、どっちがいい?」
「掃除っす」
即答である。
にやり、と口角だけ持ち上げて、ユージンは笑った。爽やかさゼロ%の笑みだ。
それなりに顔が整っているだけに、嫌味っぷりが容赦なかった。
「よし、報告書だな」
キリエが口をとがらせる。
「なんでそうなるんすか! 人の話聞いてます!?」
「苦手なこともちゃんとやれ。成長しないぞ」
「ちきしょー!」
ユージンは絶叫する彼女の額を軽くつついて、ついでに柄も押し付ける。
よっこいしょ、とオッサンらしい掛け声を上げて彼は立ち上がり、ホウキとチリトリを取りに向かった。
残された不平顔のキリエへ、ノアが笑いかける。
「まあまあ。僕も手伝ってあげるから、頑張ろうね」
「いいんすか……?」
事務仕事がよほど苦手らしい。涙目の彼女に、ついノアは噴き出す。
「手伝うぐらいは問題ないでしょう。ほら、頑張ろうね」
「うっす」
目尻の涙を、ごしごしとこすった彼女がうなずいた。
そこへ、ノアが更なる駄目押しを加える。
「キリエ君の頑張りに応えて、三時のおやつはちょっと奮発するからね」
「うっす!」
先ほどよりも威勢よく、キリエはうなずいた。