3:ドアがなくともコーヒーブレイク
この世には、攻性魔術と呼ばれる魔術が存在する。
後天的に学習する、汎用性魔術とは異なる。先天的にしか、持って生まれてこない代物だ。
おまけに名前の通り、どうあがいても武力にしかなりっこない、この平和な時代には過ぎた魔術でもあるのだ。
ごくまれに、その魔術を備えて生まれる人間がいる。また、その中には更に更にまれなケースとして、キリエのように中途覚醒する者もある。
しかし、彼らが辿る道は同じだ。
全員もれなく、魔術管理局の監視下に置かれ、魔術犯罪を引き起こさないか終生見張られるのだ。魔力を抑える処置を施したうえで、だ。
これについては「差別だ」「迫害だ」「人権侵害だ」という意見も、あるにはある。
しかしそれ以上に魔術への警戒心が根強いため、また攻性魔術持ち自身が、迫害を受けることなく周囲に溶け込みたいと願うため、その処置は現在も続けられている。
ただ、処置を受けない一部例外も存在する。彼らこそがキリエたちのように、管理局直接の子飼いとなって働く者たちだ。
デビュタントで盛大にやらかしたキリエは、爆破魔術という威勢の良すぎる魔術の質と、そして家柄から目を付けられ、こうして管理局付となっていた。
しかし彼女の教育係でもあり、唯一の先輩でもあるユージンの意見は、管理局とは異なっていた。
「お前に関しては、『楔』を打ち込んで魔力を完全封印するべきだったかもしれんな」
玄関と廊下の清掃を終え、机に座ったユージンがむっつりと言う。艶やかな黒髪が、木くずにまみれていた。
その顔は本気なのか冗談なのか、判断がつかない。
ただでさえ、彼は不機嫌顔が多いのだ。
事務所隅にある給湯室に入っていたキリエも、顔をのぞかせて慌てる。
「やめてくださいよ! そんなんされたら、湯も沸かせなくなるっす」
「毎度毎度、修理を依頼する俺の気持ちも察しろ! というか、よくのうのうと茶が飲めるな!」
「これでも元お嬢様なもんで」
へへ、と笑った彼女は一度、給湯室に引っ込み
「先輩、お茶とコーヒーと、どっちがいいっすか?」
のんきな声に、ユージンはまた青筋を立てるも、諦めたようにため息をつく。フードを目深に被りなおした。
「……コーヒー。ブラックで」
「うっす、了解っす」
「せめて『はい』と言え。お前は力士か」
「はーい」
「いや、伸ばすなよ……もういいか」
元気のいい返事に、ユージンはもう一度ため息。そして、机の上で頬杖をつく。
「素直は素直なんだよな、あいつ……だから余計にタチが悪い」
「まあまあ」
部屋の奥の机に座るノアが、書類を整理しながらぽっちゃり顔を笑みに変えた。
「どうせ閑職なんだから、のんびり行きましょうよ。ドアだって、なくて困るものでもないでしょう」
うなずきかけて、ユージンが首を振る。耳がぐりん、と反り返っている。イカのようだ。
「いや、困るでしょう。保管庫に入り放題じゃないですか」
「保管庫にも魔術をかけてるし、重要書類もないんだから。雨風さえ入ってこなければ、そうそう困らないじゃない。そもそもここ、管理局の敷地内だよ?」
独特のオバチャンっぽい口調に、ユージンの険もやや削がれる。
「まあ、そりゃそうですが……」
給湯室から出て来た、三人分のマグカップをお盆に載せたキリエもうなずき、お人好しなノアに同調。
ちなみにお茶は本来、セルフサービスだ。ただ、上下関係の厳しい不良界隈で生きて来たキリエは、自ら進んで使いっぱしりを買って出ている節がある。
その辺りも、ユージンが本気で彼女を拒絶できない原因か。
「そうっすよ。管理局に入る泥棒なんて、まずいませんって」
「壊した張本人のお前が言うと、腹立つんだよな」
そう言いつつも、掃除を終えてある程度気も済んだらしい。ユージンは苦笑を浮かべ、ブラックコーヒーの入ったマグカップを受け取る。
「ありがとよ」
「いえいえ」
そしてノアには、砂糖たっぷりのコーヒー牛乳が手渡される。
「室長、お腹は大丈夫っすか?」
頬にかかる金髪をかき上げ、胃腸が弱い室長を案じるキリエへ、ノアは得意げに笑った。
「大丈夫よ。朝、ばっちり出して来たから。もう下すものもないし」
「いやいや、なんでそこまでして牛乳飲むんすか」
「だって便秘になったら、体臭もウンチ臭くなるって言うでしょ?」
「ああ、言いますね。それはちょっと恥ずかしい」
「でしょー」
オッサンとヤンキー娘によるガールズトークを受け流しながら、ユージンはコーヒーをすする。
こと魔力の制御に関しては不器用で、今も魔術を暴発させてばかりのキリエだが。
淹れるコーヒーは美味いのだ。インスタントにもかかわらず、忌々しいまでに。湯を沸かす魔術の質が良いのだろうか。
それを飲むと、かすかに残っていたわだかまりも、どうでもよくなった。
「これを飲んだら、修理の連絡を入れるか」
ぽつり、とつぶやいた。
どうせ修理代は、編纂室の予算――ひいては管理局持ちである。自分の懐が痛むわけでもないので、どうでもいいと言えばそれまでだった。
ひとしきり乙女談義を終えたキリエも、彼の向かいの席に座る。
そして紅茶を美味しそうに飲んだ。やや吊り上がり気味の大きな目といい、小さな鼻と口といい、黙っていると少し勝気そうな美少女なのだ。黙っていると。
「あー、生き返るっすね。この一杯のために生きてるっす」
しかしひとたび口を開くと、残念でしかなかった。ユージンはたまらず脱力する。
「お前はビールを飲んだオッサンか」
至極真っ当な彼のつっこみに、キリエは大きな瞳をすがめた。
「失礼な。オッサンは先輩じゃないっすか」
「俺はまだお兄さんだ」
「三十路越えたのに図々しいっすね。――あだぁっ」
仏頂面で身を乗り出したユージンに、額を勢いよく弾かれて、キリエは可愛くない悲鳴を上げる。
大仰に額を押さえ、キリエは彼をにらんだ。本当に痛かったのか、大きな目は潤んでいる。
「ひどいっす、パワハラっす」
「職場を爆破しといて、よく言うな」
ふん、と鼻で笑う彼の耳が、その時傾いた。それから一拍も置かずに、悲鳴が飛んで来た。
「わあ、ドアがない!」
女性の悲鳴に、ユージンとノアが顔を見合わせる。
「早速、ドアがなくて困りましたね」
「まさかお客さんが来るなんてねぇ」
さすがのキリエも、肩をすぼめる。
「いやー、面目ないっす」
「悪びれるのが遅ぇよ」
今度は軽く彼女の側頭部をつつき、フードを被りなおしたユージンが先導して外へ出る。キリエがそれに続いた。ノアは机に座ったまま、いってらっしゃい、と手を振る。
扉が木っ端みじんになった入り口を見渡し、呆然となっているのは魔術犯罪対策課の女性課員だった。
バスタオルらしき布にくるまれた、やけに細長い棒のようなものを、後生大事に抱え持っている。
彼女は廊下から姿を現したユージンを見やり、露骨に呆れた顔となった。
「ひょっとして……また、ですか?」
声もとげとげしい。しかし、他課からのこういった態度には慣れているため、ユージンもキリエも何も言わない。
「すみません、またです」
腰からお辞儀をするユージンにならって、キリエも頭を下げる。
「すんません、暴発しました」
「……こりませんね、お宅も」
うんざり顔の女性だが、キリエの暴発癖は他部署でも有名なため、それ以上は言及しなかった。
代わりに、両腕でしっかりと抱きかかえている、棒状のものを軽く掲げる。
「実はこれの保管の、お願いに参りました。先ほど、とあるご家庭から回収したものです」
フードの中で、ユージンの耳が反り返る。キリエも表情を引き締めた。
「……回収ということは」
「ええ、呪具です」
呆れに疲れを混ぜ込んだ彼女の声に、ユージンとキリエはちらりと視線を交わす。
魔術史編纂室が、苛烈な閑職と呼ばれる所以――それは、この呪具の封印と保管業務にあった。