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「あと一分…」
暗がりの部屋の中で唯一明かりとなっているのは私の前にあるパソコンのモニターだ。
日付が変わる一分前、パソコンのモニターには新規にサービスが開始するオンラインゲーム、『グランドファンタジア・オンライン』のクライアントが表示されており、そのゲーム開始のボタンにマウスカーソルを合わせて私はサービスインと同時にゲームを始める為に待機していた。
グランドファンタジア・オンラインはサービスインの前のβテストより、既に情報誌やネットでは相当な話題ともなっており、私がそうやって待機していたのも所謂ログイン戦争となる事が容易に想像できていたからだ。
「…三、二、一!」
その次に来る零を呟くよりも僅かに早く、静かな部屋にマウスのクリック音が何度も鳴る。
パソコンの画面が切り替わり、別の表示に切り替わる。ログインは…できたらしく、キャラクターのクリエイト画面がモニターに映し出されている。
既に先行してアカウントは取得していたが、どうにか無事にログインはできたらしく、私は胸を撫で下ろす。
息を吐いてから画面を見直すとキャラクターのクリエイト画面の中央には注意書きが表示されていた。
"このゲームはVR機能に対応しています。専用の機器を接続し、VR機能を利用しますか?"
「ああ…そうでしたそうでした…」
物々しい見た目のゴーグルをまだ封を開けたばかりの真新しい箱の中から取り出してパソコンに取り付ける。
このゴーグルはグランドファンタジア・オンラインを運営するマトリクスゲームスが独自に開発したヘッドマウントディスプレイで、グランドファンタジア・オンラインのサービスを記念して応募者から抽選に当たった五名にだけ送られたものであり、見事当選した私に送られてきたものには記念すべき一番のシリアルナンバーが振られていた。
ゴーグルのシリアルナンバーを見て少し含み笑いをしてから頭から被るように身に付け、外れないように固定具を取り付けると、いよいよキャラクターのクリエイトが始まる。
自分の分身となるキャラクターに名前を与え、種族や体型と言った設定を調整していく。
自分で言うのもなんだが、私は軽度の引きこもりオタクだ。引きこもり歴自体はそこまで長くは無いが、少なくとも今はまだ社会に復帰するつもりはない。
年齢は既にアラサーの仲間入りも果たしており、数年前まではバリバリと働いていたが、そのせいで心を患い、引きこもりという生き方を選んでいた。
幸い、働いていた時は遊ぶ暇も無かった為に贅沢さえしなければ、しばらく生きていけるだけの貯金は
あり、現在はそれで暮らしている。
選んだ種族は折角のファンタジーものである為、上級魔族を選択し、年齢は設定上の人間換算で十七歳となる八十五歳を選択した。
体型はコンプレックスでしかない自分の体型とは一ミリも重ならない長身痩躯のモデル体型に調整する。
あとは武器以外の装備品を表示せず、外見用装備を表示するという項目のチェックボックスにマークをつけ、ゴーグルの当選者特典のシリアルコードを入力して入手した外観用装備を選択する。
ここで私が選んだのはデモニックドレスという上級魔族専用の外観用装備だ。
デモニックドレスはところどころに宝石を散りばめ、ボディラインを惜しげも無く晒す、煌びやかでありながら妖艶なドレスである。
カラーリングは沢山あったが、その中で取り付け目を引いたのはデモンズレッドと名付けられた扇情的な鮮やかな赤と悪魔を思わせる暗い赤紫色のツートンカラーで纏められたカラーリングで、直感的にこれしかないと感じると、他のカラーパターンを全て見る前に次の項目へとカーソルを進めていた。
これで容姿に関するクリエイト項目は全て終わり、次の画面へと進む。
次に現れたのは戦闘に関わる項目だ。
この場面では初期スキルと基礎能力を設定する事が出来る。
このグランドファンタジアの売りは初期能力を決める時に限られた回数内でのやり直しが効くダイスロール方式だ。
簡単に言えばギャンブル要素が強いものにはなるが、それによって個性も出てくる。優遇されたキャラができる事もあれば不遇な能力に生まれたキャラまで出来てしまうものの、純粋な能力だけでそのキャラの良さが決まるというものではなく、この後に設定するスキルによっては大きな部分では負けていても、一芸に秀でてその分野では優遇されたキャラクターを上回れる可能性も秘めているのだ。
ちなみに、基礎能力のボーナスポイントについては既にβテスト中に有志の検証結果が出ており、十面ダイスを三個振って出た目の合計が基本となるが、それでゾロ目が出た場合は更にもう一度振った出目を足した合計値となる。
やり直しは三回までで、三回やり直せば泣いても笑ってもボーナスポイントはその数値で決定となってしまう。
これはキャラクター作成を取り消しにしても変わらず、次回に作成するキャラクターは必ずそこで決定したボーナスポイントで固定される為、やり直しは利かない様にしてある。
サブアカウントを作成しても認証時に幾重にも重なるチェックでプレイヤーを特定するようで、二キャラ目を作る際は、初回のキャラ作成時に平均以上のボーナスポイントを得たプレイヤーは僅かな増減はありつつも、平凡なポイントしか付与されず、厳選は出来ない様にされている。
高い能力で始めたい、そう願うのは私も同じで、先ずは一投目に期待を寄せる。
画面を転がる白いダイス、出目は3・7・9の合計19。
一度で終わった際の4から29という数字から見れば決して悪くはない数字だが、イマイチパッとはしない。
あと三回はやり直せるが、もし残りの三回でこれより低い数値がでたらどうしようかとも考えたが、この数値ではあまりに平凡だ。
キャラクターの外見設定では既に二時間を費やしており、今現時点でもう寸分違わぬ容姿に戻せる気はしない。
私はゴーグル越しに映るやり直しのボタンへと手を伸ばした。
8!16!
やり直しを二度敢行したが、その出目は最初の19から比べると減ってしまっていた。
一度目のやり直しはかなり低い数値だった為に即座に二度目のやり直しに手を出したが、今度はまさに平凡値。
最後のやり直しはできるが、私の手はそこで一度止まってしまう。
「今終わればまさに平凡オブ平凡…」
そう、見事に平均値という数値を引いてしまったが為に、私は二の足を踏んでしまっていた。
折角容姿も整い、これから自分の分身を愛でていこうと思っていた矢先にこの数字が出てしまった事で、もっといいボーナスポイントをと思う反面、これ以上低い値が出てしまったらどうしようかという不安もあり、直ぐにやり直しに手を伸ばす事が出来ずにいた。
「うーん…、どうしよう…。いや、コーヒーでも飲んでから考えようかな…」
先ずは落ち着いてから決めようと、私はパソコンデスクから立ち上がる。
しかし椅子の引き方が甘かったのか、また机の位置見えていないせいか、机に膝が当たり大きな音を上げて振動する。
「いたた…、あっ…!」
机にぶつけてしまい、よろけてしまった。そしてそれと同時にゴーグル越しに何かが転がる音がする。
下に向いた視線をあげると、三度目のやり直しが決定されており、画面に三つのダイスが転がされていた。
「待っ…!」
もう止められないのはわかっていても、不慮の事故によって振られた賽につい手を伸ばしてしまう。
そして結果が出る前に眼を瞑り、私は止める事のできない結果がせめて少しでもいいものになるよう祈っていた。
ダイスが転がる音が止まる。が、もうやり直しはできない筈なのに再びダイスの転がる音が鳴り出していた。
「…え? …もしかして!」
固く瞑っていた眼を見開いてみると、まだダイスの出目が確定してはいないが、既に三十という数字がボーナスポイントの表示欄に現れていた。
そして加算分のダイスが今まさに出ようとしているが、そちらに視線を移すと、あろうことか既に二つのダイスが十を示している。
「来た!来た来たキタッ!」
最後のダイスが止まった瞬間に、私は周りを気にせずそう叫んでしまう。なんと立て続けの10のゾロ目である。
確率にしてみれば十の六乗分の一、つまり百万分の一の確率で出る好数値だ。そして勿論、ゾロ目という事で三投目のダイスロールが続いて始まる。
三投目の結果は平凡な数字で5、4、8の合計17だが、それでも実に77という平均値の何倍ものボーナスポイントを得てしまった結果に私は満足し、小躍りしてしまっていた。
やり直しのボタンが掠れ文字になり、そのままボーナスポイントの割り振りに移る。
ボーナスポイントの割り振り先である基礎ステータスは筋力・体力・敏捷性・知力・精神力・器用さ・運の七項目に分かれている。
筋力は言わずもがな物理的な攻撃力と防御力に加え、一度に持てるアイテム量と近接武器の装備条件に関わり、体力はキャラクターの耐久力と持久力に関わるステータスどあり、知力と精神力はそれの魔法版と言った所だ。
敏捷性は要するに素早さで、キャラクターの移動速度や回避行動の早さや身のこなしに影響があり、一部の間接攻撃の性能にも影響がある。
器用さも敏捷性の項目と似通う部分はあるが、此方は主に攻撃の正確性や成功率に影響し、また間接攻撃に関わる影響においては此方の方がウエイトが重くなっている。
最後に運に関してだが、此方はアイテムのドロップ率を始めとした、確率が絡む要素において有利になるステータスであり、会心率や成功率、回避率と言った多くの要素に影響が出る。
先ず私はステータスの割り振りを実際に行う前に、自分のキャラクターの基礎ステータスを改めて見直してみる。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
名前 :リリアナ
年齢 :85
性別 :♀
種族 :上級魔族
クラス:未設定
筋力 :16
体力 :17
敏捷性:22
知力 :25
精神力:25
器用さ:18
運 :13(+7)
スキル:豪運
BP:77
SP:1
△ △ △ △ △
初期の基礎ステータスは種族と性別で決まっており、ステータスの平均値は20とされている。
そしてスキルも設定されていなければ未設定という状態になっている筈だ。
「ええと…」
先ず気になったのは本来設定されていない未設定である筈のスキル欄だ。
まだスキルは設定していない為、この部分は未設定と表示されている筈だが、どういう訳か"豪運"というスキルが既に設定されている。
また、それに関連してかわからないが、ボーナスポイントを振り分ける前から運の項目に7ポイント分の補正値が加算されていた。
「これって、多分スキルで補正されてるのよね…?」
兎にも角にも、ある程度予想してはいるが、それを確信に変える為に、私は運の項目にボーナスポイントを37ポイント分割り振り、運の基礎ステータスを50にしてみる。
「うん、やっぱり」
運を試しに50に設定すると、補正値である()の数値は+25に変わっていた。
どうやら割合上昇型のパッシブスキルの様で、この豪運というスキルは基礎ステータスに5割もの補正を受けられるらしい。
運に振ったボーナスポイントを元に戻して改めて能力を振り分ける。
上級魔族という種族は初期ステータスが示す通り、魔法を扱うのに適した種族で、遠距離での戦闘を得意とする反面、近接戦闘はやや苦手と言った特徴だ。
勿論、ボーナスポイントの割り振りで短所を補い弱点を無くす手もあるし、長所を伸ばして磨きをかけるのも手だ。
私はβテストの間に魔法職でプレイしており、その際にしっくりきていた為、魔法職らしい割り振りにするつもりだ。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
名前 :リリアナ
年齢 :85
性別 :♀
種族 :上級魔族
クラス:クラスを選択してください
筋力 :16
体力 :37
敏捷性:32
知力 :45
精神力:45
器用さ:25
運 :23(+12)
スキル:豪運
BP:0
SP:1
△ △ △ △ △
先ずはこんな所だろうか。
魔法職という事で知力と精神力に20ずつ割り振り、残りの37ポイントは体力と敏捷性、器用さと運に割り振っている。
魔法職は装備による防御力補正がどうしても少なくなる為、耐久力に難がある。それを最低限補いつつ、メインとなる回避の能力を向上させる為、敏捷性にもリソースを割いた。
器用さと運は魔法職のデバフや状態異常を付与するスキルに影響があるため、此方にもボーナスポイントを割り振っている。
筋力についてはアイテムを持ち運べる量に影響するのはあるが、これについてはある程度カバーできる方法が魔法職には存在する為、不要として切り捨て、一切のボーナスポイントを割り振っていない。
「レベル1の数値じゃないわね…」
決定した初期ステータス値に惚れ惚れしてしまう。
ボーナスポイントの割り振りが決まれば次はクラス設定だ。
クラスはステータスやスキルによって選択できるものが増えていくのだが、スキルを要するものはスキルを習得してから後々にクラスチェンジが出来る様になる上級クラスである事が多い。
クラスの部分に手をかざすと、現在のステータスで選択可能なクラスが一覧となって表示される。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
クラスを選択してください
・アスラファイター
・デビルマジシャン
・デスプリースト
・ドライアドアーチャー
☆フェンリルグラップラー
☆デモンメイジ
☆グールビショップ
☆エントレンジャー
△ △ △ △ △
表示されたクラスは8つのクラスで下級クラスが4つと、その上位にあたる中級クラスが4つだ。
ファイターとグラップラーについては耐久・回避型の近接職で、アーチャーとレンジャーは弓を扱う遠距離職という事で選択肢から外す。
私に残っている選択肢は攻撃型の魔法職であるマジシャンかメイジ、そして回復と補助型のプリーストかビショップとなる。
勿論、それぞれに更に上位の上級クラスが存在するが、そちらは特定スキルを要求されるクラスであり能力値だけではなれず、また下級クラスと中級クラスの両方がある程度育っている必要がある為、キャラクタークリエイトの時点ではまだ選択できない様になっている。
「βテストの時はデスプリーストだったから、正式版はデビルマジシャンにしてみようかしら」
最初から中級クラスが選べはしたが、私は下級クラスから育成を進める事にした。
中級クラスはレベルが低いうちから強力なスキルを習得できる分、成長も遅い。
加えて燃費も悪く、いきなり育てるには経済的にも辛いクラスだ。
その為、効率よく育成をする場合、先に下級クラスで下地と育成環境を整えてから一気に取り掛かった方が良いとβテスト版で結論が出ており、いきなり中級クラスで始めるのは無知か玄人か、あるいはマゾヒストのどれかとすら言われている。
勿論私もそちらの気は無い為、無難に下級クラスを選んだという次第だ。
「さ、あとはスキルだけど…」
最後に残ったのはスキル選択だ。
SPと表記されているのはスキルポイントの略で、これを消費してスキルを習得する訳になるのだが、此方の数値は多少ランダム性はあるものの、ボーナスポイントが少ない程に初期値が高くなる傾向にあるようで、いわば低ボーナスキャラに対する救済措置に近い。
初期に貰えるスキルポイントはキャラクタークリエイト時に絶対に使い切る必要があり、持ち越すことは出来ない様になっている。
というのも、このキャラクタークリエイト時にのみしか習得出来ないスキルが存在するからだ。
その例の一つが経験値入手量増加というスキルだ。
これは文字通りレベリングにかける時間を大幅に減らせるスキルであり、ここで習得しなければ二度と習得出来ないスキルとされている。
ただし、消費するスキルポイントは10という重めの設定となっており、またボーナスポイントを多く得てしまった私が貰えたスキルポイントでは全く手が届かないスキルとなってしまっている。
初期の能力値がとんでもない事になってしまった分、貰えたスキルポイントはたったの1。
選べるスキルも大して役に立たないものや、マゾヒスト御用達と言わんばかりの制限系スキル、あとは後からキャラクターを育成して習得できるコモンスキル程度のものだ。
ただ実際に予め習得済みに設定されているスキルである豪運の詳細を見るために、習得するスキルを選ぶより先に、そちらへと私は手を伸ばしていた。
豪運:限られた機会をものにした者に与えられる天恵のスキル。運の能力に50%の補正がかかる。TIER2。トリガースキル。
限られた機会、というのは恐らくキャラクタークリエイト時のボーナスポイント設定時にゾロ目を出す事だろう。TIER2というのは第二段階だという事を示しており、恐らくはゾロ目を二度出した事が条件だと考えられる。
問題は説明文の最後にあるトリガースキルという文言だ。
トリガースキルと書かれたスキルはゲーム中の隠し要素における前提条件に指定されたスキルであり、そのスキルを習得していなければ絶対に解禁されることは無い。
大抵は上位スキルの習得条件に指定されている事が殆どで、それ以外ではサブイベントや上位クラスへのクラスチェンジ要件であったりというケースが殆どで、トリガースキルの習得はさほど厳しいものではない。
だがこの豪運は明らかに異質だ。
ゾロ目を一度出すだけでも百分の一という確率でしかなく、たった四回の機会ではそうそう得られはしない。加えて二度も出すならばそれこそ一万分の一でしかなくそうそうお目にかかれないスキルだというにも関わらず、トリガースキルに指定されている。
βテストのキャラクタークリエイト時に強運という豪運の下位のスキルについては既に報告も多く、トリガースキルにも指定されていない事も明らかになっていた。
「…まぁそのうちわかるわよね」
そんな楽観的な独り言を呟きながら、習得するスキルを選びにかかる。
ありふれたスキルを一覧から詳細を確認していくと、リストアップされた数々のスキルの一番最後に、妙にハイライトされたスキルがある事に気が付いた。
アイコンもβテスト時に見慣れたものではなく、報告にも上がっていないスキルである事は直ぐにわかった為、私は早速そのスキルの詳細を見てみる事にした。
選ばれし者:選ばれたのはあなたでした。
「…何これ」
色付きのスキル名という事はレアスキルという事で間違いはないが、効果の説明といった類は一切ない。
当然見た事も無いスキルであり、推測するにこれが豪運スキルをトリガーにしたスキルだと考えられる。
そうだとすると、このスキルは恐らくは魅せスキルの一つで一種のトロフィー的なものだと考えられる。
「どうせ他に役立つスキルもないし…」
折角見つけた隠し要素だ、消費するスキルポイントもたったの1で特に痛む事もない。
むしろ他に誰も持っていないスキルならば優越感にも浸れよう。
他に取れる目ぼしいスキルも無く、"折角だから"、という短絡的な理由で、私は選ばれし者のスキルを指定し、習得のボタンに手を伸ばした。
"このキャラクターで決定しますか? ※注意※ 体型やボーナスポイントの割り振り、習得スキルは今後変更できません!"
全ての項目が決まり、確認の画面が表示される。
容姿は悩みに悩み抜いたし、ボーナスポイントもこれ以上はもう二度と拝めない。
やり直しは利かないといっても思い付く限りの事はした筈だ。
小さく頷いた私は"決定する"のボタンへと手を伸ばす。
再度の確認画面が表示され、もう一度決定するを選択すると、目の前に表示されていた私の分身、リリアナに意識が投影されて視界も彼女のものとなると、目の前には大きな扉が現れる。
『ようこそ!グランドファンタジア・オンラインの世界へ!』
扉が開いてその中へと歩くと、視界がホワイトアウトすると同時にメッセージが目の前に現れ、ホワイトアウトした視界が晴れて別の景色が見える。
扉の先にあったのは小さな浮島に建った神殿で、翼を生やした妙齢の純白のローブに身を包んだ女性がこちらを見つめている。
この女性はグランドファンタジアの世界の守り神という設定のNPC、女神サテラという。
女神サテラは優しく此方に微笑みかけてくると、優しい足取りで歩み寄ってきた。
「初めまして。リリアナ、いえ、選ばれし御子よ。私はサテラ、この世界を守護をする者。守り神といった方がわかりやすいかしら」
「初めまして、女神様」
「あら、直ぐに信じてもらえるなんて嬉しいわ。…実はこの世界にやってきた貴女に頼みたい事があるの。いきなりで申し訳ないのだけれど、話だけでも聞いて貰えないかしら?」
「勿論。…というより、この世界を現地で監視して欲しい、ですよね?」
現れた女神にテンプレではありえない返事をすると、女神は驚いた顔をする。
普通のゲームならNPCは決められたセリフをつらつらと話し、淡々とゲームを進行していくものだが、このゲームの最大の売りは、この様にNPCが此方の言葉を正しく解析し、その時々に合わせて様々なリアクションや受け答えをして、あたかも本当に会話をしてくれ、別世界へとやってきた様に見せてくれる事だ。
「驚いたわ、まるで私の心が読めているみたい。それだったら話は早いわ、私が貴女に頼みたい事はまさにそれ。別にどうしてもらいたいという訳じゃないの、この世界で生きる様々な人々が繁栄し、暮らしていく、貴女はそれを自分もそうして自由に暮らしていきながら見届けてくれればそれで構わないわ」
「わかりました。しがらみがないなら断る理由もありませんから」
「そう、聞き分けが良くて助かるわ。そんな貴女に私から一つ、贈り物よ」
女神サテラが手をかざし、光の珠を掌の上に浮かべる。
その光の珠がゆっくりと此方に近づいて来ると、溶け込む様に私の身体の中へと消えていった。
「はい、オッケー。これで死んでも生き返られる様になったわ。ただその代わり、死ぬ前は苦しかったり痛かったりはするけどね」
「…え?」
ゲームなのに痛みがある…?
いや、確かに意識を投影し、ゲームの世界に実際に入り込んだ様な感覚でプレイできるのもこのゲームの売りだった筈だけれど、βテスト中にそんな仕様は無く、剣で斬られても、炎の魔法で火炙りにされても体力が無くなった所で目の前が暗転して復活地点で眼を覚ますだけだった。
サービスイン前にあった動画サイトでの公式放送にそんな仕様変更の情報も無かった筈だし、ネットの掲示板でもそんな噂は一切流れてこなかった。
サイレント仕様変更、という事だろうか…。正直、サテラの言葉を聞いて私はこのグランドファンタジア・オンラインを続けられるか悩んでしまう。
か弱い現代っ子が痛みや苦しみがあるゲームを続けられるのか、そもそも辛かったり苦しかったりを避け、忘れる為にゲームをしている筈なのだけれど…。
「…っ。あ、怖がらせちゃったかしら? 安心して安心して!死にそうだと思ったら諦めたいって考えただけで痛かったりとかしないで復活できるし、貴女は魔法使いでしょ? 前に出ないで近付かれる前に倒しちゃえば気にならないでしょ!」
女神サテラは訝しむ私に気付き、少し慌てた様に説得しようとしてくる。
女神サテラもあくまでプログラム、そう言うように設定されているだけだ。
ただ、わざわざそういったセリフを言わせているという事は、ダメージを受ければ苦痛を感じるという点において、事実だとも判断できる。
「と、とにかく!貴女なら大丈夫!なにせ私の加護を貰ったんだから!この世界の守護神、サテラを信じて頂戴!…ね?」
正直不安だ…。
加護と言っても、出来ることは復活とリセットだけで他には何も無い。他にあるのは今のところ、運を寄せる豪運のスキルと他のプレイヤーより高い初期能力だけ。
そもそも辛く苦しい現実から逃避するためにゲームを始めた筈なのに、何が悲しくでゲームの中でまで苦痛を味わわないといけないというのか甚だ滑稽な話だ。
「ほら、早くそこの扉!潜ったらゲームが始まるから、ね?」
「…」
幾らなんでも怪しい。
少なくとも、私は女神サテラの挙動を不審がってはいるが、ゲームから退会するとはまだ言っていない。
ログアウトするだけならば普通は一度確認が入るくらいはあるだろうが、この様な警告にも似た物言いはしないだろう。
女神サテラはあからさまな作り笑いと猫撫で声でゲームスタートを促しており、何が何でもゲームを始めさせたいらしい。
「…いや、やっぱり今日は気が…」
「つべこべ言ってないで早くっ…!」
「えっ、消え…」
扉の前に立っていたサテラの姿が光の塵を残して眼前から消えると、突然背中に手の感触を感じる。
「じゃ、行ってらっしゃ〜い!」
「きゃあっ!?」
女神サテラの力は見た目に反してかなり強く、背中を押されて前のめりになると、頭から飛び込んでしまう。
白い光に包まれた空間に飛び込んだ私の目の前には一瞬、女神サテラの微笑みが視界に映る。
「ふふ、気をつけて。行ってらっしゃい」
光の中に浮かび上がる彼女が優しい声でそう呟くと、光の先に吸い込まれるように私の意識は途切れていった。