第7章 花の舞-その5
電柱に寄りかかりながら立ち上がる花水木を、よしあきは何も言わず見つめていた。フラフラになり、何度も崩れ落ちそうになりながら、ようやく花水木が立ち上がると、よしあきはため息交じりに口を開いた。
「そのまま寝てろ、て言ったろ?」
「悪いな……俺も、破門されるかどうかの、瀬戸際なんだよ」
「そうかよ」
もはや感覚のなくなった花水木の左手には、まだ巾着袋がぶら下がっていた。花水木は痛みをこらえ、渾身の力で左手を挙げると、巾着袋を咥えて開き、右手を突っ込んで扇子を取り出した。
「なんだよ、暑いから扇子で扇ぐのか?」
「……お前さあ」
花水木の左手から巾着袋が落ちた。
「早い話、ウニに嫉妬して……俺にも嫉妬してたのか?」
花水木の問いかけに、よしあきは少しの間沈黙した。それが、何よりも雄弁な答えだった。
「……そうだよ」
十数秒後、よしあきが絞り出すような声で答えた。
「ウニは……まだいいさ。あいつが小説を書いてるのはずっと前からだ」
だけどお前は、とよしあきが花水木を睨む。
「お前は、俺と同じ読み専だった。それなのに……それなのにお前は、『つこさん。』に注目されて、期待されていた!」
「そうか」
ああ届いた、と花水木は安堵した。ギリギリ間に合った。よしあきの本当の想い、花水木がここでケリをつけなければならないもの、それにようやく向き合えた、と思った。
花水木はかすかに笑うと、両足を揃え、つり腰になって背筋を伸ばし、両手を揃えて足の付け根に置いた。
「お前……書き手が、そんなにうらやましかったのか?」
「だったら、何だっていうんだよ」
「師匠に、言われたことがある」
花水木は大きく息を吸い、乱れた呼吸を整えた。
「この世には、書き手なんて、いないんだってよ」
「は?」
あれはいつだっただろうか、と花水木は記憶をたどった。たぶん山に入って、半年も経っていないころだった。
「美しく咲く花を見て、それを称える詩を書いたとして、さてそれは本当に書いた者が生み出したものであろうか」
花水木が何かの拍子で口にした「読み専」という言葉を聞いて、師匠の由房はそんなことを言った。
師匠が何を言わんとしているかわかりかねた花水木は、首をかしげて唸るだけだった。そんな花水木を見て、由房は口元を扇子で隠して笑う。
「花自身が美しさを語っているのではないかな? 詩を書いた者は、自ら美を生み出したわけではなく、単にそれを読み取り言葉にしただけとは言えぬか?」
「まあ……そうかもしれないですね」
「お前は "書き手" を、新たに何かを生み出す天才のように考えていないか? 決して新たに何かを生み出してはおらん。そこにあるものを読み取り、言葉にしただけだ。お前が言う "読み専" が小説を読んで感想を書くのと、そう変わらぬとは思わぬか?」
「……すいません、俺には詭弁に聞こえます」
「やれやれ、わが弟子は手ごわいのう」
そんな会話のことは今の今まで忘れていた。だが「書き手」と「読み専」にこだわっているよしあきを見て、なぜだかふと思い出した。
「言葉ではないものに感動して書いたものは創作で、言葉で書かれたものに感動して書いたものは感想文。だけど、感想文だって立派な言葉。なら "書き手" と "読み専" に違いなんかない、だとさ」
それにな、と花水木は扇子を持った右手をゆっくりと上げた。
「ウニは言ってたよ。お前が書いた感想を読むと励みになる。お前に感想をもらえないと、今回はダメだったのかとすごく落ち込む、て」
上げた右手をピタリと止め、扇子の先でよしあきを差す。
「少なくともウニにとって、お前は、立派な書き手だったんだよ」
「……詭弁にしか聞こえん」
「そうかよ……ちぇっ、これで言いくるめられてくれれば楽に済んだのに」
花水木はニヤリと笑う。
「じゃ、仕方ねえ。最初の予定通り、叩きのめしてやるよ!」




