第7章 花の舞-その3
そのころ、Y市では。
殺される、殺される、殺される。
そんな恐怖に追い立てられた白イ卵が、人気のない住宅街を走り続けていた。
逃げるんだ、あの男から逃げるんだ、そうでないとまた殺されてしまう。
「ぐっ……」
ごぼり、と口から血があふれ、白イ卵はむせこんだ。間咲正樹の蹴りと拳は、白イ卵のあばら内臓をひどく痛めていた。
「いやだ……死にたくない、いやだ……いやだ……」
右手で口を拭おうとして、折れていることを思い出した。薬のおかげで痛みはないが、固定しないとプラプラとして走りにくい。
「逃げ……なきゃ……」
服をちぎって紐にして縛り、とりあえず腕を固定すると、白イ卵はまた走り出した。
負けたら殺される。
押さえつけられ、腹をえぐられ、屈辱と痛みにまみれて殺される。
──大丈夫、君の味方だよ。
そう言って近づいてきたいくつもの手が、白イ卵をがんじがらめにした。痛くて、苦しくて、泣いて許しを乞うても誰も助けくれず、いっそ死んでしまいたいと何度も思った。
だが、死にたくなかった。生きていたかった。
「なら強くなりなさい」
かわかみれい が白イ卵の前に現れたのは、たまたまだった。「仕事」でやってきた彼女は、何度も白イ卵を殺した男を一撃で屠り、助けを求めた白イ卵をさらってくれた。
「殺されるぐらいなら、殺してやるといい」
自由になった白イ卵は、かわかみれい の指導でナイフの扱いを覚えた。死に物狂いで覚えたおかげで、自分を殺そうとするやつを返り討ちにできる力を手に入れた。
そのはずだったのに。
「なんだよ、なんだよ、あいつはなんだよぉ!」
怖かった。恐ろしかった。強くなったはずの白イ卵を圧倒し、追い詰めた間咲正樹。あれはダメだ、絶対に勝てない、と白イ卵は恐怖に駆られて逃げた。
殺される。
捕まったら殺される。
腹をえぐられて、ボロボロになるまで嬲られて、ズタズタにされて殺される。
竦む足をなんとか動かし、白イ卵はとにかく遠くへ行こうと走り続けた。
奇妙なほど誰ともすれ違わない。まるで無人の街で鬼に追われているような気分だった。うなじのあたりがヒリヒリとして、このまま進めばとんでもない化け物に出会うような、そんな不安を感じたとき。
行く手に、人影が見えた。
夜の闇にぼうっと浮かぶ人影は、停めた車にもたれかかり、何かを食べていた。誰かはわからない、だが、遠目に見ただけで白イ卵は本能的な恐怖を感じた。
「う……うぐ……」
立ち止まった白イ卵は、込み上げてきた血を吐き出し、咳き込んだ。するとその人影が白イ卵に気づき、ゆっくりと姿勢を正して白イ卵の前に立ちふさがった。
「やれやれ。間咲くん、結局取り逃がしてるのか」
高齢の男性の声だった。初めて聞く声だった。それなのに、その声を聞いただけで白イ卵の魂が震え上がった。
誰だよ、今度は誰だよ!?
声の主はゆったりとした動作で白イ卵に近づいてきた。ただ歩いているだけの姿に一切の無駄がなく、その人影の周囲数メートルは、どんな方向から飛び込んでも捕まってしまいそうな、そんな気がした。
まるで生きている結界。彼がそこにいるだけで、誰もここを通る事はできない。白イ卵にはその男が、間咲正樹がかわいく思えるほどの、化物に見えた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
引き返せば追ってくる間咲正樹に出くわす。だが進めばこの人影が立ちふさがる。
どちらへ行けばいい──絶体絶命のピンチに、白イ卵はごくりと息を呑んだ。




