第7章 花の舞-その2
通話を切り、パタン、と折りたたんだ携帯電話を、花水木は左手首に巻きつけていた巾着袋に放り込んだ。左手に巻いたハンカチはすでに血で真っ赤に染まっており、ポタリ、ポタリと血が滴っている。
「おい、お前……」
花水木の左手を見たよしあきが、ギョッとした顔になった。
「あー、これ? いや、なんかすげえ眠たくてよ。寝るわけにいかないから、穴開けたんだわ」
花水木の言葉に、よしあきがちらりと振り向いて「離れてください」と言う。よしあきの後ろにいた女性が「はーい」と返事をして、ぴょこんと顔を見せてにこりと笑う。
「また会えたね、花水木くん」
「そーっすね。一時間ぶりぐらいっすかね」
ズキン、ズキンと痛みが走り、途切れそうな花水木の意識を叩き起こし続ける。アドレナリンが痛みを和らげる、なんて描写が小説や漫画にはあるが、「あれ嘘だな」と花水木は実感していた。
痛い。
ものすごく、痛い。
気を緩めたら痛みで意識を持っていかれる。一度うずくまったらもう二度と立ち上がれない。それぐらい痛い。
「おい、『つこさん。』様には、手を出すなよ?」
「いい忠犬っぷりじゃねえか、よしあき。さすが犬好きだな」
「何とでも言え」
一触即発の空気の中、至近距離でにらみ合う花水木とよしあき。通りかかった人が驚いて「なに、修羅場?」「二股現場?」なんて言っているが、二人に耳には入っていなかった。
「ウニは、助けた」
数十秒のにらみ合いの後、花水木がつぶやいた言葉に、よしあきは軽く目を見張った。
「そうかよ。お疲れさん」
「あとは、お前だけだ」
「どうしろってんだ? 土下座して謝れ、とでも?」
「それはウニに対してやれ」
「じゃお前はどうするんだ?」
「決まってる」
花水木の声が一段低くなった。
「問答無用で、叩きのめしてやるよ」
「そうかよ」
二人が同時に腰を落とした。お互いに拳を構え、間合いギリギリのところまで近づいてピタリと止まる。
「いくぜ、よしあき!」
「返り討ちにしてやるよ!」
花水木とよしあきの腕が同時に動いた。
よしあきの拳より早く、花水木の拳がよしあきの顔をとらえる。
大振りで素人然としたよしあきの動きに対し、花水木の動きは鋭く無駄がない。だが花水木は、慣れない着物姿であり、しかも薬で体が思うように動かず、拳にはまるで力が入らなかった。
「どうした花水木、叩きのめすんじゃねえのかよ!」
「ぐっ……」
よしあきは花水木の拳を受けてもダメージはなく、逆に花水木を殴り返してよろけさせた。山では最弱組の花水木だが、間咲正樹に二年もしごかれたのだ、万全の状態であれば圧勝できるはず。だが意識を保っているのがやっとの状態では、まともに戦うことすら難しかった。
「そういや、薬入りのお茶をがぶ飲みしてたなあ! 立っているのがやっとじゃねえのか?」
「うる……せえ……素人相手だ、これぐらいのハンデ、ちょうどいいんだよ!」
「言ってくれるじゃねえか!」
何とか踏ん張りローキックを放った花水木だが、これも難なくかわされた。
「ちっくしょお……」
「『つこさん。』様。今のうちに行ってください」
花水木がフラフラなのを見て、よしあきは『つこさん。』にそう言った。
「ふふ。そうもいかないでしょ」
だが『つこさん。』は首を振り、ペットボトルを片手にガードレールに腰かけた。
「私が首謀者だしね。せめてこれぐらいは見届けないと」
「ですが……」
「いいのいいの。大丈夫だから」
『つこさん。』はひらひらと手を振りながら、ペットボトルに口をつけた。
「よそ見、してるんじゃねえよ」
フラフラになりながら花水木が立ち上がった。よしあきは『つこさん。』に「なら気をつけてください」と言い、花水木に向き直って拳を構えた。
「それに」
再びにらみ合う花水木とよしあき。そんな二人を見て、『つこさん。』は、こくり、とお茶を飲み、目を細めて笑う。
「こんなアツイ青春物、見逃す手はないと思うのよね♪」




