第7章 花の舞-その1
何か事故があったのか、最寄りのH駅へ向かう道はひどく混んでいて、容易には進めそうになかった。
「うーん、人混み、キライだなあ」
もはや壁となっている人の群れを見て、『つこさん。』はくるりと方向を変えた。
「よしあきくん、隣駅まで歩きましょ」
「あ、はい」
人混みを離れ、『つこさん。』はゆっくりと歩き出した。なんだか物騒なことになっているというのに、『つこさん。』に慌てた様子はまるでない。むしろ楽しそうに、鼻歌交じりに楽しそうに歩いて行く姿を見て、やっぱこの人はすげえな、とよしあきは感心する。
「残念だったねー、花水木くんとは、もうちょっとゆっくり話ができるかと思ったのに」
「そうっすね」
「そういえば、よしあきくんは今日どうするの? 花水木くんと同じホテルなんでしょ?」
「キャンセルして、別のホテル取ってますよ」
「そっかー。まあ顔合わせづらいよね」
『つこさん。』は足を止めると、くるん、と振り向いてよしあきを見つめた。
「仲良しのお友達だったんでしょ? 大丈夫?」
「……覚悟の上っすよ」
「そっか。ならいいよ」
『つこさん。』は、くるん、と正面を向き、またゆっくりと歩き始めた。
そう、覚悟の上だ。後悔はしていない、とよしあきはうなずいた。
第一、いまさら後悔したところでやり直せるわけでもない。よしあきは、親友である伊賀海栗を、そして花水木を敵に売った。悩まなかったといえば嘘になる。しかし、すべては「いまさら」だ。
「よしあきくん?」
『つこさん。』の声に、よしあきは我に返った。一歩前を歩いていた『つこさん。』が、不思議そうによしあきを見ていた。
「どうしたの? 眉間にふかーいシワ、できてるよ?」
「あ、すいません、ちょっと考え事を……」
よしあきが謝ると、『つこさん。』は「ふーん」とわずかに首を傾げ、にこりと笑った。
「ひょっとして、小説の構想練ってる?」
「は? いや、俺は読み専っすよ?」
「えー、どうかなー。よしあきくんも書けそうな気がするけどなあ」
「いやいや、無理っすよ」
「ふふふ、ヨミ専の私には、ピピっとくるものがあるのだよ」
『つこさん。』はくすくす笑いながら歩き出した。
「はあ……そうなんすか」
戸惑うよしあきをよそに、『つこさん。』はまた鼻歌交じりに歩いていく。ほんといつも楽しそうな人だな、と思わず笑みを浮かべたよしあきだが、ふと『つこさん。』が言った「よみせん」という言葉が気にかかった。
読み専。
自分では小説を書かず、読むだけの人。Web小説界隈でよく使われる言葉だ。だが、自分が発した言葉と『つこさん。』が発した言葉とでは、なんとなくニュアンスが違うような気がした。
「喉乾いちゃった。ちょっと飲み物買ってくるね」
聞いてみようかとよしあきが考えていると、『つこさん。』が立ち止まり、コンビニを指差してそう言った。
「よしあきくんは?」
「いや、俺はいいっす」
「じゃ、ちょっと待っててね」
「はーい」
まあいいか、大したことではないしと、コンビニに入っていく『つこさん。』を見送り、よしあきは他の人の邪魔にならないよう、入口から少し離れたところへ移動した。
「俺が、小説ねえ」
書けるわけねえだろ、とよしあきは思う。
書き手は選ばれた人、誰もがなれるものじゃない。感想を書くのだって苦労している自分に書けるわけがない。
「俺は、ウニとは違うんだよ」
ちっ、と舌打ちしつつ、時間を確認しようとスマホを取り出すと、まるでそれを見計らったかのように、着信があった。
画面に表示されたのは「花水木」の三文字。
よしあきは眉をひそめ、また着信拒否しようかと思ったが、ふと何かを感じて顔を上げ息を飲んだ。
駅へ向かう道、およそ五十メートルほど先に、着物姿の女性がいた。
いや、女性じゃない。それが誰かは、教えてもらわなくてもわかる。そいつは携帯を耳に当て、じっとこちらを見ていた。
「お出ましか」
よしあきは「へへっ」と笑うと、スマホの画面をタップし耳に当てた。
『よう、よしあき』
電話越しに、いつもと変わらない花水木の声が聞こえて来た。
『お前、今、どこにいるんだ?』
「さてね……教えられないな」
「よしあきくん?」
電話に答えたところで『つこさん。』が戻って来た。よしあきは軽く会釈をし、そのまま数歩前に出て、花水木の視線から『つこさん。』を遮るように道の真ん中に立った。
『そっか……で、聞きたいんだけど。『つこさん。』はまだ一緒か?』
「それも教えられないな」
『なんだよ、ケチだなあ』
クククッ、という花水木の笑い声が耳元で響く。ああやべえなこれ、とよしあきの背中に冷や汗が流れた。
マジギレしてやがる。
『じゃあ、こっちから行くから。十数える間だけ、待っててくれねえかな?』
「いやー、こっちも忙しいんだけどな」
『いーち、にーい……』
よしあきの言葉など無視して花水木が数え始める。
道の先で、着物姿の女性が動き出す。ゆっくりと、確実に、一歩ずつ女性が……花水木が近づいて来て。
「じゅう」
数え終わると同時に、よしあきと『つこさん。』のすぐ前で立ち止まった。




