第6章 激突-その5
机に突っ伏して悶え苦しんでいた伊賀海栗が静かになった。
「ああ……伊賀海栗さまぁ……」
伊賀海栗の背中にしがみつき、何やらごそごそと手を動かしていた白イ卵が、感極まった声を上げて体を震わせた。
そして十数秒後、ふう、と大きく息をついて伊賀海栗から離れた。
「YUHONASIN ?」
余韻に浸りつつ、まずは仮想人格の名を呼んだが、返事はなかった。続いて「伊賀海栗さま?」と呼びかけたが、やはり返事はない。
「うふふ……」
完全に気を失っているとわかり、白イ卵は笑いながら立ち上がると、乱れた服装を整えた。
「ああ、素敵。この歪んだ顔、たまりませんわぁ」
苦悶の表情で眠っている伊賀海栗を見て、白イ卵は蕩けるような顔になった。美しい女性が浮かべる苦悶の表情とは、どうしてこうもソソルのだろうか。そしてそれを永遠に自分のものにできるというのは、なんという喜びだろうか。
「もういいですのよね? もう、私のものにしちゃってもいいのですよね?」
スマホを取り出し確認したが、よしあき や かわかみれい からの連絡はない。
「もう少し待ちましょうか……」
コチ、コチ、とメトロノームがリズムを刻む。すでに夜八時を過ぎている。いつまで待とうか。一時間? 三十分? 五分? と考えているうちに白イ卵はウズウズしてきて、いてもたってもいられなくなった。
「ああもう、ああもう! 待てませんわ、待てませんわ! そうよ、準備をしましょう!」
白イ卵は飛び上がるように立ち上がると、まずは伊賀海栗のベッドメイクをした。毛布を剥ぎ取り、真新しい白いシーツに取り替えて、枕を綺麗に整える。
そして、机で突っ伏している伊賀海栗を軽々と抱き上げ、いわゆるお姫様抱っこでベッドへ運ぶと、静かに丁寧にベッドへ寝かせた。
「すてき♪」
真っ白なシーツに横たわる、まさに眠れる美女。こんな美女が、モヒカン頭で、苦しげな表情で横たわっている姿は、もはや存在するだけで罪と言っていい美しさ。ただ、くたびれたスウェット姿なのが惜しい。こんなことなら素敵なネグリジェを用意しておけばよかった、そうしたらより完璧だったのに、と白イ卵は少し残念に思う。
それに枕元に飾る花がない。
「先生も、事前に言っておいてくだされば用意できましたのに!」
仕方がない、と白イ卵は、部屋の隅に転がっていたスケブを広げ、色鉛筆を走らせた。
描いたのは、スノードロップ。またの名を待雪草。
白く可愛らしい花だが、花言葉は「あなたの死を望みます」。伊賀海栗の枕元に飾る花として、これ以上のものはなかった。
「うん、完璧♪」
描き終えた花を伊賀海栗の枕元に飾り、準備が全て整った。しかしまだ連絡がない。
「まだ? ねえ……まだ……?」
ぶるぶると体を震わせながら、白イ卵は伊賀海栗を見つめる。
いつまで待てばいい?
いつになったら伊賀海栗を自分のものにしていい?
何度もスマホを見返しながら、連絡を待つ。
だが、ない。
連絡が、ない。
五分待った。一分待った。十秒待った。一秒待った。
待った、待った、待った、待った……もう十分待った!
「待った、待った! 私は待った! もうOK! もう大丈夫!」
白イ卵は悲鳴のような声を上げると、カバンから中華包丁を取り出した。
包んでいた布巾がハラリと落ちた。研いだばかりの鋭い刃が鈍く光り、白イ卵は果てる寸前まで昂ぶった。
「お腹を割って、余分なものを取り出して……そうよ、海栗はそうやって中身を食べるのよね!」
興奮のあまり白イ卵の声が大きくなった。歪んだ表情で眠っていた伊賀海栗が小さくうめき、苦しそうに身じろぎした。
その姿を見た白イ卵は、「はうっ!」と声を上げて体を震わせた。
「いい……ステキ……伊賀海栗さま……大好き……」
「う……あ……しろ……ちゃん……」
「はい、ここに。ここにいますわよ、伊賀海栗さまぁ!」
白イ卵は伊賀海栗のうわごとに歓喜の声で答えると、包丁を両手で持ち、高々と振りかぶった。
「永遠に……永遠に、私のものになってくださいませ、伊賀海栗さま!」
白イ卵は叫び、輝くような笑顔を浮かべると。
振りかぶった包丁を、伊賀海栗めがけて思い切り振り下ろした。




