第6章 激突-その3
花水木が脱出したのを見て、暮伊豆はやれやれと安堵した。
後は、時間を稼いでここから逃げるのみ。もっともそれが至難の業だが、なんとかやるしかない。
「あんまり若者をイジメるんじゃねえよ」
「楽しみにしていた分、期待外れで落胆してしまいまして」
「で、八つ当たりってか? 少しは落ち着こうぜ、主婦だろ?」
暮伊豆のおどけた口調に、マスターは肩をすくめた。
「主婦は主婦で、色々ストレスあるんですよ」
「そこはほれ、旦那にかわいがってもらって発散する、てことで」
「……そういう品のない言葉は」
ギンッ、とマスターの殺気が膨れ上がった。
「冗談であっても、キライなんですよっ!」
「カマトトぶってるんじゃねえよっ!」
音もなく突進してきたマスターに、暮伊豆は渾身の力を込めて警棒を振り下ろした。
だが、当たる直前に、マスターの姿がかき消すように見えなくなる。
「くそっ……たれがあっ!」
右か、左か。
秒コンマ以下の判断で暮伊豆が出した結論は、右。
ガツン、という衝撃とともに、頸動脈を寸分たがわず狙ったアイスピックをかろうじて止めた。
「ここから本気、てかあ!?」
暮伊豆の声に、マスターは薄く笑う。
ギリギリと押し合いながら暮伊豆はタイミングを計る。スピードではまず勝てない。だが、パワー勝負となれば話は別だ。
「受けて立つぜ、かわかみれい!」
「えらそうに」
マスター、かわかみれい が笑う。
「あなた、私に勝てたことありましたか?」
「ねえな!」
ここだ、と暮伊豆が絶妙のタイミングで力を抜いた。
予想はしていた かわかみれい だが、バランスを崩された。それは、常人であればバランスを崩したとは言えないほんの些細なもの。だが、頂点で競い合う二人にとっては、決して些細なものではなかった。
「ふんっ!」
引くと同時に暮伊豆の体がその場で一回転した。上から下へ、叩きつけるように放たれた暮伊豆の拳が、バランスを崩した かわかみれい をとらえる。
そのまま、渾身の力で振り抜いた。
拳がヒットし、かわかみれい の体が床に叩きつけられた。トドメとばかりに第二撃、全体重を乗せた膝蹴りをお見舞いしたが、これは寸前でかわされた。
ドゴォン、と大きな音を立てて、暮伊豆の膝が床を穿つ。
かわかみれい はアイスピックを投げて暮伊豆をけん制して距離を取ると、トン、トトン、と軽やかなリズムで立ち上がった。
「だけどお前だって、俺を負かせたことはないだろうが」
「ふふ、そうでしたね」
かわかみれい が小さく笑い、ふう、と息をつく。
「どうした、かわかみれい。もう息切れか? 主婦業が忙しくてなまったか?」
「まさか……と言いたいところですが。どうやらそのようですね」
かわかみれい は、暮伊豆の拳がヒットした肩を回した。まともに直撃すれば肩を砕いたはずなのにと、暮伊豆は小さく舌打ちする。おそらくインパクトの瞬間に体を回し、力を逃がしたのだろう。
「それにしても、あなたに一撃入れられるとは」
「こちとらまだ現役なんでね。半引退の誰かさんとは違うんだよ」
「なるほど。さすが、と言いたいところですが……認めたくない事実を突きつけられると、心底ムカつくものですね」
「そりゃよかった。せいぜいムカついてくれ。ザマァ、て笑ってやるよ」
「それはさらにムカつきますねえ」
かわかみれいの呼吸が整った。
「現役復帰に向けてリハビリと行きましょうか。お付き合いいただきますよ、暮伊豆」
「ぬかせ」
暮伊豆はサングラスを外し、警棒を構えた。
「力の限界を感じて、引退を決意させてやるよ」




