第1章 下山-その4
会って三秒で、伊賀海栗に爆笑された。
「あはははははっ! すげー、カワイイ! なんだよそれ、あはははっ……お、お腹いたい……」
「お前なあ……遠路はるばる見舞いに来た友人への態度が、それか」
「あー、ごめんごめん」
花水木の抗議に伊賀海栗は笑うのをやめたが、目が合うなり再び「ぷっ」と吹き出した。
「あー、だめだ。笑える。あの花水木が……茶髪にピアスの悪ガキが……あははははっ!」
ああもう好きにしやがれ、と花水木は椅子に座った。
伊賀海栗の頬はげっそりとこけ、目の下にはクマがくっきりと浮かんでいた。快活でややガサツ、「おめー男だろ」「ざけんなこの胸が見えねえか」なんて軽口をたたき合う男女の壁を超えた悪友が、あきらかに衰弱していた。その姿に花水木は衝撃を受けていたのだが、笑い転げているのを見て少し安心した。
「そういやウニ。彼氏できたんだって?」
「なんだ、よしあきに聞いたのか? そうなんだよ、私にもついに春が来たんだよ!」
「そりゃよかったな……で、そのオレンジのモヒカン頭は、彼氏の趣味か?」
「あー、これ? いや、ちょっとパンクな生き方に憧れて……」
学生の時から「ヒッピーに憧れて」「勇者に憧れて」「悪役令嬢に憧れて」「理系女子に憧れて」なんて言い、そのたびにイメチェンをしてきた伊賀海栗。何が彼女を駆り立てるのか知らないが、今はパンクがトレンドらしい。
「彼氏はなんも言わんのか?」
「バレたらフラれるかもなー。どうしよう?」
「んじゃあ、健気な新妻にでも憧れたらどうだ?」
「うーん、花水木見たら、ツンデレ女子高生に憧れてきたからなー。そっちじゃダメかな?」
「お前の彼氏の趣味なんぞ、知らん」
「はい、それ俺の大好物です! 花水木と伊賀海栗、両手に花してみたいです!」
「黙れよしあき。しまいにゃ踏むぞ」
「最高のご褒美です!」
こいつは、とあきれた花水木だが、すぐに笑顔を浮かべた。
懐かしい空気だ。学生の時はこうして三人集まり、どうでもいいことを言い合って笑っていた。三年経って、それぞれ別の道を行き、別の出会いを経験して、それでもまたかつてと同じ空気をまとえることが、なんだかうれしかった。
「さて、せっかく来たんだ。お前のトラブルのこと、ちょっと聞かせろ」
「ん? ……そうだな、わざわざ来てくれたんだしな」
きっかけは、WEBへ投稿した小説への感想だった。
学生の頃から趣味で小説を書いてWEBサイトへ投稿していた伊賀海栗だが、一年ほど前、自分でも「ヤバイかな」と思う題材の小説を投稿した。
その小説への感想欄は、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。ただ、ほとんどは好意的な意見もしくは建設的な批判であり、誹謗中傷の類はほとんどなかった。
「ちょっと疲れたけど世界が広がったかな、て前向きに考えてたんだけどね」
ところが、半年ほど経った時から状況が一変した。
どう読んでも悪意しか感じない、上から目線の鼻持ちならない感想が投稿された。放っておけばいいものを、伊賀海栗はカッと来て反論してしまった。反論が反論を呼び感想欄は炎上、他の作品にまで飛び火し、やむなくそのサイトを撤退した。しかし、複数のユーザーが別のサイトにまで追いかけて来て、ついにはすべてのサイトが誹謗中傷であふれるようになったという。
「やめようと、思ったんだけどね。やっぱ、小説書くのが楽しくてさぁ……」
「だよなあ、楽しいよなあ、あれ」
よしあきが腕を組んでうなずいた。「おい」と花水木はよしあきをたしなめたが、伊賀海栗は「いいんだよ」と笑った。
「でもまあ、こんなになっちゃったし」
伊賀海栗は左手首に巻かれた包帯に視線を落とした。
「やっぱ一度やめるよ。ネットも当分は遮断だ。彼にも……心配かけるしね」
「……ネットのない生活も、いいもんだぜ」
「お、経験者の言葉は重みがあるねえ」
やつれた顔に落ち着いた笑顔を浮かべて、伊賀海栗が花水木を見つめた。それを見て花水木は「今すぐに親に連絡、てこともないかな」と思う。
「そうだな、当分ネットのない生活をして……それをネタにまた新作書くか」
「書くんかい」
「だって仕方ないだろう、楽しいんだから」
「まあ、楽しいならいいけどよ」
危ういところはあるけど、まあ大丈夫かな。
──そんな風に判断したことを、花水木は翌日に後悔することになった。