第5章 死地-その8
「俺が……書いた、小説?」
「そ。書いてるんでしょ? 三年前、康典さんの感想欄を炎上させて、彼を死に追い込んだ、その顛末を」
康典。
三年前、花水木が感想欄を炎上させ、その後パワハラが原因で自殺した書き手。その書き手の名を、そして花水木が感想欄を炎上させたことを、『つこさん。』はなぜ知っているのか?
そして、どこまで知られているのか?
「その顔。ふふ、やっぱり書いてるのね」
「いや……違う、俺は……そんなの……」
「嘘をついてもだーめ。私、そういうのわかっちゃうんだから」
花水木の頭がぐらぐらする。体がふわふわと浮いたような感じがして、思うように動かない。おかしい、何かおかしい、と花水木の脳裏の片隅で警鐘が鳴り出した。
「私もね、康典さんはフォローしてたの。でも炎上しちゃって、いなくなっちゃったでしょ? あーあ、残念、て思ってたのよ」
でもね、と『つこさん。』が花水木に熱い視線を送りながら、言葉をつづける。
「炎上のきっかけとなった投稿、すごくよく覚えてたの。その内容になぜか魅力を感じたの。この人がいつか小説を書いたら絶対読んでみたいと思って、ずーっと探してたわ」
『つこさん。』の言葉が、花水木の脳裏でワンワンと鳴り響いた。言葉は聞き取れるのに、意味が入ってこない。
「伊賀海栗さんのお友達だ、て知った時は驚いたわ。やっと見つけた、て本当に踊っちゃったのよ?」
「お……俺は、書き手じゃねえ。小説なんて、書いてねえ」
「うーそ。あなたは絶対書いてる。だってあの感想、ヨミ専のものじゃない。あなたは書き手。選ばれた人。だから、小説を書いて提供する義務があるの」
「む……無茶苦茶、言うな……」
だがそれはかつて花水木も考えていたこと……そう考えかけて、意識がぼやけた。
花水木の思考がまとまらない。体から力が抜けていく。その時になってようやく、花水木は一服盛られたのではと思い当たった。
「て、てめえ……薬……を……?」
「遅いんですよ」
花水木の絞り出すような声に、マスターが見下した口調で答えた。
「敵地で、敵が出した飲み物に口をつけるなんて、ありえません。張り合いなさ過ぎて、戦う気も失せました」
「ふふ、お山の修行者って、大したことないんだねえ」
「お、お前……なんで、山のこと……を……」
「さあ、なんでかしらねー」
朦朧とする花水木の頭を、マスターの手がつかんだ。
そして、そのまま思い切り、花水木の頭をカウンターに叩きつけた。
「ぐあっ!」
「約束なさい。あなたが書いたものを『つこさん。』に出すと。それで見逃してあげます」
「もー、かわかみちゃん、優しくしてあげてよ」
「優しくしてますよ。いつもの私なら、ここで腕を折ってます」
マスターはアイスピックで刺し止められた花水木の右腕を指差した。「それもそっか」と『つこさん。』はクスクス笑う。
「ほら花水木くん、お返事は?」
「ち、ちく……しょう……」
「実力もないのにノコノコやってきた君が悪いんです。せめて私が戦う気になる実力をつけてから来なさい」
テレビから伊賀海栗の絶叫が聞こえ、そのまま静かになった。何が起こってるのか気にはなったが、体に力が入らずマスターの手を押しのけることができない。
「あなたが約束すれば伊賀海栗さんは解放するよう、白イ卵に命じます。断ればそのまま。最悪、伊賀海栗さんは死にますよ」
「くっ……く……そ……」
「クソは、あなたですよ」
店内に静寂が満ちた。
『つこさん。』がグラスを傾け、氷が崩れた音がやけにきれいに響いた。
無理……だ。
右腕はアイスピックで縫いつけられ、頭はマスターの手で押さえられた。この状況から脱出し、逆転する力は、花水木にはない。
「お返事は?」
「わ……わか……」
わかった。
花水木が歯噛みしながらそう答え終える直前。
店の扉が乱暴に開かれ、「いかにも」な男が現れた。




