第5章 死地-その7
「うふふ、白ちゃん、ノリノリねえ」
「壊しちゃダメと言っておいたんですけどねえ。伊賀海栗さん、さすがにもう限界では?」
マスターがやれやれと肩をすくめた。
テレビ画面の中で、虚ろな目をした伊賀海栗が猛烈にキーボードを叩いている。するとテレビの横に置かれたパソコンに、SNS上の書き込みが次々と流れて表示される。
発言者は YUHONASIN 、そしてそれに便乗した無数のユーザー。すべて、伊賀海栗に対する誹謗中傷、罵詈雑言だ。
「なんだよ、これなんだよ…… YUHONASIN って……」
「伊賀海栗さん本人ですよ」
呆然とする花水木に、マスターが答えてくれた。
「別人格の、ですがね」
「白イ卵ちゃんにお願いして、作ってもらったの」
「……は?」
作った? 人格を?
「ど……どうやって?」
「薬物と催眠術の組み合わせですね。詳細は秘中の秘。ふふ、わが生徒ながら、大したものです」
「生……徒?」
「ええ、白イ卵は私の生徒です。もともと催眠術が得意でしたが、それを昇華させ、人為的に人格を作る技として完成させた、まぎれもない天才ですよ」
「人為的に、人格を……?」
「ええ。ちなみに、その作品第一号が、黒イ卵ですよ」
ぐらり、と花水木の意識が揺れた。
もはや何が何だかわからない。自分は一体何に巻き込まれ、どういう状況にあるのかさっぱり理解できない。
ヤバイ。
ヤバイ、ヤバイ。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
悪寒がする。全身が震える。自分が勝てる相手じゃない、と花水木は悟った。修行してるから大丈夫、なんてうぬぼれすぎた。
無数に張られた蜘蛛の糸の中央で、巨大な毒蜘蛛が待っていた。
そうとは知らず、花水木はそのど真ん中に、のこのこと来てしまった。
「ふふ、どうです? 完全に手玉に取られた感想は?」
「やめろ……やめさせろっ! やめさせてくれっ!」
それでも、花水木は最後の勇気を振り絞って声を上げた。テレビには涙を流し、苦しそうに喘ぐ伊賀海栗の姿が映っている。たとえ自分が食われることになろうとも、伊賀海栗だけは助けたい。
「ウニが壊れるだろ! やめてくれ、頼むからやめてくれ! ウニが壊れたら、あんたが読みたがってるお話なんて書けねえだろ!」
「ま、そうなりますね。どうします、『つこさん。』」
「うーん、そうねえ、私としてはぁ……」
『つこさん。』は少し考えた後、ふふふ、と笑った。
「この事実を知ってどん底に落ちた伊賀海栗さんが、どんなお話を書くのかが気になるなあ。それって、絶対面白そう♪」
『つこさん。』が無邪気に笑った。
この期に及んでも、その笑顔には一切の邪気がない。
それが、花水木は心底恐ろしかった。
「でも花水木さんの言うとおり、壊れてしまっては小説なんて書けませんよ?」
「そうだよねえ、それじゃ本末転倒かぁ。じゃあ花水木くん、交換条件」
『つこさん。』が笑顔のまま左手を伸ばし、指先で花水木の頬を、つん、と突いた。
「花水木くんが書いた小説を、読ませて♪」




