第5章 死地-その5
テレビに映し出された画像を見て、花水木は息を呑んだ。
それは間違いなく、黒イ卵ちゃんが知人に頼んで分析してもらったという、伊賀海栗のSNSと感想欄の分析結果だった。
「な、なんでそれを、お前が……」
「ふふ、親切な人が送ってくれました」
『つこさん。』がちらりと入口に視線を向けた。花水木がそちらを睨むと、スマホを見ていたよしあきが気づき、「よっ」と手を挙げて応えた。
「お前が……送ったのか……」
「すごいよねー、コンピュータの分析って。これやった人に会ってみたいなあ」
「私としては、これを作り上げた『つこさん。』の方がすごいと思いますが?」
「そう? わーい、もっとほめて、ほめてー!」
『つこさん。』は腰に手を当てて、「どやぁっ」と声に出した。マスターは呆れたように肩をすくめつつも、「さすがです」と『つこさん。』の頭を優しく撫でた。
「なんで……こんなことをした?」
「ん? なんでって、そんなの決まってるじゃない」
マスターに頭を撫でられて満足した『つこさん。』は、グラスを手に取りハイボールの残りをゆっくりと飲んだ。
「面白い小説が読みたいから、よ」
『つこさん。』が空になったグラスを置いた。
静かに、しかしきっぱりと言い切った『つこさん。』の目は恐ろしく澄んでいて、なんの悪意も感じられない。だからこそ、花水木はゾッとしたものを感じた。
「伊賀海栗さんの小説はねえ、糖分多めの、甘々なラブストーリーなの」
マスターが「お代わりは?」と尋ねた。『つこさん。』は「角ハイボール」と答えてからのグラスをマスターに渡すと、両肘をついてあごを乗せた。
「そうでしょ?」
「ああ……そうだな」
スパダリ、すなわちスーパーダーリン。要するにイケメンでなんでもできて俺様な男だ。そういう男に翻弄されつつも、最後は愛されて幸せになる女性のラブストーリー。伊賀海栗が好きなのは基本的にそういうお話だ。
「でもねえ、時々硬派なお話も書いてるのよ。で、私、思ったの。伊賀海栗さんは、もっとドロドロしたお話も書けるんじゃないかなぁ、て」
マスターが鮮やかな手つきで入れた角ハイボールを『つこさん。』の前に置く。『つこさん。』はグラスを手にしコクリと一口飲んだ。
「ねえ、読んでみたいと思わない? 伊賀海栗さんが書いた、ドロドロしたお話」
「そ、それは……」
「うふふ、思うんだ。そうだよね、花水木くんはこっちの人だもん。きっと読みたい、て思うよね♪」
「こっちの人……て、なんだよ」
「んー、ヨミ専」
「ヨミ……専……」
「そうよ。お仲間でしょ? 私たちヨミ専は、面白いお話が読みたくてたまらない。まだ読んだことのないお話が読みたくてたまらない。だからお気に入りの書き手さんに、もっともっと、て求めちゃう。花水木くんも、そうだったでしょ?」
黙り込んで何も言わない花水木に、『つこさん。』は笑顔で続けた。
「それでねえ、私、に思っちゃったの。伊賀海栗さんのお話をもっともっと読みたい、この人が書く、誰も知らないお話をもっともっと読みたい、て」
「だからって、なんでこんなことを……」
「だって、思っちゃったのだもの」
『つこさん。』が笑う。
一片の邪気もなく、しかしこれほど善意のかけらもない笑顔を、花水木は生まれて初めて見た。
「深く傷ついた伊賀海栗さんが、その体験をもとに書く小説って、お酒に例えたら極上の美酒になるんじゃないか、てね」
こいつ何を言ってるんだ、と花水木はあっけにとられた。
まさか、「面白い小説が読みたいから」という理由で、伊賀海栗をネット上でなぶりものにしようというのか? その結果どれだけ伊賀海栗が傷つき、苦しもうと関係ないというのか? いや、その苦しみゆえに伊賀海栗が紡ぎ出すであろう小説が欲しいと、そういうことか?
たちの悪い冗談か、と思ったが、『つこさん。』の様子を見る限り本気のようだ。そして、本気だと感じた瞬間、花水木は『つこさん。』に対し寒気に近いものを感じた。
「ねえ、そう思わない?」
「思うわけ……ねえだろうが!」
花水木はカッとなり腰を浮かせた。だがそれは怒りゆえというよりは、恐怖ゆえだった。
来るな、近づくな、という思いが怒りという形になって花水木を突き動かし、『つこさん。』の顔面を殴ってやろうと、右手の拳を固めて振り上げようとした。
だが。
「店内で暴れては迷惑です、と……」
ガツンッ、と音がしたと同時に、花水木の腕が動かなくなった。
「……申し上げたはずですよ?」
浮かせた腰がガクンと引っ張られて落ちた。驚いて見ると、花水木の着物の右袖が、アイスピックで机に縫い付けられていた。マスターがいつ動いたのか、花水木は全く気づかなかった。
「あーあ、かわかみちゃん、お客様の着物に穴開けちゃった。これ、高い着物だよぉ?」
『つこさん。』は、花水木が殴りかかろうとしていたことなど意にも介していない様子で、くすくす笑いながらグラスを手に取った。
「弁償いたしますよ。ですが、しばらくはこのままで。花水木さん、お酒は静かに楽しんでください」
「で、できるかよ! お前らいい加減にしろよ!」
「……ご自分の立場をご理解いただけませんか。花水木さん、あなたが着物でなければ、その手の平を縫い付けていたところですよ?」
マスターの言葉に花水木はアイスピックを見た。その先が二センチほど机に突き刺さっている。硬い机にそれだけめり込んでいるのだ、これが花水木の手であれば、間違いなく貫通して机に縫い付けられていただろう。
「よしあきくん」
『つこさん。』が入口近くの椅子に座りスマホを眺めていたよしあきを読んだ。
「ショーは、そろそろ始まりそう?」
「ええ、そろそろです。テレビ、繋ぎますか?」
「うん、お願い。ふふ、花水木くんにも見せてあげないとね」
マスターがテレビに繋がっていたケーブルを伸ばし、よしあきに渡した。よしあきはそのケーブルを自分のスマホに繋げて何やら操作する。
「自作自演の、中傷誹謗。始まるよ」
『つこさん。』がグラスに口をつけ、テレビに目を向けた。花水木もつられてテレビに目を向け、そこに映っている人を見て愕然とする。
テレビに映し出されたのは。
ノートパソコンのキーを激しく叩く、虚ろな目の伊賀海栗だった。




