第5章 死地-その3
「お代わりも、電気ブランのハイボールでよろしいですか?」
「うん、おねがーい」
マスターは新しいグラスを取り出すと、軽やかな手さばきで「電気ブラン」と書かれた瓶の中身をグラスへ注ぎ、炭酸水を注いで『つこさん。』の前に置いた。
「花水木くんも、どうぞ♪」
「……修行中なんでね、酒は飲めない」
「あら残念。私の一番お気に入りのお酒、花水木くんにも飲んでもらいたかったのに」
「では、ウーロン茶をお入れしましょう」
マスターが花水木の前に置かれたグラスを下げると、新しいグラスを出し、目の前でウーロン茶の瓶を開けて注いだ。
「この通り、毒なんか入れてないからね。安心して飲んでね♪」
「……で、話ってなんだよ」
「せっかちさんねえ。まずは乾杯しましょ」
「あのな!」
声を荒げかけて、静かに立っているマスターのプレッシャーを感じた。花水木は再度「落ち着け」と自分に言い聞かせ、グラスを手に『つこさん。』に向き直った。
「かんぱーい! はじめまして、花水木くん♪」
「……乾杯」
その時、店内に着信音が鳴り響き、花水木はびくりと震えた。
「おっと失礼」
よしあきがスマホを手に、慌てて店を出て行った。「何だ電話かよ」と花水木が舌打ちすると、マスターが「フッ」と鼻で笑うのが花水木の耳に届いた。
「お茶、一口どうぞ。落ち着きますよ」
「そうそう。そんなに緊張しなくていいよ。お話するだけだから。もちろん、私のおごり」
「……それはどうも」
花水木は照れ隠しでふてくされつつ、ウーロン茶に口をつけた。
「……で、話ってのは何だよ?」
「もちろん、創作談義」
「俺は自分では書かねえよ。ヨミ専だ」
「なら、小説談義ね」
緊張している花水木とは対照的に、『つこさん。』は心の底から楽しそうだった。
「昨今のWEB小説について、思うところを語り合うのはどう?」
「三年くらい読んでねえ。今の流行なんて知らん」
「えー、じゃあ、純文学とは何か、は?」
「俺、大学は理系。真面目に文学の勉強していないから無理」
「もー、つまんなーい」
つっけんどんな花水木の対応に、『つこさん。』はぷくりと頬を膨らませグラスの半分ほどを一気に飲んだ。
「じゃあ、花水木くんの得意な話題にしよう」
「そんなもん、ねえよ」
「書き手のあり方について」
朗らかな『つこさん。』の声に、花水木の心臓が「ドクン」と跳ねた。
「得意でしょ?」
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。嘘だろ、知ってるのか、と『つこさん。』を見返すと、どこまでも無邪気な顔でにっこりと微笑まれた。
「お……俺は、そんなことを、話しに来たんじゃねえ」
「あら、そうなの? じゃ、どんなお話したいの?」
「ウニの……あんたがやってる、伊賀海栗への攻撃をやめてくれ、て言いに来たんだよ」
「伊賀海栗さんかぁ。素敵なお話を書く方よね。私、大ファンよ!」
「大……ファン? だったらなんで、あんなひどいことを!」
「ひどいこと?」
「SNSとか感想欄とかにひどいこと書き込んで、他のユーザー誘導してウニを追い詰めただろうが!」
「私、そんなことしてないけど?」
「嘘をつけ! 詳しい人に分析してもらって、あんたが主導してる、てわかってんだぞ!」
「えー、なにそれ。ひどいなあ」
「証拠はあるのですか?」
不意に、グラスを拭いていたマスターが口を挟んできた。
「証……拠?」
「ええ、そうです。確固たる証拠がないと、あなたこそ誹謗中傷をした、と言われますよ」
「そ、それは……同じアパートに住む子が、友達に頼んで分析してもらったやつで……」
しまった、データを持ってくるんだった、と花水木は焦ったが後の祭りだ。
「お持ちではない、と」
「あ、ああ……」
「失礼ながら花水木さん」
マスターがまた鼻で笑った。そんな仕草でさえ、スマートでかっこいい。
「敵を追い詰める武器をお忘れになるというのは、マヌケと言われても仕方ありませんよ」
「くっ……」
ぐうの音も出ない花水木を見て、『つこさん。』がクスクス笑う。
「かわかみちゃん、しんらつー。花水木くんはお客様なのにぃ」
「そうでした……失礼。お客様に対し、過ぎた言葉でした」
マスターが優雅に一礼し、「ではお詫びに」と言って、テレビの横に置いてあるノートパソコンを開き、キーボードを軽やかに叩いた。
「こちらが、おっしゃっておられるデータかと思いますが……合っていますか?」




