第1章 下山-その2
「いやー、遅れちゃったなー」
コーギー犬をお供に、夜道をのんびりと歩く男がいた。彼の名はよしあき。花水木と待ち合わせをしていた男である。
「花水木、怒ってるかな?」
よしあきは愛犬に声をかけた。出かける直前に「私も行く!」と駄々をこね、待ち合わせに遅刻する原因となったニクイ奴だが、カワイさがそれをはるかに上回る。飼い犬が原因で友人との待ち合わせに遅れた、それは自然の摂理なので仕方がないというのがよしあきの生き様だ。
そもそも、遅刻しそうだからと慌てる男ではない。どこまでもゴーイング・マイペース。それがよしあきの生き方だ。
「あれ? いないなあ」
指定時刻から遅れること十五分。
待ち合わせ場所のコンビニに着いたよしあきは、友人の姿がないことに首をかしげた。いろいろと問題のある友人だが、時間にだけは異様に厳しくて、五分前行動ならぬ三十分前行動を心がける奇特な男である。その男が待ち合わせ時間を過ぎても来ていないなど、天変地異かトラブルかの二択しかない。
「どっちだと思う?」
よしあきが愛犬に尋ねてみると、愛犬は首をかしげてよしあきを見上げてた。
その仕草、大変にカワイらしい。
こんなにカワイイのだから仕方ない。せっかくコンビニに来たのだ、友人もいないし、おやつでも買ってやろうか、とよしあきが財布を確かめたとき、愛犬が「ワンワンッ!」と尻尾を振って吠えた。
「ん、どした?」
よしあきが愛犬が吠えた方を見ると、カラリ、と軽やかな音を立てて、着物姿の美少女が路地裏から出てきた。
「遅いぞ、よしあき」
その着物姿の美少女が、よしあきに手を振って近づいてくる。「え、誰、この美少女?」とよしあきは軽くパニックになった。
「おー、お前、元気だったか」
そんなよしあきをよそに、着物姿の美少女は、とびついてきたよしあきの愛犬を、嬉しそうに撫でまわしていた。
「きしし、ほれ、ほれ、ここが気持ちよいのであろう?」
「ワウッ、ワウッ……わうぅぅぅん……」
「相変わらずカワイイやつめ。うりうりうり」
「お、お、お前っ!」
その声と愛犬のかわいがり方。それでようやくよしあきは気づいた。
「花水木かっ!?」
「人を指さしてるんじゃねえよ」
「え……え? ええっ!? なんだ、どうした、なんで女の子になってる!?」
「なってねえよ」
「いやいや、なってるって。しかもスクールカースト上位で、さえない男子とラブコメ繰り広げちゃうぐらいのハイスペック女子になってるって!」
「どういう例えだ、それ」
「やべえ、ドキドキしてきた! 恋に落ちそう!」
「するな。落ちるな」
「とりあえず、写真撮っていいか?」
「だめだ、許さん」
「そこをなんとか。あ、服は着てていいから!」
「脱ぐか!」
ああもう、と花水木はよしあきの愛犬を手放して立ち上がると、よしあきが構えたスマホを取り上げた。
「落ち着けっての。この格好は事情ありだ」
「そうか、目覚めたのか。安心しろ、俺は受け入れられる!」
「だぁーっ、もういい加減にしろ! 話が進まねえ!」
「がんばって生きてたら、友人が美少女になりました。神様ありがとう、俺、幸せになるよ!」
「頼むから……頼むから正気に戻れ。なあ、マジで、頼むよ!」
「うむ、戻るとするか」
よしあきが、パンッ、と頬を叩いた。
「おっす、三年ぶりだな、花水木!」
「……いきなり戻るんだな」
「なろう系の小説読んでりゃ、あらゆる事態を想定した人生が送れるようになるってものよ!」
「スゲーな、なろう系って」
「で、花水木。あんな路地裏で何してたんだ?」
「ん? ああ、ちょいと野暮用だ」
ふふーん、と花水木が実に楽しそうな笑顔を浮かべた。なにやら満足そうにポンポンと懐を叩いてもいる。それを見て、よしあきは「あ、こいつ何かトラブル起こしたな」と直感した。
「犯罪じゃねえだろうな」
「正当防衛だ。いやー、山にこもってたら収入源なくて、ちと寂しかったんだよなー」
うん、知らない方が身のためだなと、よしあきはそれ以上の追及をやめた。
「ま、なんだな。とりあえず行こうか」
「そうだな。警察来たら面倒だし。さっさと行こうぜ」
「……お前、なにやったの? ねえ、お兄ちゃんに言うてみ?」
「誰がお兄ちゃんだ。降りかかった火の粉を払っただけだよ。大丈夫、ちゃーんと口止めしといたから」
花水木がニヤリと笑う。
うん、やっぱ関わらんとこー。
よしあきはその笑顔を見て、この話題は二度と口にすまいと固く誓った。